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陸軍航空の情報センター

1983年4月12日一米陸軍航空科の誕生

陸軍少将(退役)カール H.マクネア,ジュニア

編集者より:本誌は、ワシントンDCで開催予定の2003年AAAA(Army Aviation Association of America,アメリカ陸軍航空協会)全国大会において、陸軍航空25周年祝賀の開催が予定されていることから、著名な退役陸軍将校による航空科誕生に関する記事を掲載する。最初の記事は、初代航空科指揮官であったカール・マクネア少将(退役)によるものである。

戦場機動は、古くより武力衝突における緊要な要素であった。戦場機動の手段は、歩兵に始まり、騎兵及び馬による牽引砲を経て、装輪車及び装軌車へと変遷してきたが、その重要性には何ら変わりがなかった。そして、航空機(固定翼機及び回転翼機)の出現により、兵士は地形という障害から解放され、3次元空間を活用した機動が可能となったのである。
 兵士の地形障害からの解放は、気球を用いた偵察により、初めて現実のものとなった。1862年7月21日、米陸軍気球軍団所属の気球操縦士であった陸軍軍属のサディアス・レーベ氏は、バージニア州フォールズ・チャーチ市の上空から、その西方数マイルの地点を「ブル・ランの戦い」から退却中の北軍に対する偵察を実施した。レーベ氏が所属していた気球軍団は、兵站上の問題により翌年に解散となった(これは、近代兵器システムには珍しいことである。)が、その運用により把握できた経験や実相という教訓は、20世紀の技術革新により実現した飛行機の実戦的運用が開始された際に、大きく役立つこととなった。
 航空機の実戦的な運用を開始して以来、数十年間にわたり、我が国は、数多く の紛争に航空戦力を投入し、その柔軟な運用により、地上戦闘のあらゆる領域(指揮・統制・通信、情報・保全、機動、火力、移動及び兵站)で勝利を勝ち取り、補給品を輸送し、あるいは生命を救い続けてきたのである。

卓越した戦闘戦務支援の歴史

我が国が第2次世界大戦に参戦した直後の1942年以降、陸軍航空は常に戦場の最前線において活躍し続けてきたが、最適化及び統合化という面では、不十分なところが多かった。なぜならば、当時の陸軍航空の装備、編制、教義及び訓練基準は、航空科という兵科がなかったため、複数の兵科により決定されていたからである。1892年の通信料、1942年の砲兵及び1952年の輸送料に引き統せ、それ以外の兵科、機関及びコマンドにおいても陸軍の航空兵力に関する統率方針が示され、予算要求及び運用上の要求に関する業務が実施されていたのである。
 しかしながら、どの兵科の航空兵力に関する統率方針等も決して無視されることはなかった。実際、第2次世界大戦中においては、砲兵のL-4「カブ」が戦場における「耳目」と してその真価を発揮し、「グラスホッパー(バッタ)」の愛称で親しまれていた。また、朝鮮戦争においては、ヘリコプターによる人命救助及び機動が、全兵科の作戦遂行に大きく貢献したことが、今でも伝説となっている。さらに、1962年-65年には、「ハウズ委員会(※)」の提言に基づき、空中機動師団が、何百機ものヘリコプターを使って、何千人もの陸軍兵士と何十トンもの補給品を地上の障害を克服しつつ空輸し、空中機動の有効性を検証して見せたのである。
 以下、ベトナム戦争から、「冷戦」を通じ、現在のイラク及びアフガニスタン戦争までの陸軍航空の歴史を振り返ってみることにしよう。

戦闘の進化と新たな要求

1970年代の半ば、新設されたTRADOC(Training and Doctrine Command, 米陸軍訓練教義コマンド)が、エアランド・バトル(Airland Battle, 空地戦)という新しい教義を導き出すと、陸軍各部隊の再編成が実施され、近接、縦探及び後方における戦闘に新しい観点が誕生した。この際に実施された教義及び戦力形成に関する分析は、同時並行的に実施されていた人事上の検討と相まって、航空科の必要性に関する重要な組織上の決断、動機及び理由を導き出し、航空科誕生の原動力となったのである。
 この再編成により、陸軍の各師団には、基本部隊として、航空旅団が創立された。それまでは、航空旅団が基本構成部隊として編制されていたのは、空中機動師団のみであり、ヨーロッパ及び朝鮮に所在する軍団であっても、3個の独立した航空群が編制されていたに過ぎなかった。各航空旅団長には、歩兵旅団、機甲旅団及び師団砲兵と同列の大佐レベルの指揮官が配置され、その隷下には複数の航空大隊(戦闘)及び航空大隊(強襲)が編成された。この時の師団隷下への航空旅団の新設は、陸軍航空の大きな一歩であり、これがなければ、現在の航空旅団長というポストは存在しなかったであろう。
 さらに、エアランド・バトルの構想によれば、縦探における戦闘、後方地域または側方警戒における指揮・統制のため、従来から機動旅団司令部として運用されていた3つの地上機動部隊に加えて、この航空旅団が第4の機動旅団司令部として運用されることを想定していが、これもまた、航空科部隊として初めてのことであった。この新たな指揮・統制部隊の追加でもたらされる柔軟性の向上は、この教義による運用地域の拡大に備える必要があった当時の師団長に、大いに歓迎されることとなったのである。

