セットリング・ウィズ・パワー(ボルテックス・リング・ステート)
過去のフライトファックス記事(1980年9月 第46号)から
セットリング・ウィズ・パワー(訳者注:アメリカ陸軍以外では、ボルテックス・リング・ステートともいう)は、けっして新しい用語ではない。航空機の、ある状態を表す用語として、古くから、すべての陸軍操縦士に教育されてきた。しかし、「本当の」セットリング・ウィズ・パワーは、それに似た他の状態としばしば混同されている。基本的に、ヘリコプターにセットリング・ウィズ・パワーが起きているということは、次の3つの条件が同時に満たされている場合のことをいう。それは、対気速度が12ノット以下で、少なくとも20%のパワーが使用され、降下率が300から400fpm以上であることである。
この状態を理解するため、まず、図1、2、3および4を見てもらいたい。これらの図は、それぞれ、垂直上昇、ホバリング、セットリング・ウィズ・パワーおよびオートローテーション時のボルテックス(空気の渦)の状態を表している。
垂直上昇をしている場合には、空気流はローターを通して下方に流れている。実際には、プロペラまたはローターの形態に応じて、3種類の異なるボルテックスの形態が存在するが、それは、図1のように単純化して描くことができる。
ヘリコプターがホバリング状態にある時、空気流は、引き続きローターを通して下方に流れている。ただし、図2に示すように、下方からより多くの空気が取り込まれるようになる。
ヘリコプターがセットリング・ウィズ・パワーに陥ると、ボルテックスの状態が大きく変化し、ローター面上で継続的に再循環する別のボルテックスが生み出される。この状態は、一般にボルテックス・リング・ステートと呼ばれ、激しいタービュランス(乱流)を引き起こす可能性がある。その状態を示したのが、図3である。
最終的な状態は、オートローテーション中に発生するものであり、風車ブレーキ状態と呼ばれる。図4に示すとおり、機体の降下に伴い、空気流はローターを通じて上方に流れるようになる。
一般的にセットリング・ウィズ・パワーが原因とされる(ただし、それは誤りであることもある)事故事例を研究することが、この現象を理解し、それを回避することに役立つ。
一つ目は、ヘリコプターが斜面の風下側で20ノットの向かい風の中を離陸した場合の事例である。パイロットは、50から75ftの高度に達し、約50knotの速度に獲得した後、180°の旋回を開始する。旋回を終えると、機体は高度を失い始める。パイロットは、速度を減じて、最大出力(フル・パワー)を出そうとするが、機体は高度を失い続け、最終的には墜落する。
この事例において、パイロットは、下降気流があることが容易に予想できる環境において、急旋回を行ってしまった。旋回中に高度を維持するためには、より大きな揚力が必要となる。そのためには、速度を減じるか、ピッチを増加させるかのいずれかが必要になる。当該機のパイロットは、その双方を行ったが、揚力を増加させることができなかった。それは、下降気流の中を飛行していたためである。結論的には、この事故の原因は、パイロットの判断の誤りなのである。パイロットは、下降気流があることが明らかな環境において旋回を行う場合には、あらかじめ、安全な高度と十分な速度を獲得すべきであった。この事例は、正確には、セットリング・ウィズ・パワーに起因する事故ではないのである。
二つ目は、テール・ローターの機能点検を行うため、試験飛行を実施していたパイロットの事例である。そのパイロットは、飛行場上空の15knotの向かい風の中、高度1,000ftで対気速度をゼロにし、オートローテーションを開始する。次に、地面に対して反対方向に進みながら、360°の旋回ではなく、連続した小旋回を繰り返す。対地高度400から500ftにおいて、降下速度が大きすぎると感じ、パワー・オンに移行する。対地高度約150ftにおいて、ピッチを使い始める。機体が対地高度約25ftに達した時、パイロットは、降下速度が過大であると判断し、フル・ピッチにしてパワーを最大に使う。機体は、墜落する。
検 証
二つ目の事例において、生起した事象を検証してみよう。高度500ftにおいて、降下率は、約2,400fpmであった。150ftにおける降下率は、同じであった。つまり、機体は、4秒間で地面に達することを意味する。いかなるパイロットであっても、このような状況においてオートローテーションやパワー・リカバリーを成功させることは困難である。高度が僅か1,000ftになって、操作を開始したため、パワー・リカバリーが遅れ、500ftの最低高度に達する前に速度を回復できなかった本事例の原因は、操縦士としての判断の誤りである。この事例もまた、その真の原因は、セットリング・ウィズ・パワーではなかったのである。
