MV-22B墜落事故航空事故調査報告書(2023年8月27日、オーストラリア)認定した事実(部分訳)
訳者注:(翻訳省略)と記載されているのは、原文には記載されていますが翻訳を省略した部分です。
太字の装飾は、訳者によるものです。
A. 計画立案
1. 当該飛行任務は、オーストラリア国防軍が主導する「プレデターズ・ラン」と呼ばれる演習の中で実施された。[添付資料(7)]
2. 2023年8月10日、ダーウィン海兵隊ローテーション部隊の「プレデターズ・ラン」への関与を網羅した確認ブリーフィングがダーウィン海兵隊ローテーション部隊指揮官に対して実施出された。[添付資料(7)]
3. ダーウィン海兵隊ローテーション部隊指揮官 は VMM-363(増強) の「プレデターズ・ラン」への参加を承認した。[添付資料(7)、(66)]
4. ダーウィン海兵隊ローテーション部隊指揮官に対して実施された「プレデターズ・ラン」の確認ブリーフィングにオーストラリア国防軍の職員は関与していなかった。ただし、その職員は、ダーウィン海兵隊ローテーション部隊航空戦闘部隊および地上戦闘部隊との計画および命令プロセス全体に関与していた。[添付資料(66)、(67)、(15)]
5. 「プレデターズ・ラン」確認ブリーフィングは、「プレデターズ・ラン」に参加に関する ダーウィン海兵隊ローテーション部隊の計画を反映したものであったが、飛行任務の細部機動計画を網羅したものではなかった。[添付資料(7)]
6. 「プレデターズ・ラン」の確認ブリーフィングでは、戦術的なリスクレベルや計画されているリスク軽減策については触れられなかった。[添付資料(7)]
7. 確認ブリーフィングの時点では、VMM-363(増強) のMV-22B×1機のみが「プレデターズ・ラン」を支援する予定であり、残りの必要な支援はオーストラリア空軍のC-27Jが提供することになっていた。2023年8月24日、オーストラリアのC-27Jが任務から外れたため、支援勢力は2機のMV-22B(1個班)に増加した。[別添(7)、(112)、(114)]
8. ダーウィン海兵隊ローテーション部隊の指揮官は、この変更を認識し、承認した。[添付資料(54)、(66)、(68)]
9. 患者後送支援は部外機関との契約によって提供されることになっていた。[別添(7)、(67)、(68)]
10. ノーザン・テリトリー州での訓練では、MV-22B が現地の病院の近くに着陸できないなどのさまざまな理由から、米国本土での訓練と同様に、契約による患者後送が適切である。[添付資料(67)]
11. オーストラリア空軍の要員が「プレデターズ・ラン」の演習統裁官を務めており、事故発生当時、予定降着地域付近には演習統裁官およびロール・プレイヤーがいた。[添付資料(7)、(15)]
12. 事故発生前の数日間にわたって、航空戦闘部隊および地上戦闘部隊による作戦会議が複数回開催され、飛行任務の細部計画が決定された。[添付資料(19)、(20)]
13. 飛行隊副隊長、事故機の機長、および MV-22編隊は、飛行任務の細部計画の立案には参加していなかった。[添付資料(19)、(20)]
14. 強襲編隊長(被教育)である編隊長(被教育者)(長機の機長)および事故機の副操縦士は、エスコート編隊長と連携して、強襲編隊長/エスコート編隊長ブリーフィングで説明された飛行任務の細部計画の大部分を立案した。[添付資料(8)、(19)、(20)]
15. 事故機の機長は、飛行任務の前夜に行われた 強襲編隊長/エスコート編隊長ブリーフィング、および飛行当日の朝に行われた 作戦担当士官ブリーフィングに参加した。[添付資料(19)、(20)]
16. 事故発生編隊はMV-22Bオスプレイ1個班で構成されていた。(*1)先導機(長機)のコールサインはダンプトラック11(ダンプトラック11)で、長機の事故機の機長および副操縦士が操縦していた。僚機(2番機)であった事故機のコール サインはダンプトラック12であり、事故機の機長および副操縦士が操縦していた。なお、事故機の機長は飛行計画に基づく班長(*2)に任命されており、長機の機長(編隊長被教育者)に対するクロスコックピット指導(*3)を実施していた。したがって、事故機の機長は、編隊の指揮に全責任を負いながらも、長機として位置したことは一度もなかった。[Encl (19)、(20)、(26)、(57) (99)]
*1 参考文献(e)によれば、オスプレイの1個班はMV-22B機2機で構成される。
*2 MV-22B班長は、あらゆる状況下で飛行隊のあらゆる任務を遂行する際にMV-22B班を指揮する資格を完全に備えたティルトローター機の機長である。
*3 クロスコックピット指導とは、教官がある航空機に搭乗し、指導を受けるパイロットが別の航空機に搭乗して行う指導のことである。
17. 事故発生編隊は、AH・UHの混合部隊(AH-1Z 1機とUH-1Y 1機)によって支援されていた。[添付]
