コックピット内でのiPadの使用
航空機の技術基準(Airworthiness Releases, AWRs)を制定しているのは誰なのか考えたことがありますか? 本記事は、米陸軍航空及びミサイル研究開発技術センター航空技術部(Aviation Engineering Directorate, AED)の概要と現在取り組んでいる問題について紹介する連載記事の第1回目です。
航空技術部は、米国陸軍航空及びミサイルコマンド(AMCOM)司令官からの委任を受け、陸軍が開発又は運用している航空機の技術基準を発行している機関です。また、航空プログラム事務局(Program Executive Office, PEO)プロジェクト/プロダクト・マネージャー(Project/Product Managers, PMS)並びに航空及びミサイル・ライフサイクル・マネジメント・コマンド(Aviation and Missile Life Cycle Management Command, AMCOM)及びその他の国防総省装備品調達プロダクト・マネージャー( DoD Systems Acquisition PMs)に対する技術支援も行っています。ただし、その最終的な支援対象は、あくまでも陸軍航空の装備品を運用・維持している航空機搭乗員及び整備員です。
航空技術部は、陸軍軍属の約500人の技術者とアラバマ州レッドストーン兵器廠及びコーパスクリスティ米陸軍補給処の約300人の役務業者で構成されています。さらに、各地に所在する戦闘航空旅団(Combat Aviation Brigade, CAB)に各1名、陸軍州兵の各戦場航空維持整備群(Army National Guard Theater Aviation Sustainment Maintenance Group, TASMG)に1名、及びフォート・ラッカーに数名の連絡技術者(Liaison Engineer)を派遣しています。これらの技術・支援要員のほとんどは、軍の元操縦士又は元整備士であり、部隊等の要望に基づき、装備品のライフサイクル全般にわたる技術上の問題点を解決し、専門的技術をもって装備品等の有効活用を図るための統制・支援することを任務としています。
第1回目の今回は、陸軍航空機のコックピット内におけるApple社製iPadの使用について解説します。多様なアプリを使用可能で、無限の使い道があるiPadは、電子機器のスイス・アーミー・ナイフと言えるでしょう。しかしながら、iPadのような市販電子機器は、「試験的なもの」であったはずのものが、あっという間に「時代遅れのもの」になってしまうのが常であり、急速な開発ペースに追従し続けなければならないことが大きな課題です。
背景的事項
2012年の初め頃から、iPadのコックピット内における使用に関して「一般には自由に使用されている製品を陸軍が正式に使用を認めないのはなぜなのか? 」という質問が部隊から寄せられるようになりました。
まず、調達に関わる基礎的な事項を少し説明しましょう。米陸軍航空においては、現在のところ、電子フライトバッグ(Electronic Flight Bag, EFB)というものについて公式の要求性能が定められておらず、これを開発、調達、交付、訓練又は支援するためのいかなる事業も行われていません。つまり、電子フライトバッグを使用するための基準、戦術、技術及び手順といったものは存在しないのです。このため、現状においては、電子フライトバッグ等を使用したい部隊等は、自らの要求性能に基づき、すべての機器を独自に部隊調達するしかありません。
2012年3月、部隊から提出された電子フライトバッグを使用するための技術基準制定の要望に基づき、米陸軍保有のVIP輸送ジェット機(UC-35、C-20及びC-37)のコックピットにおけるApple製iPad IIの評価を許可する技術基準が発出されました。この技術基準の作成にあっては、安全性と機能性のバランスを確保することが必要でした。iPadを活用することも重要ですが、それが航空機の通常の運用に影響を及ぼさないことを確認することは、それ以上に重要なことだからです。
この技術基準に基づく飛行試験の結果及び連邦通信委員会(Federal Communications Commission)及び連邦航空局(Federal Aviation Administration)によって定められている制限を踏まえた上で、次の事項が新たな技術基準として定められています。
■ アップル社製iPad IIは、飛行中はワイヤレス機能をオフにした「機内モード」で使用すること。
■ iPad IIの操作は、操縦を行っていないパイロットだけが行うこと。
■ iPad IIは、機体電源には接続しないこと。
■ iPad IIを使用する場合であっても、規則上要求されている書類(飛行情報出版物、Flight Information Publications, FLIPs)を併せて携行すること。
また、iPad IIで使用できるアプリは、次のものに限定されています。
■ Jeppessen Mobile TC(米国Jeppessen社製のモバイルIFR/VFR フライト・チャート・アプリ)
■ Jeppessen Mobile Flight Deck(同モバイル・フライト情報表示アプリ)
■ Fore Flight Mobile HD(米国Fore Flight社製気象・飛行場・地図情報表示アプリ)
■ Gulf-stream Plane Book(米国Gulfstream Aerospace社製操縦マニュアル・アプリ)
■ Phaero(米陸軍作成飛行場情報アプリ、ベータ版)
なお、iPad IIはPDFファイルの閲覧も可能ですが、コックピット内での表示・閲覧ができるのは、規定された様式で記述された図形及び文書だけに限定されています。
