我々にも起こりえたこと

2020年1月26日、バスケットボールの伝説的プレーヤーであるコービー・ブライアントとその娘などが、南カリフォルニアでIIMC(予期せぬ天候急変等による計器飛行状態)によるヘリコプター墜落事故で亡くなりました。それと同じ日、ある強襲中隊も同じような運命を辿るところでした。
その日、めずらしいことに、週末に飛行訓練が行われていました。搭乗員の士気は高く、訓練を締めくくる4機編隊での帰投に真剣に取り組んでいました。ブリーフィングでは、ロサンゼルス盆地に入る頃には天候が回復し、ロスアラミトスまで有視界飛行方式(VFR)で飛行できるとの説明を受けました。編隊長は経験豊富な機長で、同じくらいのUH-60ブラックホーク飛行時間を持つ副操縦士とペアを組んでいました。空中部隊指揮官は2番機に搭乗していました。2,000時間以上の飛行経験を持つ、私たちの中で最も経験豊富なパイロットでした。その副操縦士は、2年前に操縦課程を卒業したばかりの、飛行時間の少ない中尉でした。3番機には、約500時間の飛行経験を持つ機長と、200時間の経験を持つ副操縦士が乗っていました。私が搭乗していたのは4番機でした。私は約650時間の飛行経験があり、250時間の経験を持つ部隊で最も新しい教官操縦士と一緒に飛行していました。我々の部隊が2機以上の大きな編隊飛行を行うのは、前年の夏以来のことでした。整備員が不足していたため、ほとんどの搭乗員が2機編隊での飛行さえも行っていませんでした。
ブリーフィングでは、視程3マイル以上、雲高3,000フィート以上の条件下でのみ飛行すると説明されました。ロサンゼルス盆地の天気は、その時期によくあるように、早朝に海霧が入り、午前中頃に晴れると予測されていました。ブリーフィング担当士官は、前年の夏以来IIMCでの編隊ブレーク訓練を行っていないことを指摘したうえで、天候が悪化した場合は無理をせずに中止するよう助言していました。もうひとつ議論になったのは、Mモデルのブラックホークを取得したばかりだということでした。その機体を運用し始めてから、6ヶ月から1年ほどしか経っていませんでした。Mモデルは雲中での飛行能力が高い機体でしたが、そのコックピットの配置に慣れたパイロットは、多くはいませんでした。
我々は予定通りに離陸し、フレズノからロスアラミトスまでの2時間の飛行を開始しました。ロサンゼルス盆地に近づくと、編隊長が天候を確認しました。まだ計器飛行方式(IFR)のようでした。カホン峠の高速道路カメラの画像を確認した空中部隊指揮官は、管制塔からIFRの通報を受けていたにもかかわらず、VFRで飛行を続行することを望んでいました。しかし、編隊長は空中部隊指揮官の判断に同意せず、3番機と4番機もそれに従ったため、編隊はビクタービルに着陸して給油を行いました。
自分たちの下した決定についてデブリーフィングを行っていたところ、テレビにコービー・ブライアントが乗ったヘリコプターが悪天候により墜落したというニュース速報が流れました。編隊はIFRでロスアラミトスに向けて出発し、計器進入で無事に着陸することができました。もしVFRのまま飛行し、4機編隊でIIMCに突入した場合は、編隊ブレークが難しく、事故やニアミスに至る危険性があったと私は確信しています。以下は、米国運輸安全委員会(NTSB)の報告書に記載された、コービー・ブライアントが死亡した事故の推定原因です。
「米国家運輸安全委員会(NTSB)は、この事故の蓋然的な原因は、操縦士が有視界飛行方式での飛行を計器気象状態に入っても継続する判断をしたことであり、その結果、空間識失調および操縦不能に陥ったと判断する。事故の要因として、操縦士が自ら課した可能性のあるプレッシャーと計画継続バイアスがあり、これらが操縦士の意思決定に影響を及ぼした。また、アイランド・エクスプレス・ヘリコプターズ社の安全管理プロセスの確認および監督が不十分だったことも要因となった。」
私たちのブラックホークが墜落したり、空中衝突を起こしたりした場合の報告書は、このNTSB報告書と同じようなものになった可能性があります。空中部隊指揮官は、陸軍だけでなく、民間でもブラックホークを操縦していた、非常に経験豊富なパイロットでした。民間の飛行業務で同じような気象条件下で何度も飛行していた彼は、計画継続バイアスに陥っていたのでしょう。私たちの部隊が6か月以上にわたって編隊飛行を行っておらず、またIIMC遭遇時の編隊ブレーク訓練も実施していなかったことを考慮すれば、IIMCに遭遇した場合にニアミスや空中衝突が発生した可能性が十分にあったと考えられます。
その日、私たち全員が教訓を学んだと思います。コービーが乗ったヘリコプターのパイロットは、おそらく同じような条件下で何度も事故なく飛行していたのでしょう。それが、今回も同じように飛行を完遂できるという誤った安心感を与えてしまったのです。私たちの空中部隊指揮官も同じように考えていました。私達もその朝の気象条件の犠牲者になるところだったのです。幸いなことに、地元の州兵である私達は無事で、また別の日に飛行することができました。

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年05月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
アクセス回数:174