AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

C-12におけるドアの不完全閉鎖

上級准尉4 トーマス・E・マクナルティ

物語の始まりは、2008年10月のことでした。私は、アラバマ州ドーサンでフライト・セーフティー・インターナショナル社が実施していたC-12陸軍航空課程を卒業し、固定翼機操縦要員となりました。そもそも、私が固定翼操縦資格を得ることになったのには、いくつかの偶然が重なっていました。

最初の偶然は、数ヵ月後に予定されていた州内での異動に備えて、固定翼機操縦課程への入校が決まったことでした。それは、単に州兵のC-12固定翼機部隊のニーズによるものでした。ところが、クウェートに9ヵ月間派遣される部隊への配置を希望していたパイロット1名が、派遣準備のための最終段階の身体検査で不合格になってしまったのです。にわかに別の固定翼機パイロットの必要性が持ち上がりました。驚くべきことに、上級部隊は、その交代要員に私を選定し、その卒業を繰り上げて、クウェート国際空港までの片道の要員派遣機に乗せたのです。そんなやり方で、要員の交代が完了しました。

卒業の繰り上げにより受講できなかった課目は、固定翼機への機種転換に伴う飛行安全に関する課目だけで、固定翼機のニュアンスを学ぶのに十分な12週間の教育が終了していました。その大部分は、回転翼機操縦士として既に精通していた知識と変わりませんでした。ただし、100ノットの対気速度で着陸することと、標準的な進入における光景の見え方に慣れるのには、少し時間がかかりました。教育は順調に進み、卒業の数週間後には、新しい部隊に配属されるための要員派遣機に乗り込んでいました。

初めて固定翼機部隊に配属される私には、はたしてこれからどんなことになるのか想像もつきませんでした。派遣国でのC-12の任務は、VIP空輸または「ODIN(Observe, Detect, Identify and Neutralize, 観測, 検知, 識別, 無効化)」のいずれかでした(私の部隊の任務は、VIP空輸でした)。

私の部隊では、数ヵ月前から1名のパイロットが欠員となっていました。このため、着隊後、直ちに練成訓練が開始されました。その訓練の目的は、私をできるだけ早くレディネスレベル1(訳者注:米陸軍におけるパイロットの訓練練度の段階。3段階に区分されており、レディネス・レベル3は操縦技術は修得しているが戦術的訓練は実施していないレベル、その上のレディネス・レベル2は特定の機種について操縦技術及び戦術を修得しているレベル、最上位のレディネス・レベル1は派遣を予定している地域の環境に適合した訓練を終了しているレベルである。)に引き上げ、パイロットの不足を解消し、航空機の運航に余裕を得ることでした。なんと、戦場に派遣されてから2週間で、慣熟訓練、地域の特性に関する教育、指揮官による技量評価およびレディネスレベル練成訓練を完了してしまいました。私は、あっという間に戦場における運用任務に適合すると認定されたパイロットにされてしまったのです。

そうはいっても、最初の1ヵ月間は、教官操縦士たちと一緒に飛行するように考慮してくれました。教官たちは、その間の私の操縦に満足してくれたようでした(少なくとも、彼らが生気を失うような事態は起こりませんでした)。その後は、他のパイロットたちと同じように任務を割り当てられるようになりました。アリー・サーリムからバグダッド、バーレーン、カタール、シリアなどへの典型的なVIP任務を何件かこなしました。2つ星や3つ星の将軍たちが、あたかも昨日そこに到着していなければならなかったかのように急いていたこと以外には、何も問題がありませんでした。

それでは、問題の飛行について、お話ししましょう。それは、到着を非常に急ぐ乗客を乗せ、早朝に離陸する任務でした。乗客の搭乗は、いつもどおりに行われました。副操縦士である私は、機長がエンジン始動を行っている間に、乗客の搭乗と荷物の積み込みを手伝っていました。

乗客の手荷物の固定が終わると、あとはキャビンドアを閉鎖するだけです。簡単そうに聞こえませんか? 通常は、そのとおりです。ところが、プル・ストラップ(引綱)を引いてドアを閉める際にそれをドアに挟みこんでしまい、ドアの閉鎖が不完全だったのです。そのことは、点検口からドア・ハンドルの状態を確認さえすれば、分かるはずでした。確かに点検口は確認したのですが、暗くてロック機構が適切に作動しているかどうかが、はっきりと見えませんでした。多分大丈夫だろうと思った私は、向こう見ずなことにもしっかりとした確認をせずに済ませてしまったのです。操縦席に飛び移って、点検を終了すると、管制塔から地上滑走と離陸の許可をもらいました。

その日は、ラッキーだと思っていました。バーレーンまで約45分間飛行する、この任務だけで終わることになっていたからです。高高度への上昇が許可されるまでの約10分間は、すべてが順調に進んでいました。しかし、2回目の上昇を行っている最中に、突然、キャビンドアの注意灯が点灯しました。

最初に頭をよぎったのは、「私のせいだ!」、そして「ロック機構が作動していることをちゃんと見なかったからだ!」ということでした。見るには見たのですが、しっかりと確認していなかったのです。機長から「ドアを閉めた時に確認したのか?」と聞かれた私は、そうしなかったことを正直に白状しました。

直ちにドアが閉まっていることを操縦席から確認し、乗客に対し、座席ベルトを締めたままにするように指示しました。そして、予定していた18,000フィートまでの上昇は、中止しました。避けなければならないことは、ドアを開放する原因となる与圧を行うことでした。与圧をしなくていいようにしなければなりません。すぐに航空管制官に連絡し、高度を下げることを要求しました。加えて、ドアが不時開放した場合に備え、乗客の着席と手荷物の収納状態を確認しました。

ドアの開放を心配し続けたそれからの25分間は、私の人生で最も長く感じられた時間でした。幸運なことに、飛行中にドアが開放することはありませんでした。無事にバーレーンに着陸した後、機長が確認すると、ドアのプル・ストラップがドアに挟まっており、ドアの閉鎖状態を示す合いマークが1/4インチずれていることが分かりました。

その日、私は別な意味でラッキーでした。重大な失敗をしてしまったにもかかわらず、航空事故を引き起こさずに済んだからです。それからは、キャビン・ドアを閉めさせてもらえる場合には、たとえ2分間かかったとしても、ライトを使って、ドアが完全に閉鎖され、合いマークが合っていることを確実に点検するようにしています。

                               

出典:FLIGHTFAX, U.S. Army Combat Readiness Center 2021年01月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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1件のコメント

  1. 管理人 より:

    米陸軍では、固定翼機の操縦課程は、民間に委託しているんですね。
    固定翼機部隊への初めての配属先が戦場というのも、驚きです。