その後、アフガニスタンへの展開をひかえた第101戦闘航空旅団から保有するヘリコプター全機種( AH-64D、CH-47F、OH-58D、及びUH-60L/M)でのiPadの使用について航空技術部への要望が提出され、さらに踏み込んだ検討が行われることとなりました。
ヘリコプターにおけるiPad使用にあたっての各種問題点
第101戦闘航空旅団の要望を検討するにあたって考慮しなければならなかったのは、ヘリコプターでiPadを使用する場合の特殊な環境、つまり温度、湿度、圧力、振動、粉塵等でした。2012年8月、第101戦闘航空旅団の全機種についてiPadの使用を評価するための技術基準が発行され、各機種の特性に応じ、電磁干渉の有無、NVGゴーグルとの適合性及びコックピットとの適合性(操縦機器の操作性、ディスプレイの視認性、通常の航空機への乗り降り、緊急時の脱出及びiPadの収納)についての試験が設定されました。これらの試験が完了した後に発行された新たな技術基準には、試験によって確認された問題点が「警告」、「注意」、「注記」又は「制限」として記述されました。
これらの検討を通じて得られた教訓としては、まず、携帯型電子機器(Portable Electronic Devices , PED)の使用は、「陸軍航空の任務遂行を目的として『認定』されたわけではなく、『許可』されているに過ぎない」と言うことです。つまり、携帯型電子機器は、「航空機において使用するための技術的な基準を満たしている」と認められたのではなく、「通常の運用においては、航空機に干渉したり、別の危険が発生したりすることはない」と確認されたに過ぎないのです。さらに重要なのは、「携帯型電子機器は、既に機体に装備されている機器と同等の正確性、精密性及び信頼性を有していることが保証されたわけではない」ということです。言い換えれば、「携帯型電子機器は、『正常に機能する』かも知れないし、『正常には機能しない』かも知れない」ということです。また、現時点では部隊から電子フライトバッグの装備化に関する要求(携帯型電子機器の使用に伴い、規則上定められている書類の携行を免除すること)は、提出されていないため、iPadは、「電子フライトバック」としてではなく、「携帯型電子機器」としての使用が許可されているに過ぎません。このため、パイロットは、iPadを使用する場合においても、国防総省フリップ(Flight Information Program, FLIPs)の書類をコックピット内に持ち込む必要があります。
本件を説明した理由
まず、もしあなたが民間パイロットならば、既に通常の飛行においてiPadを使っているはずです。豊富なアプリを使用できるiPadは、非常に便利な道具だからです。しかしながら、民生用のiPadを軍事用として使用することには、その利点をはるかに超える潜在的リスクが存在するのです。
近い将来、陸軍航空の全部隊において、iPad等の携帯型電子機器のコックピット内における使用を一定の条件の下で認める技術基準が発出されると予想されます。その技術基準においては、使用できるアプリの制限は、現地指揮官の判断に任せることになると考えられます。ただし、iPadを搭載機器の代替に使用することは認められないでしょう。言い換えれば、パイロットは、iPadを状況認識のための補助的な情報源とすることができるが、主要な情報源とすることはできないということです。コックピット内におけるすべての意思決定は、iPadからではなく、搭載機器からの情報に基づいて行わなければならないのです。
これまで説明した事項はすべて航空技術部の既定路線であり、技術基準として確立されようとしている事項です。しかし、iPadの使用にあたっては、次のような事項が解決すべき問題として残っています。
■ iPadを軍のネットワークに接続することは許可されるべきだろうか?
■ iPadを使用することに作戦保全(Operational Security, OPSEC)上の問題はないのだろうか?
■ iPadの使用が電磁パルス放射による機体位置情報の漏洩をもたらすことはないのだろうか?
■ iPadの使用は、航空標準化プロセスの上で、どのように位置付けられるべきなのだろうか?
■ 部隊によるiPadの調達・維持は、どのように行うべきなのだろうか?
■ iPadのバッテリは、任務飛行の実施前に、どの程度充電されている必要があるのだろうか?
■ アプリは、一度にいくつまで立ち上げることができるものとすべきなのだろうか?
新たな技術基準が発行され指揮官が認可するアプリを検討するまでには、これらの問題や今後生じる新たな問題を解決することが必要となるでしょう。当面は、iPadの使用に関する現在の技術基準を良く理解しておいていただきたいと思います。今後も任務達成に役立つ器材を安全に使用できる環境を整えるため、最善を尽くしてゆきたいと考えています。
デビッドB.クリップスは米陸軍航空及びミサイル研究開発技術センター航空技術部の副部長であり、エリカトンプソンは航空技術部のコックピット内でのiPad等の携帯型電子機器の使用に関する検討を担当している電子技術リーダーである。両者とも、アラバマ州レッドストーン兵器廠で勤務している。
出典:ARMY AVIATION, December 2012, Army Aviation Association of America 2012年12月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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Airworthiness Releases(AWRs)とは、「航空機、航空機構成品、及び関連装備品等について、安全な運航のために必要な運用・手順・制限・点検・整備に関する事項を指示する技術文書」です(Army Regulation 7062)。本翻訳では、自衛隊における類似の技術文書である「技術基準」(防衛庁訓令第32号附属書)を訳語として用いました。