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陸軍航空の情報センター

米空軍特殊作戦コマンドのオスプレイ搭乗員がマッキー・トロフィーを受賞

被弾した機体で飛行を継続

リチャード・ウィッテル
2014年11月3日

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「ルースター73」は、南スーダンボルにある小さな飛行場に着陸しようとしている3機編隊のCV-22オスプレイの1機であった。その時、ランプ・ドアを開けてキャリバー50(機関銃)を構えていたデイビッド・シェア空軍伍長は、何の危険も感じていなかった。

その晴れ渡った日曜の朝、眼下200フィートにある国連キャンプには、10,000人ほどの住民が群がっていた。そこには、内戦状態になったその国から脱出しようとしていた30人の米国市民が、オスプレイが到着するのを待っていた。

3機のオスプレイに搭乗していた空軍特殊作戦コマンド(Air Force Special Operations Command, AFSOC)に所属する搭乗員たち、およびこの作戦を掩護するために搭乗していた21名のネイビー・シールズたちは、この作戦が「停戦状態」の地域で行われるものであると聞かされていた。前日には、南スーダンの国連キャンプで、国連のヘリコプターが銃撃を受けるという事件が発生していたが、その後は、インドの国際治安部隊により平穏が保たれていたのである。その時、突然、ポップコーンが弾けるような音が響き渡った。胸に一発の銃弾を受けたシェア伍長は、キャビンの床にあおむけに倒れた。その銃弾は、その時に3機のオスプレイが浴びた、少なくとも119発の銃弾の中の1発であった。

これらの銃弾は、反政府軍と考えられる敵が用いていたAK-47突撃銃と、さらに大口径の機関銃(確認はされていないが、キャリバー50であった可能性がある)のものであると考えられる。ルースター73や同じ編隊の他の2機が銃弾を浴びたのは、最終進入を行おうとしていた時のことであった。シェア伍長が起き上がると、体はどこも痛くなかったが、戦闘服の一部が血に染まっていた。その血は、胴体を弾丸が貫通したシールズ隊員のものであることがすぐに分かった。

2013年12月21日の朝、シェア伍長(防弾チョッキのおかげで無傷だった)他11名の搭乗員たちは、その後数時間に渡って、自分たち自身だけではなく、オスプレイそのものの強靭性を証明することになった。深刻な損傷を受けたCV-22を500マイルも飛行させ、ウガンダ国のエンテベに無事に着陸し、ルースター73で負傷した4名のシールズ隊員と8900万ドルの機体3機の両方を救ったのである。

2014年10月29日水曜日、これら3機のCV-22に搭乗していた第8特殊作戦飛行隊の搭乗員たちは、軍事航空分野において「その年で最も功績のあった飛行」を行ったとして、米飛行家協会から2013年のマッキー・トロフィーを授与された。スミソニアン博物館の国立航空宇宙博物館に保管されているこのトロフィーの銀、金およびマホガニー各賞の過去の受賞者には、エドワード・リッケンバッカー大尉(1918年)、ジミー・ドーリットル中尉(1925年)、ヘンリー・“ハップ”・アーノルド准将(1934年)およびチャールズ・”チャック”・イェーガー大尉(1947年)などが名を連ねている。

「彼らのような英雄と一緒にトロフィーに名を刻まれるなんて、信じられないことです」ルースター73の副操縦士であったブレット・キャシディー大尉は語った。編隊の長機であるその機体の機長は、ライアン・ミッテルステット少佐であり、シェア伍長も搭乗していた。キャシディー大尉たちは、その日、素晴らしい性能を発揮したオスプレイという航空機自体が賞賛に値するものであることに、何の疑いも持っていない。

「その日、我々が行ったことをやり遂げられる航空機は、オスプレイ以外にない」

「南スーダンで行われたこの任務は、V-22の生存性および柔軟性の高さを示すものでもありました」ボルで編隊の3番機であるルースター75を操縦していたテイラー・フィンガーソン少佐は語った。「その日、我々が行ったことをやり遂げられる航空機は、オスプレイ以外にないでしょう」フィンガーソン少佐は、オスプレイを操縦する前は、F-16戦闘機の操縦士を3年間務め、U-28A特殊作戦偵察機の操縦士を同じく3年間務めていた。2010年以降は、空軍特殊作戦部隊のCV-22を操縦し、アフガニスタン、中東およびアフリカでの戦闘任務を含む450時間以上の飛行を行ってきた。

空軍特殊作戦部隊のオスプレイは、主として、夜間の強襲作戦において特殊作戦部隊を空輸するために用いられる。第8特殊作戦飛行隊の運用将校であるマーク・ニューウェル中佐は、南スーダンからのアメリカ人の緊急救出作戦にその部隊が選ばれた理由は、オスプレイの速度と航続距離である、と語った。V-22は、主として海兵隊で使用され、翼端に装備する2つの大きなローターをヘリコプターのように飛ぶときは上向きに、飛行機のように飛ぶときは前方に傾けて、通常の軍用ヘリコプターのおおよそ2倍の速度で巡航し、機体に装備された燃料タンクだけで5倍の距離を飛行することができるからである。