18. 強襲編隊長/エスコート編隊長ブリーフィングおよび「プレデターズ・ラン」確認ブリーフィングのいずれにおいても、どの人員がどの航空機に搭乗するか、または航空機1機あたり何名搭乗するかは明らかにされなかったが、事故発生編隊は、航空機の収容能力を最大化しつつ、降着地域に一度に着陸する人員の数に関する地上戦闘部隊の要望との調整を図るため、第1波で投入されるMV-22B1機あたり19名の人員を搭乗させることを計画していた。[添付資料(7)、(8)、(18)、(19)、(20)]
19. 離陸から着陸までの飛行予定時間は20分であった。[((8)、(11)、(18)、(19)、(20)を含む]
20. 目標地域外に計画された待機地域は、目標地域に入る前の最終的な調整や、気象条件や航空機の状態により安全に着陸できない場合に、必要に応じて余分な燃料を消費させるために使用することになっていた。[添付資料(8)、(20)]
21. 最も重い航空機の重量および航空機あたりの搭乗者数に基づき、事故発生編隊の計画立案者はバッテリー燃料量(*4)を7,500ポンドと計画した。[別添(8)]
*4 バッテリー燃料量は、エンジン始動前にバッテリーをオンにしたときの航空機の燃料量と定義される。
22. 高度の競合回避は、事故発生編隊およびAH・UH セクション間を200フィート分離するように計画された。事故発生編隊は、平均海面高度700 フィート以下で飛行し、AH・UH セクションは平均海面高度900フィート以上で飛行する。経路の競合回避は、AH・UHが戦闘位置に配置され、事故発生編隊の経路は戦闘位置を回避するようにその西側に設定された。[添付資料(8)、(19)、(20)、(26)]
23. 降着地域への着陸方式は、逆梯団着陸で計画されていた。これにより、着陸前に長機は事故機の北側後方に位置する。事故機は長機の南側前方に接地することになる。[添付資料(8)、(19)、(20)]
24. L時(*5)は0920に予定されていた。[添付資料(58)]
*5 L時は、編隊の最初の航空機が着陸地帯に着陸した時刻と定義される。
25. 計画プロセス全体を通じ、地上戦闘部隊は、オーストラリア空軍機およびMV-22の利用可能機数、ならびに任務に投入される海兵隊員の総数に応じて、計画を何度も変更した。[添付資料(18)、(19)、(20)、(20)、(27)、(112)]
26. 当初の計画では、地上戦闘部隊の要員を投入するためにオーストラリア空軍のC-27の支援を受ける予定であった。最終計画の段階で、C-27の「レッド・ストライプ」によりオーストラリア空軍のC-27による支援が中止されたため、状況に変化が生じた。(*6) [添付資料(18)、(19)、(27)、(28)、(112)]
*6 「レッド・ストライプ」メッセージとは、さまざまな理由により特定の種類の航空機の飛行を停止する通知である。これには、飛行安全上の理由によるものや予防整備の実施によるものが含まれる。
27. 航空戦闘部隊および地上戦闘部隊の計画立案者は、人員1人あたりの重量を300ポンドとして計画していた。[添付資料(18)、(19)]
28. これまでの空中戦闘部隊と地上戦闘部隊との統合訓練において、計画立案のために地上戦闘部隊の人員を個別に計量することを指揮官が議論したり指示したりしたことは一度もなかった。[添付資料(18)、(19)、(27)、(28)]
29. 事故発生編隊の承認された任務は、「プレデターズ・ラン」という任務名の下、ピッカータラムーア飛行場への海兵隊の戦術的投入を実施することであった。計画されブリーフィングで説明された進入要領は「右戦術90度進入」であった。承認された飛行は、合計3ソーティーで各機4.0 時間の飛行であった。[添付資料(7)、(8)、(99)]
30. 強襲編隊長およびエスコート編隊長による合同任務ブリーフィングは、事故発生前夜の17:15頃にから開始され、18:00から18:30頃に終了した。事故機の機長を含め、事故発生編隊のパイロット全員が出席した。[添付資料(19)、(20)、(26)]
B. 飛行任務
*7 事故発生中および事故直後(セクションBおよびCで説明)には、多くの事象が同時またはほぼ同時に発生したが、それらに関する証拠には異なる内容のものがあった。したがって、発生した事象の時系列を正確に再現することは不可能であり、調査チームは事象が同時に発生した時期に注目してきた。
31. 2023年8月27日午前5時30分、長機の副操縦士は宿舎を出発し、残りの事故発生編隊搭乗員をピックアップし、作戦担当士官ブリーフィングに向かった。[添付資料(20)]
32. 長機の機長は0540に長機の副操縦士にピックアップされ、その後すぐにクルー・チーフ全員がピックアップされた。[添付資料(20)、(22)、(21)]
33. VMM-363(増強) は、2023 年 8 月27日 (日曜日) に 事故発生飛行の実施を予定した。飛行隊は通常、日曜日に飛行を予定することがなかったため、8月27日の飛行に合わせて整備シフトのスケジュールが調整された。飛行隊が隊員に休務を与えていた期間であったため、事故発生前夜にナイト・シフト整備は行われなかった。通常 2400に開始されるモーニング・シフト整備は、事故発生編隊の集合時間である0600まで開始されなかった。0600には、すべてのモーニング・シフト要員が集合を完了した。[添付資料(22)]
