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陸上航空(陸上自衛隊航空科職種)の教育訓練、運用、装備、安全等に関連する米軍情報の発信源

敵地上空での被弾

上級准尉3 ガブリエル・トーニー
TRADOC偵察/攻撃能力マネージャ
フォート・ラッカー、アラバマ州

アメフトの殿堂入りプレーヤーであるレル・グリーンは「緊要な時期に備えることが重要だ」と語った。アメフト・プレーヤーにとっての「緊要な時期」とは、「OK、お前の番だ!」と言われる時のことであり、その時に実力を発揮できなければならない。一方、陸軍の兵士もまた、古くから「緊要な時期」にその実力を発揮することが求められており、その実現のために、指揮官達は多大な時間と努力をつぎ込んできたのである。

2005年、第3機甲騎兵連隊長マクマスター大佐(当時)は、イラクのタル・アファル地域における対反政府勢力戦闘に関し、新たな戦略を打ち立てた。その戦略に基づいた作戦計画が示された時、連隊は4日間立て続けに狙撃兵による攻撃を受けていたが、その位置を確認できずにいた。某日午後4時、2機のOH-58Dカイオワ・ウォーリアで構成された2個編隊が交互に飛行しながら即応態勢をとっていたところ、敵狙撃兵の攻撃に伴う緊急患者空輸が無線で要請された。我々の編隊は、患者後送ヘリが使用するLZを警戒する部隊を援護するため、患者後送ヘリよりも5分遅れてホバリング・離陸した。
 現地から戻ったOH-58D編隊からは、狙撃兵を発見したことと、その場所を示す建物番号を申し受けた。残念なことに、現地は建物が密集した市街地であり、1つの建物番号が、幾つかの建物で使われていた。患者後送ヘリが負傷した兵士を乗せて飛び立つと、航空任務指揮官「ペガサス26」から、LZ周辺に位置していた地上緊急対処部隊に敵狙撃兵の正確な位置が通知された。市街地の外側からLZを警戒していると、緊急対処部隊のM1エイブラムス戦車とM3ブラッドリー戦闘車両がその建物を包囲し、集中砲火を浴びせ始めたのが確認できた。
 我々の編隊の2機のOH-58Dの乗組員は、通常、一日おきに着座位置と任務を交代していた。その日は、私が左側座席には位置し、右側座席には上級准尉2デニス・ヘイ(教官パイロット)が位置して操縦桿を握っていた。
 以前、デニスから操縦を交代した時に、サイクリックにフリクションが効かせてあったので、その理由を尋ねたことがあった。それまでは、私はフリクションを常に完全に緩めた状態にしていたからである。デニスは、操縦している者が気を失った時、もう一人の操縦士がコントロールを回復するのにどれ位の時間がかかるかを実際に展示し、フリクションを効かせておく理由を説明してくれた。後に、これがいかに重要なことであるかが判明する。
 一旦、燃料補給のために帰投した後、再度警戒地点に到着すると、緊急対処部隊が狙撃兵を捕獲し、戦場から離脱しようとしていた。これは、緊急対処部隊が最も弱点をさらす時であり、もはや市街地の外からでは十分な援護ができず、高速・低高度で目標付近まで飛行する必要があると判断された。
 私はM4カービンを計器盤の横で構え、前方に狙いを定めた。夏だったので、我々OH-58Dは、他機と同様にドアを外して飛行していた。このため、敵に対してある程度の制圧射撃を加え、緊急対処部隊が離脱する時間を稼げるはずだった。3回目に敵の上空を通過した時、機体が銃弾を浴び、コックピット内でポップコーンが弾けるような音が大きく鳴り響き、両方の太ももに鋭い痛みを感じた。一発の銃弾が右側下部ウィンドに命中し、センターコンソールのキーボード部分を突き破り、太ももに取り付けてあったニーボードと右太ももを貫通して、左太ももに達していた。右腕にも破片が当たったが、その腕が盾となって顔面と眼は負傷を免れた。
 機首が急に上がったため、最初はデニスが近接戦闘の態勢を取ろうとしているのだと思ったが、それは間違っていた。デニスの頭に、右側の風防を貫通した一発の弾丸が命中し、サイクリック・スティックから手を離して意識を失っていたのだ。
 OH-58Dは、元々自動飛行制御システムを装備しておらず、SCASも敵の銃弾を受けて機能停止状態となっていた。例えSCASが機能していたとしても、誰も操縦桿を握っていない状態では、すぐに飛行不能状態に陥る。この時点で、機首がほぼ90度真上を向いていた。直ちに操縦桿を握った私は、とにかく機体をダイブさせた。サイクリックにフリクションを効かせていたことが、操縦桿を握り、機体のコントロールを取り戻すために必要な時間を与えてくれたのである。機体の速度がほとんど失われていたため、可能な限りのパワーを使用した。機体姿勢が安定すると、敵の攻撃を避けるため、低高度を維持した。
 その時、高ローター警告音が鳴り響いた。しかし、警報表示画面を見ると、「高ローター」と 「低ローター」の両方の警報が表示されており、何かが間違っているのが明らかであった。機体は、特にヨー方向に非常に不安定な状態だったが、それ以外に飛行上の問題は感じられなかった。
 次に、別の警告音が鳴り響き、「エンジン・アウト」の警報が表示された。最初に私が考えたのは、「例えオートロ着陸が完璧にできたとしても、敵地に取り残されたのでは生き残れない」ということだった。(1年前に同じ市街地内において、あるOH-58Dの乗組員の回収が成功していたことを私は知らなかった。)