日曜の朝0600、ジブチ国統合任務部隊「アフリカの角」の米国アフリカ・コマンド運用指揮所の所在地であるキャンプ・レモニアから離陸したルースター73飛行小隊の3機のCV-22は、1回の空中給油を行いながら、3時間半にわたって900マイルを飛行し、ボルに到着したのであった。ボルに到着した飛行小隊は、「状況を確認するため、上空通過を行うことを決心したのです」。オスプレイに同行していた2機のMC-130コンバット・シャドウ空中給油機の1機に搭乗し、無線を傍受していたニューウェル中佐は語った。

長機のパイロットであるミッテルステット少佐が、着陸前の最終旋回を行い、翼端のナセル(オスプレイのエンジンとローターを保持しているポッド)を水平方向から垂直方向へと回転させ、ヘリコプターモードへの転換を始めた時、ルースター73の副操縦士であるキャシディー大尉に、機体に銃弾が当たる音が聞こえた。「被弾しました!」ランプドアで射手を務めていたシェア伍長がキャシディー大尉に警告を発した。キャビンにいた誰かが、搭乗しているシールズの何人かが負傷し、大量に出血していることを報告した。

燃料匂が立ち込める、血まみれのキャビン

編隊の3番機のオスプレイを操縦していたフィンガーソン少佐には、長機であるルースター73のミッテルステット少佐が「被弾した!被弾した!着陸復行せよ!着陸復行せよ!」と無線連絡するのが聞こえた。その時、フィンガーソン少佐は、前方のルースター74から噴霧状の液体が飛行機雲のように噴出しているのを確認した。まだローターを前方に向け、エアプレーンモードで飛行していたフィンガーソン少佐は、直ちに左に機体を傾けると、地対空ミサイルを回避するため左右に旋回しながら、予定されていた「離脱ポイント」へと向かった。フィンガーソン少佐たちには、自分たちの機体も数発(後に10発であることが判明)の銃弾に被弾していたことが分かっていたが、オスプレイの燃料タンクのセルフシーリング機能は、設計されたとおりに機能していた。他のシステムにも、異状がなかった。

3機のオスプレイは、編隊を再構成し、ウガンダ国のエンテベにあらかじめ設定されていた「目的地変更地点」に向けて飛行し始めたが、2機のCV-22からは、深刻な損傷を受けているという報告があった。それら2機の機体には、燃料漏れが発生していた。燃料配管が被弾したため、セルフシーリング機能が役に立たなかったのである。さらに、どちらの機体も、オスプレイが装備している3重の油圧系統の1つが機能しなくなっていた。ルースター73も、操縦系統が損傷し、電気系統にも故障が発生していた。負傷したシールズの血で血まみれになったそのキャビンには、燃料であるJP-8の異臭が立ち込めていた。

パイロットたちは、ルースター73と74がまずMH-130空中給油機から給油を受けるべきである、と直ちに決心した。燃料漏れを起こしていたルースター73がエンテベまでの約2時間の飛行を行うためには、2回目の空中給油を実施する必要があったのである。ルースター73は油圧系統も損傷していたため、本来は油圧で自動的に伸びる燃料給油プローブを手動ポンプで伸ばさなければならなかった。プローブとは、空中給油機のドローグに差し込むために受油機から前方に伸びるチューブであり、ドローグとは、給油機から伸びた燃料ホースの先端に取り付けられた、バトミントンのシャトルに似た装置である。

ルースター74に搭乗していた衛生兵は、無線でルースター73に搭乗しているシールズの負傷の程度を把握すると、「移動式血液バンク」を開設した。負傷した兵士に適合する血液型の血液を隊員たちから抜き取り、エンテベに到着したらならば直ちに輸血が行えるように準備を開始したのである。第8特殊作戦飛行隊の運用将校であるニューウェル中佐は、C-17グローブマスター輸送機がエンテベに到着したオスプレイと会合し、負傷者をナイロビまで治療のため空輸できるように調整した。結果的には、4名のシールズ全員が助かった。2013年12月22日、米国務省は、オスプレイが被弾した次の日に、ボルのアメリカ人が国連および民間のヘリコプターを使って南スーダンの首都であるジュバまで避難できた、と発表した。その後、3機のオスプレイは、フロリダ州のハルバートフィールドへ修理のため後送された。3機のうち損害の程度が最も小さかった機体は、既に運用への復帰を完了している。その他の2機は、まだ修理中であるが、これらの機体も運用への復帰が予定されている。

その任務に参加した者たちは、ボルに着陸することはできなかったものの、自分たちが無事に帰還できたことは、開発に25年の年月と220億ドルの費用と30名の命が費やされたオスプレイの価値を証明するものであった、と語った。また、オスプレイの強靭性は、「V-22は、戦場では万事休すだ」という長年の批評家の主張が誤っていたことも証明した、と述べた。