34. 事故当日の作戦担当士官は、6月下旬にオーストラリアでVMM-363(増強)に加わったAH・UH分遣隊の構成員であった。飛行隊に加わったAH・UH派遣隊のパイロットに対する訓練は2023年7月17日に実施されたが、飛行隊には訓練参加者の記録が残されていなかった。事故発生日の作戦担当士官は、その訓練には参加しておらず、親部隊である米国本土の海兵隊軽攻撃ヘリコプター(HMLA)飛行隊の手順を使用したと推定される。VMM-363(増強)の作戦担当士官バインダー(添付資料52)には、その手順を示す資料が残されていた。[添付資料(29)、61、22)]
35. 0605頃、作戦担当士官は、事故発生編隊に出発飛行場であるオーストラリア空軍ダーウィン基地(YPDN(*8))の気象予報を説明した。これは、予定離陸時刻が0900の場合の作戦担当士官による標準的なブリーフィング実施時間に準拠していた。[別添(6)、(19)、(20)、(117)]
*8 YPDNはオーストラリア空軍ダーウィン基地の空港コードである。
36. 作戦担当士官ブリーフィングで説明されたのは、ダーウィンの気象のみであった。予定降着地域であるピッカータラムーア飛行場の気象については、一切報告されなかった。[添付資料(20)]
37. 作戦担当士官ブリーフィングにおいて、バードストライクの危険度は低いと説明されたか、あるいは説明されなかった。[添付資料(19)、(20)、(26)]
38. 目撃者の証言によると、事故当日の朝の作戦担当士官のブリーフィングには異常はなかった。[添付資料(20)、(21)、(29)]
39. 作戦担当士官ブリーフィングの終了後、事故発生編隊クルーは飛行隊の安全・標準化班の建物に移動し、編隊長(被教育者)が実施する事故発生編隊のセクションリーダー・ブリーフィングに参加した。(*9) [添付資料(19)、(20)、(22)、(21)]
*9 作戦担当士官ブリーフィングが行われた運用班の建物と安全・標準化班の建物は、互いに隣接して位置する仮設建造物である。
40. 0615に事故発生編隊セクションリーダー・ブリーフィングが始まった。事故発生編隊のセクション・ブリーフィングの主な内容は次のとおりであった。
a. 事故発生編隊計画立案者から整備班への任務機に必要な燃料搭載量の伝達が遅れたため、計画された離陸燃料量と実際の燃料量に差異が生じることになった。計画されたバッテリー燃料量は、各機7,500ポンドであった。実際の燃料量は、9,500ポンドであった。
b. 各降着地域への着陸は、右90度旋回の戦術的進入要領で行うことが計画された。しかし、各機の90度の旋回は、いずれも正確に90 度ではなく、「非標準」の要領であると説明された。事故機の機長は、各機の進入計画について、編隊長(被教育者)に質問し、確認した。[添付資料(19)、(20)、(22)、(21)]
41. 事故発生編隊セクションのブリーフィングは、0700頃に終了した。[添付資料(19)、(20)、(22)、(21)]
42. セクション・ブリーフィングに続いて、事故機の搭乗員は場所を移動し、参照 (d) で要求されている訓練運用手順に基づくクルー・ブリーフィングを実施した。[添付資料(112)]
43. 事故機の機長は、参照(d)で要求されている、離陸前に事故機の完了した署名済みの搭載重量計算書を作戦担当士官に提出するという手順を実行しなかった。[添付資料(29)]
44. 事故機の機長は、離陸前に義務付けられていた、事故機の記入済みかつ署名済みの運航リスク評価ワークシートを作戦担当士官に提出するという手順を実行しなかった。(*10) [添付書類(29)]
*10 認定した事実42と43については、作戦担当士官が事故当日にすべての搭載重量計算書およびリスク評価ワークシートを受領したという証言をくつがえした。事故機に関するこれらの文書は存在しなかった。
45. 編隊長(被教育者)は、離陸前に作戦担当士官に長機の署名済みの搭載重量計算書およびリスク評価ワークシートの双方を提出した。(*11) [付録(19)、(29)]
*11 セクションリーダー(またはこの場合は指示を受けたセクションリーダー)が双方の航空機の搭載重量計算書を提出するのが一般的であるが、飛行する各航空機の機長が出発前に荷重計算書とリスク評価ワークシートの双方を確認して署名するという最終的な責任が免除されるわけではない。46. 作戦担当士官は、離陸前に搭載重量計算書やリスク評価ワークシートを受け取るため、離陸を遅らせたり、事故機の機長や事故機の副操縦士との連絡を試みたりすることは一度もなかった。これらは、作戦担当士官としての権限と責任の範囲内の行為であった(*12)。[添付資料(29)、(65)、(52)]
*12 添付書類(52)には、「作戦担当士官は、指揮官の意思を直接反映/代表する。それに従って自分自身および飛行隊の任務を遂行せよ。作戦担当士官は、上番中に起こるすべての事象に責任を負う。」と記載されている。