独立した兵科の必要性

その当時の陸軍航空の教義、訓練、編成及び装備は、各要求元の異なった構想による縛りを受け、欠陥を有していることが明らかであったが、当時の航空共同体は、これらの事項を統制する権限を有していなかった。
事実、多くの事項が、アラスカ州フオート・ラッカーの航空センターではなく、他の兵科学校に所掌されていた。例えば、空中機動については歩兵学校、対機甲戦闘及び騎兵については機甲学校、整備については輸送学校、電子戦情報については調査学校に所掌されていたのである。
 1982年3月に始まった陸軍航空システム・プログラムの再検討は、これらの欠陥をいかに減少・解消するかを焦点と していた。この再検討は、大将レベルの将官により実施され、各々の先任将官が議長を勤める4つの個別委員会が、陸軍航空自身もその将来について見通しを有していない中、陸軍航空の制度基盤に関して様々な提言を行った。
 陸軍航空は、長年の間、レンジャーや空挺訓練と同様に、ひとつの「技能」として扱われ、「15」という番号を持つ付加的な特技を保有する兵士によって支えられてきた。
 1982年の再検討において、議長の1人であった陸軍副参謀長の陸軍大将ジョン・ベッセイは、この状況を改善するため、TRADOC司令官であった陸軍大将グレン・オーテイスに「航空科創設」に関する研究の実施を指示した。このことがTROAA(TRADOC Review of Army Aviation)による「航空科創設の提唱」をもたらし、その1年後の陸軍参謀長による「航空科創設の決定」の原動力となったのである。

歴史的決定

忘れてはならないことは、1970年代に実施された将校人事管理システムに関する研究において、軍事人事方針局司令官であった陸軍少将ジョージ・パットナムが、航空科の創設を既に提唱していたことである。しかしながら、当時、陸軍参謀長であった陸軍大将バーナード・ロジャースは、その提唱を承認せず、「航空」は、戦闘兵科を支援する「輸送」機能を担う「基本特技」の1つに過ぎず、操縦士を「航空を主たる特技とする者」として位置づけた。この決定は、正しい方向に向けた一歩ではあったが、根本的な解決をもたらすものではなかった。ただし、この初期段階の研究は、将来を見据えたものであったことが明らかであり、1982年の航空システム・プログラム再検討の結果に大きな影響を与えたのである。
 ロジャース大将の「航空」を「基本特技」の1つに位置づける決定から約4年後の1983年4月12日、陸軍長官であった陸軍大将ジョン・O・マーシュは、「航空科を陸軍の基本兵科とする」という陸軍参謀長エドワード・C・メイヤーの提案を承認した。約40年間にわたり検討されてきた構想が、やっと 日の目を見たのである。
 そして今、陸軍航空は、航空科25周年という、新たな区切りを迎えようとしている。
 この間、我々は、世界中のあらゆる場所に派遣され、数々の戦闘を経験してきた。グレナダ、エルサルバドル、パナマ、ハイチ、ソマリア等の紛争や、「砂漠の嵐」、「不屈の自由」及び「イラクの自由」という重要な作戦を経験し、さらには、世界各地における平和維持活動や津波、トルネード及びハリケーン発生時の人道支援任務に継続的に派遣されてきた。これらの経験を通じ、陸軍航空科は、共に戦った陸海空軍のあらゆる兵科及び軍種の戦友に対し、我々がどの兵科にも負けない、然るべき地位を占めていることを証明してきたのである。

結節を祝う

2007年にアトランタで開催されたAAAAの50周年祝賀会は、過去最大規模の全国大会となった。2008年の全国大会は、ワシントンD.Cで開催され、陸軍航空科25周年祝賀会を行うべく準備が進められている。

編集者注:少将(退役)カール・H・マクネアジュニアは、初代の陸軍航空科指揮官であり、元AAAA議長であり、陸軍航空名士の一員であり、かつ、2008年AAAA全体会議の計画委員長である。

※ 1962年、ハミルトン・H・ハウズは、「ハウズ委員会」として知られる研究を指揮し、空中機動の考え方を起案・検証した。

           

出典:ARMY AVIATION, Army Aviation Association of America 2007年12月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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