しかし、おそらく最も権威のあるオスプレイ批評家であるレックス・リボロは、自分の立場に変わりはない、と言っている。

「オスプレイは、多重の冗長性を有する生存性の高い航空機であり、被弾しても飛行可能である」ことは、リボロも認めた。しかし、ボルの事案は、「V-22は、敵の脅威下では運用できないことを証明した」と彼は述べた。

ベトナムでF-4ファントム戦闘機を操縦し、その後、空軍州兵で「ジョリー・グリーン・ジャイアント」と呼ばれる救難ヘリコプターを操縦した後、国防分析研究所の専門家の1人として、当時、開発中だったオスプレイの評価を行った経歴を有するリボロは、CV-22の被弾状況は、戦闘任務に用いられる着陸地域に進入する際のオスプレイの脆弱性を露呈するものであった、と言った。

これに対し、空軍特殊作戦部隊のフィンガーソン少佐は、「レックスは、全く適切な評価ができていないのです」と述べた。「オスプレイが我々の編隊のように射撃を受けたことは、これまで何十年もなかったのです」

リボロは、オスプレイがこれまでほどんど射撃を受けなかったのは、それが主として、戦術的にではなく「コンバット・サーキュレーション(戦務支援)」に用いられているからである、と主張した。これに対し、リボロの情報は過去のものだ、と反論するV-22パイロットもいる。

海兵隊および空軍は、数年間に渡ってオスプレイをアフガニスタンの「戦闘地域」で運用した経験を積んでおり、オスプレイが十分な生存性を有することが証明されたのは、今回が初めてのことではない。昨年、海兵隊の第365海兵中型ティルトローター飛行隊のマイケル・ハッチング少佐とデビッド・ハーケ大尉の2名のオスプレイパイロットは、2012年にアフガニスタンのヘルマンド州における任務において、タリバンに対する強襲作戦を実施するため、猛烈な射撃を受けながら目標地域に海兵隊およびアフガニスタン部隊の隊員を投入した功績により、デイスティングィッシュ・フライイング・クロス(殊勲飛行十字章)を受章した。彼らの搭乗していたMV-22Bは、ボルでの任務において空軍特殊作戦部隊のルースター73が受けたのと同じくらいの損傷を受けていた。ハッチング少佐とハーケ大尉もまた、数時間に及んだ作戦を完了し、自分たちの機体と搭乗員を無事に帰還させたのである。

ハッチング少佐の副操縦士であり、ヘルマンド州での任務により5回目の出撃によるエア・メダル(航空勲章)を受章したデビッド・オースティン大尉は、アフガニスタンで部隊空輸を行った海兵隊のオスプレイは、昼間における危険地域への着陸に際し、重武装のAH-1コブラやUH-1ヒューイ・ヘリコプターによって掩護されていたにも関わらず、射撃を受けることが多かった、と述べた。

「多重の冗長性を有するこの機体は、荒々しい鳥のようなたくましさを持ち、安全に任務を遂行できる飛行機なのです」とオースティン大尉は語った。「この機体は、私の身を守り、私が脱出することを可能にし、スーダンの人々を救ったのです。私は、もう、この航空機以外では、戦場を飛行したくありません」

今年のマッケー・トロフィーの受賞者は、次のとおりである。

ルースター73搭乗員:
Maj. Ryan P. Mittelstet ; Capt. Brett J. Cassidy; Tech Sgt. David A. Shea; Staff Sgt. Christopher Nin

ルースター74搭乗員:
Capt. William J. Mendel; Capt. Arjun U. Rau; Staff Sgt. James M. McKay; Staff Sgt. Kenneth E. Zupkow II

ルースター75搭乗員:
Maj. B. Taylor Fingarson; Capt. Daniel J. Denney; Master Sgt. Alberto L. Delgado; Master Sgt. Jeremy D. Hoye

                               

出典:Breaking Defense, Breaking Media, Inc. 2014年11月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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4件のコメント

  1. 管理人 より:

    この記事は、オスプレイに関するノンフィクション「ドリーム・マシーン」の原著者であるリチャード・ウィッテル氏が、オスプレイ関係者にとって参考となる記事として紹介してくれた、いくつかの記事のうちのひとつです。他の記事についても、今後、翻訳・掲載したいと思います。

  2. 管理人 より:

    then flew to a predetermined “egress point.”の「egress point」は「離脱ポイント」、began flying toward their designated “divert location” at Entebbeの「divert location」は「方向変換地点」と訳してみました。米空軍特殊作戦部隊の運用に関する軍事用語だと思うのですが、他に適切な訳語があれば教えてください。

  3. 民谷 仁史 より:

    Divert locationですが、「目的地変更地点」でどうでしょうか?
    Divert は当初予定していた目的地に何らかの理由で着陸出来ずに他の飛行場に向かい着陸する事ですので、上記のの訳くらいになると思います。参考まで、、

    • 管理人 より:

      なるほど、さすがです。「目的地変更地点」に修正させていただきます。
      ありがとうございました。これからも、よろしくお願いいたします。