47. 作戦担当士官は、 VMM-363(増強)における作戦担当士官の手順について正式な訓練を受けていなかったが、事故機の機長がリスク評価ワークシート および搭載重量計算書を提出する必要があることは認識していた。にもかかわらず、事故機の機長が必要な書類を提出しなかった際に、飛行開始を遅らせたり、機長に連絡を取ろうとしたりすることはなかった。[添付資料(29)]
48. 各機に予定以上の燃料が搭載されていたため、両機の搭乗員は、離陸前にできるだけ多くの燃料を消費するため、SOP(作戦規定)に示された離陸前30分よりも早くそれぞれの機体に搭乗する予定であった。[添付資料(19)、(20)、(21)、(22)]
49. インタビューを受けた目撃者の中に、事故機の機長が航空機に搭乗する前にCNAF M-3710.7 Ch. 10.2.1(*13)で要求されている航空機整備記録の確認を行うのを視認した者はいなかった。[添付資料(19)、(20)、(85)]
*13 CNAF M-3710.7 Ch 10.2.1には、「機長は過去10回の飛行における航空機の不具合および処置の記録を確認しなければならない」と規定されている。
50. 各機の搭乗員は離陸の45分前に搭乗を開始した。[添付資料(19)、(20)、(21)、(22)]
51. 人員・安全ブリーフィングは、0810頃に 事故機クルー・チーフが実施した。その内容には、救命負舟の着脱手順、緊急脱出口の位置、および脱出手順が含まれていた。[添付資料(18)、(22)、(60)]
52. 長機は0816までに人員の配置を完了した。[別添(19)、(20)]
53. 長機には、バッテリーを作動させた時点で9,500 ポンドの燃料が搭載されていた。[添付資料(20)]
54. 整備資材管理士官によると、事故機の機長は、事故発生日の朝、整備管理班で、その月の初めのゴールドコースト航空ショーで機長が実施した支援について、整備資材管理士官と話し合った。会話は約15~20分間続いた。事故機の機長は、整備資材管理士官に携帯電話で航空ショーの写真を見せながら会話に夢中になっていた。整備資材管理士官は機長に、自分の機体の飛行準備に向かうべきではないかと尋ねた。[添付資料(85)]
55. また、午前中の予定が迫る中、会話が長過ぎるという意見も述べた。[添付資料(85)]
56. 長機に発生した故障の故障探求のため(*14)、離陸のための地上滑走の開始が約10分遅延した。その結果、編隊長(被教育者) は、当該任務を1機のみで実施するか、または両機が交互に目標地域に進入する必要があると判断した。そのうえで、事前にブリーフィングされていたバンプ・プラン(*15) の実行を指示し、任務の搭載人員の優先を長機から事故機に移行させた。[Encl (19)、(20)、(22)、(21)、(18)]
*14 長機は飛行制御システム(FCS)の飛行前のBIT(器材に組み込まれた試験機能の実行)に失敗した。
*15 バンプ・プランとは、任務遂行中に利用可能な攻撃支援航空機の数が計画より少なくなった場合に行う決心であり、編隊長および機上任務指揮官が利用可能な航空機間で編隊内機番を入れ替えるための細部計画を実行する。この計画は、任務要求に基づいて計画立案中に策定される。
57. 地上滑走が遅延している間、長機の搭乗員はAPU(補助動力装置) を運転させて燃料を消費し続けた。[添付資料(20)]
58. 編隊長(被教育者)は、証言の中で、この任務を完遂し、自分自身の訓練および即応性認証を取得しようとして (内部または外部から)プレッシャーを感じたかという質問に対し、「はい感じました。しかし、任務を完遂しようと自分を追い込むほどではありませんでした」と述べた。[添付資料(19)]
59. 優先される搭乗者がバンプ・プランを実行している間に、長機の整備上の問題が解決した。このため、編隊長(被教育者)は、バンプ・プランの完了後、時間的に区切られた単機としてではなく、予定より10分遅れではあるものの、計画どおりの飛行を実行することを決定した。[添付資料(19)、(20)]
60. 整備上の問題およびバンプ・プランの実行により、ダーウィン・オーストラリア空軍基地からの離陸が予定よりも10分遅れた。[添付資料(19)、(20)]
61. 長機の搭乗員は、離陸前にコックピット管理システムを使用して性能計算を行い、現在の重量および搭載状況において、予定されているメルヴィル島の滑走路である降着地域への着陸に必要な余剰馬力(*16)が確保できるかどうかを確認した。[添付資料(19)、(20)]
*16 余剰馬力とは、航空機の実際の重量と、MV-22の運用制限に到達する最初の制限値との差として定義される。
62. 長機の副操縦士は、証言において、性能計算を実行するためにコックピット管理システムに入力した重量についての質問に対し、「搭載人員 1名あたり 300 ポンドです。これはオーストラリアの VMM-363(増強) で使用されている標準計画係数です」と答えた。[添付資料(20)]
63. 長機の副操縦士は、この性能計算にその時点での燃料重量である8,900ポンドを使用し、編隊長(被教育者)および長機の副操縦士の両者は、コックピット管理システムの性能計算が降着地域への着陸時に7%の余剰馬力を確保していたことを確認していたと述べている。[添付資料(19)、(20)]