 操縦課程では、エンジン不具合には7つの兆候があり、「不具合が発生していると判断するためには、そのうち少なくとも2つの兆候が現れていなければならない」と教えられていた。しかし、シングル・エンジン機の場合、エンジンに重大な故障が発生した場合の兆候は、極めて明瞭だ。OH-58Dでエンジン不具合を模擬すると、胃袋が喉に上がってくるような感覚がある。例えエンジン不具合を示す警報が出ていない状態であっても、エンジンに実際に不具合が発生すれば、必ずこの感覚があるのだ。これは、操縦課程では教えてくれない8つ目の兆候である。この兆候が現れていない以上、私はエンジン・アウトの警報を無視することにした。このような状況において、決して忘れてはならないことは、「飛行機が飛び続けようとする限り、飛ばし続ける!」ということだ。
 編隊長機が市街地外に出たのを確認できたので、「彼らが撃墜されずに飛行できたのだから、私にもできるはずだ」と考えた。私は無線機で「不時着する!不時着する!不時着する!」と送信した。デニスは意識を失ったままだった。そして、私の次の言葉は永遠に、私の記憶に焼き付けられるものだった。「患者発生!患者発生!患者発生!」
 市街地の北側ルート上には、「ドラゴン中隊」と呼ばれる戦車中隊が位置していた。市街地外に出た後、左急旋回を行い、戦車が私の機体と市街地の間に位置するようにすれば、着陸しても敵からの安全を確保できるだろうと考えた。そこで、最初のM1エイブラムス戦車を発見すると、その戦車の後方に着陸点を選定し、そこに向かって飛行した。
 航空任務指揮官は、地上緊急対処部隊に状況を通報するとともに、患者後送ヘリに私の不時着予定地点へ向かうように指示していた。「不時着陸予定地点は、戦闘前哨レネゲード!」本当のところは、私が不時着しようと考えていた地点は、そこではなかったが、それは、素晴らしいアイデアであった。私の考えていた不時着地点から15メートル程アプローチを延長すれば、戦車の援護を受けつつ、戦闘前哨レネゲードの塹壕の内側に予め指定されていた患者後送用LZ着陸することができるからだ。
 ヘッドセットには、引き続き警告音が鳴り続けていた。降下している間中、新たな警報が表示されるたびに、私はそれを罵っていた。正直なところ警報表示を見ないようにしようと思うくらいだったが、幸いなことに、直ちに着陸しなければならないような事態には至らなかった。戦闘前哨レネゲードに着陸すると、直ちにスロットルをアイドルまで絞った。
 この時、「デニスを前方運用基地まで速やかに運ぶため、患者後送ヘリの到着を待たずに、再び離陸する」という考えが頭をよぎった。しかしながら、考慮しなければならない事項が3つあった。まず、第1にデニスは大量に出血しており、すぐに応急手当を施す必要があった。「前方運用基地に到着する前に、失血してしまうのではないか?」。 第2に、私の機体の損傷状態を把握できていなかった。「前方運用基地まで帰り着かないのではないか?」。 そして第3に、私自身の怪我の程度も把握できていなかった。「前方運用基地に向かう途中で気絶してしまうのではないだろうか?」。 その一方で、戦闘前哨レネゲードは、警戒も十分であり、応急処置が実施可能であり、かつ、患者後送ヘリの要請も完了していたのである。
 私は、フォース・トリムをONにして、スロットルを閉じた。バッテリーはONのままにした。バッテリーをONにしておくことで、ブレードが回転している間に航空機を脱出し、航空任務指揮官機の副操縦士の手を借りながらデニスを機外に下ろす間、フォース・トリムに電力を供給することができた。
 メリーランド州兵の患者後送ヘリが我々の不時着地点に接近した時、警戒部隊が制圧しようとしている敵からの射撃を受け、機体が損傷してしまった。しかしながら、搭乗員を危険にさらしながらも、我々を助け出すために不時着地点に着陸してくれた。
 我々が患者後送ヘリに搭乗し、前方運用基地に着陸すると、飛行医官全員が駆けつけてくれていた。彼らは、デニスの命を救うため、考えられるすべての手を尽くしてくれたが、残念ながらデニスの怪我はあまりにひどく、その意識が戻ることはなかった。その間に、私は別の航空機により戦闘支援病院に後送された。その夜遅く、墜落機回収チームが我々の機体の不時着地点に派遣され、損傷の評価及び修理を行った。機体は、訓練担当操縦士及び先任試験飛行操縦士に操縦されて、前方運用基地まで自力飛行して帰投した。

第3機甲騎兵連隊の対反政府勢力作戦は大成功に終わった。翌年になって、タル・アファル市長はコロラド州のフォート・カーソンを訪問し、連隊に対し感謝の意を表した。我々のOH-58Dは数週間で修理を完了し、戦闘に復帰した。それよりも少し時間がかかったが、私も戦闘に復帰することができた。

編集者注:上級准尉3ガブリエル・トーニーは、航空機を安全に着陸させた功績により、ブロークンウィング賞を受賞しました。ブロークンウィング賞は、緊急着陸が必要な飛行中の故障又は不具合の発生に際し、高度な専門的技能を発揮した搭乗員に対し授与されるものです。

出典:KNOWLEDGE, October 2012, U.S. Army Combat Readiness/Safety Center
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。



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