米陸軍航空の日本における兵力の節用
在日米陸軍は、創隊以来、その兵力を最小限に保ってきた。日本は、複雑な海岸線に囲まれ、山地が多い島国であり、平地の大部分が都会や農地で占められ、大規模な機動訓練のできる地域は限られている。日本の陸上自衛隊は、訓練を実施するための演習場の不足に悩まされつつも、最新の装備を保有し、高い練度を維持している。
このような状況を踏まえ、在日米陸軍は、古くから米日両国の関係を重視しつつ、日本における戦域兵站拠点の維持及び各種戦域支援任務の継続に努めてきた。
歴史的背景
在日米陸軍航空は、長きにわたる輝かしい歴史を有している。
第2次世界大戦後に日本を占領した米陸軍は、東京を本拠地とする極東コマンド航空部を編成した。極東コマンド航空部の任務は、陸軍の航空能力をもって、日本における指揮官及び幕僚の航空輸送、緊急航空患者後送、緊急再補給、航空写真撮影及び航空偵察、その他の特別な任務等を実施することであった。
その後、極東コマンド航空部は、米陸軍航空日本派遣隊と改称され、キャンプ座間に移転して部隊規模や装備機が変更になった。ただし、その任務はほとんど変更されなかった。米陸軍航空日本派遣隊の装備機は、その後もたびたび変更され、スティンソンL-5、エアロノカL-16、ナビロンL-17、デ・ハビランドL-20、ビーチL-23及びビーチ1900といった固定翼機から、ベルH-13、OH-58及びUH-1といったヘリコプターへと変遷を遂げてきた。
1987年に米陸軍航空日本派遣隊は、第78航空大隊に改編された。それからの10年間で、第78航空大隊の任務は、それまでの要人空輸、人員輸送、患者後送等に加えて、日本の本土及び沖縄に所在する地上部隊に対する限定的な戦術的訓練を行うようになってきた。この間に、UH-1Hヒューイ・ヘリコプター及びC-12A/Jヒューロンが退役し、UH-60Aブラックホーク及びUC-35サイテーション・ジェットが就役した。なお、UC-35サイテーションは、第52航空連隊第6大隊A中隊(訳者注:大韓民国のキャンプ・ハンフリーズに所在する航空部隊)に配備されているが、運用上は第78航空大隊の指揮下にある。
極東においては、冷戦が終結する一方で無法国家及び非国家テロ組織の脅威が増大したが、在日米陸軍はその規模を大きくすることなく、伝統的な役割を果たすだけの部隊から、各種事態への派遣に即応できる強靱な部隊へと変革を遂げてきた。米陸軍航空もまた、第78航空大隊という単一の部隊だけでこの変革を実現し、あらゆる任務を折衷させながら実現することに成功してきた。
指揮及び統制
2007年の第1軍団(前方)(形式的には、ワシントン州フォート・ルイス所在の第1軍団に隷属している)の創設は、第78航空大隊の航空支援任務の実施要領に劇的な変化をもたらした。第1軍団(前方)は、規模は小さいものの、前方に配置され、迅速な展開が可能で、かつ近代的な指揮所であり、日本の防衛及び太平洋地域における各種不測事態発生時には、すみやかに部隊を展開し支援することができる。人道的支援及び災害派遣、又は太平洋地域における小規模紛争に対しては、48-96時間で展開を完了し、指揮統制の中枢として機能できる能力を有している。なお、米国太平洋軍司令官は、人道支援及び災害派遣又は小規模紛争に際し、第1軍団(前方)を増強し、太平洋軍の司令部に統合することができる。
第78航空大隊は、第1軍団(前方)と密接に連携し、地域紛争及び人道支援及び災害派遣行動を支援するための展開に備えている。航空機は、必要な自己防護装置及び武装を装備しており、いかなる作戦区域においても航空支援を行うことが可能である。
第78航空大隊は、最近になって、4機のUH-60をタイに展開し、多国間共同訓練「コブラ・ゴールド」を支援するため、150時間以上の飛行を実施して、指揮官、要人及び訓練参加者に対する全般支援を行ったが、この間、95%の作戦可能率を維持した。タイへの航空機及び関連器材の輸送は、戦略海上輸送により実施された。本訓練への参加は、第78航空大隊にとって数年ぶりの運用展開となった。
相互運用性
第78航空大隊は、第1軍団(前方)だけではなく、沖縄に所在する陸軍及び米海兵隊に対しても航空支援を実施している。このため、1,400キロメートル以上離れた沖縄の嘉手納空軍基地にUH-60ブラックホークを常駐させ、第1特殊部隊群第1大隊及び第10地域支援群と、空挺降下、兵員輸送、リペリング、ヘリキャスティング(訳者注:ヘリコプターから水中に飛び降りる接敵手法)、機外搭載、消防隊及び搭乗員としての行動等の協同訓練を実施し、在日米陸軍及び第1軍団(前方)に対する支援任務の遂行能力の向上を図っている。