64. 参照(d)によれば、視界不良状態での着陸が予想されない場合に舗装滑走路にホバリング着陸を行うためには、5%の余剰馬力が必要である。[参照(d)]
65. 離陸前に、事故機のクルー・チーフは、キャビン内の上級海兵隊員(地上戦闘部隊)であるリマ中隊副隊長/地上部隊指揮官とともに、ICS(機内通話装置)の作動点検を実施した。ICSの作動点検が完了すると、事故機のクルー・チーフは 地上部隊指揮官のICS 設定を切り替えて、事故機のICSと無線を同時に受信できるようにした。(添付(18))
66. 地上部隊指揮官は、コックピット内を見て、右席の機長が操縦操作を行っていない (航空機を操縦していない) ことを視認した。地上部隊指揮官はまた、離陸のための地上滑走中にICSを介してパイロット同士のやり取りも聞いた。事故機の機長が副操縦士に操縦したいかどうか尋ねたのに対し、副操縦士は操縦したいと答えていた。[添付資料(18)]
67. 0831から0858の間に、AH・UHの混合セクションが離陸した。0915頃、事故発生編隊が離陸した。[添付資料(102)]
68. 午前9時15分、事故発生編隊はダーウィン・オーストラリア空軍基地からナセル角60度の短距離離陸(STO)を実施し、メルヴィル島の予定目標地域および降着地域に向かって飛行を開始した。[添付資料(19)、(20)、(22)、(102)]
69. 事故発生編隊は、北へ左旋回し、ダーウィン・オーストラリア空軍基地から経路規定に従って180~190ノット、毎分1500フィートで平均海面高度 2,500 フィートまで上昇し、その後ポイント・ガンビアへ直行して、目標地域 に向かった。[添付資料(20)]
70. ダーウィン・オーストラリア空軍基地から降着地域までの飛行時間は約20分であった。離陸が10分遅れたため、余剰燃料を消費するために計画されていた待機地域は使用せず、そこを通過して目標地域に飛行を継続した。[添付資料(19)、(20)]
71. 長機の搭乗員は、証言の中で、編隊長(被教育者)は当初のL時に間に合わせるために目標地域に急いで進入しようとしたり、出発の遅れを取り戻すために急いで進入しようとしたりしていたのかという質問に対し、「編隊長(被教育者) は速度を上げて、 目標地域に急いで侵入する必要はないと言っていました」と述べた。[添付資料(19)、(20)]
72. 巡航高度2,500フィート、対気速度220ノットに達すると、編隊長(被教育者)は無線手順を適切に完了し、ダーウィン民間航空安全局に確認し、待機地域にすでに到着しているAH・UH セクションとともに、攻撃支援戦術SOPに示された戦術無線チェックイン手順を開始した。[添付資料(26)、(57)、(19)、(20)、(78)]
73. 編隊長(被教育者)は、AH・UHセクションとのチェックイン中に、搭載地域内においてバンプ・プランが実行されたときに航空機間で搭乗者が入れ替わったことを失念し、飛行が「予定どおり」であると誤って報告した。[添付資料(19)、(20)、(26)、(57)、(22)]
74. 各航空機の編隊内番号の変更は AH・UH セクションに伝達されなかった。[添付資料(19)、(20)、(26)]
75. TACAN(戦術航法システム)のDME(距離測定装置)によれば、飛行中における各航空機間の距離は約0.3マイルであり(*17)、長機の副操縦士および長機のランプに配置されたと長機の航空偵察員の報告によれば事故機は長機の左側、7時の位置を飛行していた。[添付資料(20)、(22)、(21)]
*17 0.3マイルではなく、0.3 DMEと呼ばれることが多い。
76. 長機は、平均海面高度2,500フィートから割り当てられた目標地域まで長機の副操縦士の操縦で、220ノットおよび毎分2,000フィートの標準的な速度および降下率で手動で降下した。[添付資料(19)、(20)]
77. AH・UH セクションは平均海面高度 900 フィート以上 (実平均海面高度は1,500 フィートで飛行) を飛行し、事故発生編隊は平均海面高度700 フィート以下 (対地高度約500フィート) で着陸のために目標地域に進入することが承認された。[添付資料(19)、(20)、(26)]
78. 目標地域の降着地域への進入は、参考文献(f)に規定されているように、右回り90度の戦術的進入を実行するように計画されていた。(*18) この進入諸元は、東南東(140度)からの風が予測され、AH・UHの戦闘位置との経路の競合を回避するために選択された。最終的な着陸方向は090度で、着陸への進入方向は標準進入方向からわずかに外れた350度(標準進入方向は360 度)であった。[添付資料(8)、(19)、(20)、(26)、参照文献(f)]
*18 90度の戦術的アプローチに適切なオフセットは、参考文献(f)から抜粋した図4を参照。注意:図4は左方向への90度旋回進入を示している。事故発生編隊は右方向への90度旋回進入を実行した。
