AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

今まで見た中で一番高い高圧線

上級准尉 エドワード マッキンタイヤ
ワシントン州マレー駐屯地所在


1990年8月初旬(訳者注:イラク軍のクウェート侵攻と同時期)、私は米国内の転属に伴い、新しい隊長のもとに出頭しました。しかしながら、私が米国に滞在できる期間は、そう長くありませんでした。なぜならば、出頭したそのときに隊長から、近々クウェートへ出発するので、荷物をまとめておくように指示されたからです。我々がクウェートに到着する約1週間前に戦闘は終結していました(訳者注:湾岸戦争は1991年2月に戦闘行動を中止)が、私の部隊は、クウェートに出発する直前に受領したL型のブラックホークを使って、ほとんど毎日のように空輸任務を行いました。やがて我々も帰国の時を迎え、帰国前にサウジアラビアに一時宿営することになりました。

我々がサウジアラビアに到着してすぐに、UH-60×1機で先発隊を港まで空輸する任務を受領しました。目的地に到着後、水道、ベッド、ひょっとすると電話、(少なくとも携行食ではない)普通の食事などにありつけるかもしれないという期待があったので、ほとんど全員がこの任務の実施を希望しました。そして、幸運なことに、私の航空機がその飛行任務を実施することになったのです。
我々が飛行任務を開始したときは、すでにかなり遅い時間になっており、しかも夜中までは月明かりもない状態でした。ただし、天候は良好で、雲もなく、視程も十分だったので、特に問題があるとは思いませんでした。もちろん、天候が悪化する可能性はありましたが、我々はとにかくこの砂漠から脱出したいと思っていました。我々は、水道やまともな食事、ちゃんとしたベッドさえもない状態で、約7ヶ月間も砂漠の中に滞在していました。私と副操縦士は、その時まで3ヶ月間もの間ヘリコプターで寝泊りしており、久々にヘリコプター以外の場所で眠れることを楽しみにしていたのです。

私はNVG(Night Vision Goggle、夜間暗視眼鏡)の資格を持っていましたが、副操縦士はその資格を持っていなかったので、今回の任務にはNVGを携行しませんでした。港町が近づくと、前方が非常に暗くなってきました。そこで、250フィートまで上昇したところ、港の光が見えるようになりました。我々は、ここ数ヶ月の間、75フィート以上で飛行したことがめったになかったので、少し不安を感じながら飛行していました。着陸予定地は、サウジアラビアが外国労働者のために建設したトレーラーハウス村の中にあるサッカー場でした。私は、1日だけの保養休暇の時にそこに行ったことがあったので、その場所は分かっていました。目的地の村を確認し、着陸場に向けて右旋回しながら降下していたところ、右側ドアの向こうの何かが私の目を引きました。約4分の1マイル(約500メートル)先に見えたのは、私が今まで見たこともないような、とてつもなく巨大な高圧線の鉄塔でした。見えていたのは鉄塔だけで、高圧線は見えませんでした。


私は、コレクティブ・レバーを床から抜けるくらいに強く引きました。副操縦士は、何が起こったか解っていませんでしたが、エンジン・アウト警報灯が点滅を始めたので何か問題が発生したことに気がつきました。低ローター回転のマスター・コーションが点灯し、ヘルメットの中に低ローター回転数警報音が鳴り響きました。その後は、すべての動きがスローモーションのようでした。私は、もはや高圧線に衝突するのは間違いないと確信しており、いつ衝突するのかだけを考えていました。私が最も嫌いな言葉である「パイロット・エラー」によって、我々は死に直面していたのです。

その時、いったい誰の助けなのでしょうか、エンジンが突然息を吹き返しました。ローター回転数が、低ローター回転状態からほぼオーバースピードの状態まで、わずか2,3秒間で跳ね上がったのです。我々は高圧線との衝突を回避できましたが、はたしてどれだけ離れていたのかは今もって分かっていません。忘れられない着陸までの間に、他の搭乗者1名もその鉄塔を見ていたと聞き、私が見たことが間違いなかったことを確認できました。ただし、彼はヘッドセットを装着していなかったので、せっかく発見していても、高圧線の回避には役に立ちませんでした。次の日、その鉄塔が私かかつて見たものの中で最も高いものであることを確認できました。帰りがけにその鉄塔の上空を飛行したこところ、その高さは少なくとも250フィート(約75メートル)もあったのです。

私の大失敗は、とにかく電気や水道があるところに行きたいと思ったことから始まりました。この任務の実施要領に関する判断は、最初から間違っていたのです。月明かりのない砂漠の夜に、高圧線どころか目の前の自分の手も見えないような状態で飛行するのであれば、NVGの資格を持った操縦士が操縦すべきでした。我々は、他の場所に行けることにただひたすら興奮し、その興奮の代償に命を失うところだったのです。

なぜ、このようなことになってしまったのか、何度も考えましたが、答えは1つしかありません。それは、教育されていた「やるべきこと」をやらなかったからです。今回の飛行任務のように、不慣れな場所に、ましてや真っ暗な夜に町の真ん中に着陸するような場合、任務開始前に着陸地域の偵察を十分に実施するべきだったのです。私は、誰もが希望するような任務に選ばれたことに興奮して、このような失敗をしてしまったことを深く反省しています。私が訓練どおりのことをしなかったばかりに、自分自身と私のヘリに搭乗していた全員を殺してしまうところだったのです。皆さんも、この私の「Get-there-itis」の典型例をぜひ参考にしてください。(訳者注:「Get-there-itis」とは、航空事故等の原因に関する用語で、「目的地に到着したいという気持ちのために、悪気象や夜間の低視程等の潜在的問題を無視してしまうこと」をいう。)温かいシャワーなんて、リスクに値しませんよ!

マッキンタイヤ上級准尉は、ワシントン州タコマのキャンプ・マレー所在の1-168飛行隊本部付隊の所属です。この記事は、フォート・ラッカーのASO課程入校中に執筆されたものです。

           

出典:FLIGHTFAX, April 2005, U.S. Army Safety Center 2005年04月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

アクセス回数:2,038

コメント投稿フォーム

  入力したコメントの修正・削除が必要な場合は、<お問い合わせ>フォームからご連絡ください。