また、UC-35サイテーションは、日本全土、朝鮮、フィリピン、クェゼリン環礁(訳者注:ハワイの南西3,900キロメートルに位置する世界最大級の環礁であり、米軍のミサイル試験場がある)、グアム、カンボジア、サイパン、オーストラリア、東チモール、タイ及びマレーシア等の太平洋地域における長距離輸送を実施し、在日米陸軍及び第1軍団(前方)の任務遂行に貢献している。さらに、「フィリピンにおける不朽の自由作戦」(訳者注:対テロ戦争の一環として行なわれている、フィリピンミンダナオ島と周辺海域での不朽の自由作戦)に対する飛行支援を継続的に実施している。
人道的支援
第78航空大隊は、要人空輸、患者後送、機外物資空輸並びに米軍人及び国防省事務官等の空輸等の航空輸送任務を遂行し、在日米陸軍を支援している。
日本及び極東に居住する者にとって、自然災害は常続的な危険要因であり、特に地震及び津波は非常に大きな脅威となっている。
日本は、1923年に関東大震災と呼ばれるマグニチュード7.9の地震に見舞われ、地震により発生した大火災により東京の大部分が焼失し、14万2千人以上の人々が死亡した。近年においても、1995年に発生した阪神大震災(マグニチュード6.8)により、神戸市内及びその近郊の6千400人の住民の命が奪われ、その被害額は10兆円に上った。
第78航空大隊は、地方自治体及び陸上自衛隊と緊密に連携し、重大な自然災害の発生時には、航空支援を供給する。人道支援及び災害派遣は、第78航空大隊の日本における航空運用の主たる目的であり、8時間以内に2万3000食の非常食又は7万6000リットルの水を自然災害による被害を受けた住民に輸送することが可能である。
第78航空大隊は、常日頃から人道的支援及び災害派遣のための訓練を実施しており、米国の医療チームを災害現場に空輸し、負傷者を被支援国の医療機関まで空輸し、被支援国の医療施設の屋上着陸点へのヘリコプターでの着陸を訓練するとともに、軍と日本政府との人道的支援及び災害派遣実施手続きの検証を行っている。
米国の支援が必要となるような自然災害が発生した場合、補給品のほとんどは、米海軍の艦船により日本に供給される。第78航空大隊は、支援物資や負傷者を日本沿岸で作戦を支援する米海軍艦船に輸送する任務を有している。また、第78航空大隊は、非戦闘員避難作戦の支援についても訓練を実施している。
共 同
各種イベントや訓練を通じて日本のカウンターパートとの二国間関係を強化することは、第78航空大隊の重要な任務のひとつである。第78航空大隊は、通常、1年間におよそ50回の共同イベントを実施しており、部隊等間の交流、語学交流、航空科部隊の訪問、人道支援及び災害派遣訓練、航空安全会議、報道及び地元関係者との交流、航空祭参加、野外訓練実施中の自衛隊航空部隊の訪問及び助言等を行っている。これらの交流訪問により、日米間の軍事的関係は、今後も強化されてゆくであろう。
これらの共同訓練は、また、将来の作戦において核となるべき操縦士及び支援要員の育成に役立っており、米陸軍と自衛隊が、大部隊をもって共同作戦を遂行なければならない場合において、他の将兵に対し、重要な知識をもたらしてくれることであろう。
第78航空大隊が他の陸軍航空部隊と大きく異なっているのは、非常に少ない人員及び装備でありながら、山地、市街地及び海上という変化に富んだ地形において多種多様な任務を効果的に遂行できる能力を有しているということである。通常の全般支援航空大隊が30機以上の航空機と300人以上の人員で編成されているのと異なり、第78航空大隊は、5機のUH-60Aブラックホーク・ヘリコプター及び50人の人員並びに配属された3機のUC-35ウルトラ・ジェットだけで、同等の任務を遂行している。
第78航空大隊は、極東における兵力節用の見本を示していると言えよう。
陸軍中佐 ディビッド R.アップルゲートは、キャンプ座間の第78航空大隊の指揮官である。
出典:ARMY AVIATION, Army Aviation Association of America 2010年06月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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第78航空大隊は、現在は、在日米陸軍航空大隊(U.S. Army Aviation Battalion Japan)と部隊名が変更されています。