79. 長機の副操縦士は、コックピットの左側に座って操縦していたが、着陸進入の諸元は、通常の範囲内にはなかった。長機の副操縦士 は、飛行後に事故機の機長からこの件について指導を受けることになると思っていた。[別添(13),(20)] 下図5参照。
80. 長機の搭乗員は、降下中および目標地域進入中に長機での搭乗員の連携に問題がなかったかという質問に対し、問題はなかったが予想どおり忙しかったと述べた。ただし、長機の副操縦士は、ブリーフィングされた計画どおりの進入経路を飛行するには、実行上、位置および方法の双方について誤りがあったことを認めた。[添付資料(19)、(20)、(22)、(21)]
81. 長機はイニシャル・ポイント内で右旋回して目標地域(イニシャル・ポイントから降着地域)に進入した。(*19) 編隊長(被教育者)は、長機の副操縦士に対し、右旋回が不適切だったので、左に戻して適切な進入コースに入るように指示した。長機の副操縦士は、正しい進路に戻るため緩やかに左旋回を始めた。[添付資料(19)、(20)、(18)]
*19 イニシャル・ポイントは、計画された降着地域または降着地点に進入する前の最終チェックポイントとして定義される。
82. 長機は、2.0マイルのコンバージョン・ポイント内に入るまで、標準経路から1.0マイル逸脱していた。(*20)[添付(13)]
*20 コンバージョンポイントとは、MV-22がエアプレーン・モードからコンバージョン・モード(脚注25を参照)への変換を開始し、航空機の着陸準備を最終的に行う時点と定義される。
83. 参照(f)によれば、長機は進入時に1.0マイルの経路逸脱を約3マイル早期に把握するべきであった。[参照(f)]
84. 長機から回収されたGPSデータに基づく長機の飛行経路を図 5 に示す。図5を参照。[添付資料(13)]
*21 図5に示されている90度進入は、編隊長(被教育者)がイニシャル・ポイントからの350度の進入方向および最終進入への右旋回のための090度の旋回進入と一致している。計画された90度進入は、MV-22B 操縦の手引 (MDG) に記載されている90度戦術進入の標準経路から逸脱している。計画された戦術的進入では、100 度の右旋回が想定される。
85. 墜落後の火災により、事故機からはGPS データを回収できなかった。[添付資料(108)]
86. 長機の飛行経路は、最終的に航空機から降着地域までの斜距離が2.0マイルの地点で1.0マイル逸脱し、その後、長機が最終進入方向に旋回するまで1.0マイル以上逸脱し続けた(最大1.3マイル)。[添付資料(13)、(19)、(20)]
87. 事故機が最終着陸方向まで旋回する間、事故機に乗っていた目撃者は、3回の急激な右旋回があったと証言している。[添付資料(18)、(23)、(60)]
88. 0928頃、90度の旋回を開始する前の進入中、長機の副操縦士は速度を落とした。この進入要領において減速することは必須であるが、長機の副操縦士は、標準とは異なる降着地域からの距離で速度を低下させた。長機の副操縦士は、減速時に事故機に対して「シュガー・コール」を行わなかった。(*22) [巻(20)、参照(f)]
*22 「シュガー・コール」とは、標準の手順や事前にブリーフィングされた事項から逸脱する場合に、長機から2番機に無線で伝える特別な口頭連絡である。参照(f)(MV-22B 操縦の手引)では、シュガーコールは要求されていない。
89. 事故発生編隊が最終着陸方向に向けて旋回を開始し、長機の速度が低下した結果、長機および事故機の距離が急激に縮まった。この状況は、事故機の副操縦士が手順に従って出力を下げ、減速およびコンバージョンを開始し、長機と一緒に編隊で最終着陸方向へ最初の急激な右旋回を開始した際に生じたと考えられる。事故機の機長は、事故機が長機に非常に接近したことに気づき、副操縦士 に「長機の真上にいるぞ」と言った。[添付資料(13)、(18)]
90. この右旋回を開始して間もなく、事故機は長機から300フィート以内まで接近した。[別添(13)、(18)]
91. 最初の右旋回の後、事故機の副操縦士は、翼が水平になるまでロールして長機から離れ、衝突を回避した。[別添(13)、(18)]
92. 事故機の副操縦士は、翼が水平になった直後に2 回目の右旋回を開始した。この旋回中に、失速の注意表示が表示されてICSに警報音が鳴り、事故機の副操縦士は再び翼が水平位置になるまでロールした。[添付資料(18)]
93. 失速の表示および警報音は、ナセル角が35度以下になると作動可能状態となる。事故機の速度、両エンジンの出力、ナセル角を空気力学的に計算した結果に応じて、失速表示とICSでの警報音が作動する。(*23)搭載重量計算書に基づいて計算すると、事故機の場合、バンク角45度で失速表示等が作動するしきい値は、指示対気速度143ノット (電源オン状態) および155ノット (電源オフ状態) になる。[添付資料(18)、(116)(*24); 参照(k)]
*23 失速警報音はナセル角が35度以下の場合で、最大使用可能揚力が約75~85%に到達した場合に作動する。
*24 添付資料(116)は、事故状況下での事故機の余剰馬力を把握するために調査チームが行った搭載重量計算書である。
94. 長機が90度の最終着陸方向への旋回を完了し、着陸に向けて進入している間に、長機の搭乗員は、事故機が右翼を下げた状態で7時の位置から8時、さらに9時の位置に移動し、その後、衝突するコースで長機に接近し始めたのを目撃した。[添付資料(20)、(21)、(57)]
95. 長機の副操縦士(長機の左席に着席)は、空中衝突を回避するために長機の出力を減じて降下率を増加させた。[添付資料(13)、(20)、(21)]
96. この出力の低下により、長機は毎分1000フィートで降下し始め、空中衝突が回避された。この間、事故機は、長機から300 フィート (0.0 DME) 以内まで接近した。事故機が0.0DME以内まで接近してから0.13秒以内に、長機の副操縦士は出力を低下させた。[添付資料(13)] (長機から回収された飛行データに基づく長機と事故機間のDME測定値を示す。事故機が墜落する前の長機の最後の1分間の飛行のタイムラインについては、下の図7を参照。)
97. 長機の航空偵察員は、振動を感じ、長機が降下して降着地域への接近を続けているときに事故機のエンジン/ローターの音が「頭上から」聞こえた。[添付資料(21)]
98. — この降下率の増加中に、長機の副操縦士は事故機がコンバージョン・モード(*25)に移行しはじめ、事故機のナセルがダウンストップから外れて垂直位置へと作動しているのを確認した。(添付(20))
*25 コンバージョン・モードは、ナセル角が1度から84度の間の状態として定義され、(それ以上に傾けた)ヘリコプター・モードと区別される。
99. 同時に、事故機内の地上部隊指揮官は、事故機の機長がICSを通じて事故機の副操縦士に「もう一度急旋回」を行うように指示し、事故機の副操縦士が3回目の右旋回を開始するのが聞こえた。キャビンにいた海兵隊員の証言によると、この最後の旋回が3回の中で最も急激であり、事故機は機首下げ姿勢で右翼をほぼ90度下に向けた状態になった。[添付資料(18)、(23)、(60)]
100. 事故機の一部の海兵隊員は、この時、ランプに横たわっていた事故機航空偵察員が地平線に対して直立しているように見えた、と述べた。[添付資料(18)、(23)、(60)]
101. この右翼を下げた機首下げ姿勢の間、事故機の機長はICSで操縦の交代を要求し、事故機の副操縦士は「ユー・ハブ」と応答し、操縦桿の操作を機長に引き渡した。地上部隊指揮官は、事故機の機長が操縦を引き継ぎ、翼が水平になるようにロールさせ、墜落に備えて「構えろ」とICSで指示するのを確認した。[添付資料(18)、(60)]
102. 長機のランプ上にいた航空偵察員は、事故機が長機の真後ろで、翼を水平にし、コンバージョン・モードで、反対方向に向かってゆっくりと降下してゆくのを視認した。[添付資料(21)]
103. 事故機の機長がICSで「構えろ」と呼びかけるのを聞いた後、地上部隊指揮官は同じ呼びかけを復唱し、隣にいた海兵隊員を手で押さえて身構えさせた。[添付資料(18)]
104. 事故機の機長は、操縦を交代した後、両手でサイクリック・レバーを引いているのが視認された。[添付資料(60)]
105. 翼を水平にした後、事故機は予定の着陸方向から約180度反対方向、磁方位で約270度 (真西) に向かっていた。[別添(21)、(26)、(57)]
106. キャビン内にいた海兵隊員は、墜落前に警報音が聞こえたと報告している。[添付資料(18)、(60)]
107. 事故機の着陸装置が下がっているのを見たという報告はない。[添付資料(21)、(26)、(57)]
108. 事故機の機長は、事故機を機首上げ姿勢にして、森林に衝突する速度を下げようとした。このため、事故機の尾部が最初に森林に衝突し、切断された。[添付資料(18)、(21)、(57)]
109. 長機の航空偵察員からは、事故機が森林の頂上に近づくにつれて機首を上げていくのが見えた。長機の航空偵察員は、事故機が森林の中へ降下し、地面に墜落して火の玉となるのを視認した。[添付資料(21)]
110. 事故機が地面に墜落したとき、ナセル角は約66度であった。[添付資料(107)]
111. 地面に墜落した後、事故機は約200フィート滑走して停止し、コックピットから始まった炎に包まれた。[添付資料(74)、(75)]
112. 事故機が地面に墜落したのは0930頃であった。[添付資料(13)、(15)、(16)、(78)]
113. 火災は、コックピット付近および翼の前方から発生し、その後キャビン後方に広がったと報告された。[添付資料(18)、(23)、(60)]
114. 長機の搭乗員は、着陸進入間、事故機からの通信はほとんど行われず、長機およびAH・UHが傍受している無線周波数で「ウェーブ・オフ」の宣言も行われなかったと述べている。(*26) [添付資料(19)、(20)、(78)]
*26 「ウェーブ・オフ」宣言とは、より良好またはより安全な条件下で着陸を再実施するために、パイロットが現在行っている着陸を中止する決定である。
115. 長機は、事故機が墜落したことを確認し、それを機内に伝達し、確認のために引き返し、その後、視界不良状態で滑走路に安全に着陸した。[添付資料(13)、(19)、(20)、(22)、(21)、(78)]
116. 降着地域に接地すると、長機の搭乗員は作戦担当士官飛行隊と連絡を取り、事故の報告を開始した。[添付資料(19)、(20)]
図7. 長機のデータに基づく、飛行の最後の1分間における長機および事故機間の距離を示すタイムライン
時間** | 事象 | 長機のDMEによる事故機までの距離 |
08:28:55 | 長機が減速を開始するために出力を低下させ、90 度右旋回の戦術的進入の実施手順を開始 | 0.6 |
08:29:06 | 長機が右バンクを開始し、350 度の着陸進入経路に進入 | 0.4 |
08:29:15 | 長機がナセル・ビープを操作してNrを8496 から 100% に増加 | 0.3 |
08:29:28 | 長機がピッチを機首上げ10度、ナセルを64度の状態で、90度の最終着陸方位に向けて旋回| | 0.4 |
08:29:33 | 長機が引き続き最終着陸方位に向けて旋回 | 0.1 |
08:29:34 | 長機が引き続き最終着陸方位に向けて旋回両機が接近したため、長機から事故機の機影は確認できず | 0.0 |
08:29:38 | 長機が引き続き最終着陸方位に向けて旋回 | 0.1 |
08:29:41 | 長機が引き続き最終着陸方位に向けて旋回 | 0.4 |
08:29:44 | 長機が最終着陸方位に機首を向け、ロールアウト | 0.4 |
08:29:47 | 長機の出力が低下、昇降計が空中衝突を回避するために急降下していることを指示。事故機が右翼を下げて長機に向かって旋回 | 0.3 |
08:29:49 | 長機の降下率が毎分1000フィート | 0.3 |
08:29:50 | 長機が出力を増加し、通常の進入降下諸元に復旧 | 0.1 |
08:29:54 | 長機が最終進入を継続 | 0.0 |
08:29:57 | 長機が最終進入を継続 | 0.1 |
08:29:58 | 長機が最終進入を継続 | 0.3 |
08:30:00 | 長機は最終進入を継続 | 0.4 |
08:30:02 | 長機は最終進入を継続 | 0.5 |
08:30:03 | 長機が最終進入を継続 | 0.6 |
注:Nrは、MV-22のローター回転速度として定義される。
117. パイロットや搭乗員に対し、目標地域内で鳥を見たかどうかを質問したところ、1人を除くすべての目撃者は目標地域内で鳥は見なかったと述べた。[添付資料(19)、(20)、(26)]
118. 目標地域内の視界は良好または制限なしと報告され、煙や大気による影響は見られず、太陽による影響もなかった。インタビュー中に正確な目視距離は記録されなかった。[添付資料(26)、(19)、(20)] (可視性を示すイメージについては、上記図3も参照。)
119. 目標地域内の搭乗員が報告した風速は東風20ノットであった。[添付資料(19)、(20)、(26)]
120. 搭載重量計算書に基づくと、事故当日に報告された風、気温、重量で 事故機を安全に着陸させるための諸元は、事前に計画されブリーフィングされた着陸方位090度で着陸する場合のものであった。事故機は、予定されていた着陸方向とはほぼ反対方向に180度旋回し、強い追い風を受けたため、必要馬力が増加し、計画されていた95%のトルク要求を超えていた。追い風が加わったことで、航空機の必要馬力は99%となり、地面効果外ホバリング時のトルクマージンはわずか1%しか残っていなかった(*27)。[添付資料(116)、(117)]
*27 参照 (d)、添付資料 (117)を参照。「2. 陸上での垂直離着陸では、使用する特定の航空機の地面効果外ホバリングのトルク・マージンを5%以上確保する必要がある。地面効果外ホバリング時の余剰馬力が5%未満での離着陸には、指揮官、飛行隊副隊長、OPSO、飛行隊整備士官、または分遣隊 OIC によって承認される必要がある。」
121. AH・UH機や 事故機機のGPS データは入手できなかったが、AH・UHセクションのパイロットおよび長機の搭乗員の証言によると、AH・UHセクションの位置は事故の要因ではなく、衝突は高度によって適切に回避されていた。[添付資料(19)、(20)、(21)、(24)、(26)、(57)]
C. 事故後の対応: 救助活動および管理・支援要員の役割
(翻訳省略)
D. 事故航空機搭乗員の背景と経験
(翻訳省略)
E. VMM-363(増強)におけるリスク管理実施状況および訓練要求
(翻訳省略)
F. VMM-363(増強) の人的要因モニタリング、人事および運用
(翻訳省略)
G. ダーウィン海兵隊ローテーション部隊の訓練、運用および統合
(翻訳省略)
H. 事故機およびVMM-363(増強) の整備手順
(翻訳省略)
I. 技術的判断
(翻訳省略)
2023年8月27日にオーストラリアで発生したMV-22B墜落事故の航空事故調査報告書