しかし、これらの事例において、機体は、本当にセットリング・ウィズ・パワー状態に入っていなかったのであろうか? 実は、これらの機体が地面に衝突する直前には、十中八九、セットリング・ウィズ・パワーに陥っていたと考えられるのである。なぜならば、どちらの事例においても、セットリング・ウィズ・パワーに必要な3つの要件が満たされているからである。ただし、これらの要件が成立したのは、機体が地面に衝突する直前のことであった。このため、これらの事故の実際の原因は、セットリング・ウィズ・パワーではないと考えられるべきである。
最後に、三つ目の事故事例を紹介する。数年前に発生したこの事故は、オーストラリア空軍のパイロットによるものであった。この事故の注目すべき点は、セットリング・ウィズ・パワーに必要な3つの要件を満たしており、かつ、パイロットがそれを認識しようとしなかったため、極めて簡単に、それらが同時に成立したということである。
当該パイロットは、ピナクル(狭隘な山頂部 )に向けて着陸進入中であった。しかしながら、意図していたよりも急角度でアプローチしなければならなかったため、まだ30ftの高度が残っている状態で、対気速度を10knot以下に減じた。その時、機体が地面に向けて沈下し始めたが、パワーを使っても降下を止めることができなかった。この事例においては、アプローチの初期段階において、セットリング・ウィズ・パワーの引き起こす要因のうちの2つが既に存在していた。降下率は400fpmを超過しており、20%以上のパワーが使用されていたのである。対気速度が10knot未満に低下したことにより、3番目の要件が満たされると、機体は直ちにセットリング・ウィズ・パワーに陥った。
事故報告書には、次のとおり記載されている。「事故当時の状況においては、セットリング・ウィズ・パワーの現象が顕著に表れ、降下率を増加させるとともに、サイクリック・コントロールの効きを減少させた。その状況は、ある程度の出力を使用した低速降下状態から、前進速度ゼロの状態へと予期できないままに変化した」
「セットリング・ウィズ・パワーの特徴は、固定翼機の失速に酷似している。そこからの回復手順もほとんどそれと同じである。つまり、機首を下げ、前進速度を増加させることである。それができない場合には、コレクティブ・ピッチを最低まで下げることによっても回復が可能であるが、高度の相当な減少をもたらすことになる」
要点を整理しよう。セットリング・ウィズ・パワーとして知られる状態を引き起こす3つの主要な要素は、使用しているパワー、対気速度および降下率である。20%以上のパワーを使用している間に、対気速度が12knot未満に低下し、300から400ftm以上の降下率になった場合には、残ったパワーの使用の如何に関わらず、いつでもセットリング・ウィズ・パワーに陥る可能性がある。
このような状態に陥り、かつ、回復に必要な高度が残っていない場合には、一つのことを確信できることであろう。落着し、機体が修復のため非可動になることが間違いないことを。セットリング・ウィズ・パワーを誘引する要因に注意を払い、この罠にかからないようにしなければならない。航空機を墜落させ非可動にするのではなく、飛ばし続けて可動状態に維持するために。
訳者注:図1~4の機体の下側に描かれている矢印は、単に「上方」を示すものです。
出典:FLIGHTFAX, U.S. Army Combat Readiness/Safety Center 2017年08月
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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11件のコメント
前回の投稿から、1か月以上も経ってしまいました。「The Dream Machine」というオスプレイに関する本の翻訳が最終段階に入っていたので、ブログの方が疎かになってしまいました。今後は、1週間に1記事程度の頻度に戻したいと思っています。よろしくお願いいたします。
今回は、セットリング・ウィズ・パワーに関する記事を取り上げてみました。オスプレイの過去の事故においても、これが原因となったケースがありました。ただし、セットリング・ウィズ・パワーという用語は陸軍や空軍で使われているものであり、一般には同義語のボルテックス・リング・ステートと呼ばれることが多いようですので、標題にかっこ書きで追加をさせていただきました。なお、海軍では、パワー・セットリングいう用語が使われているようです。
個人的には、セットリング・ウィズ・パワーは、次のように自動車のスリップに例えることができるのではないかと思っています。
本記事前半の「ヘリコプターが墜落する直前には、セットリング・ウィズ・パワーに陥っている場合が多いが、そのことは、その事故の原因がセットリング・ウィズ・パワーであるということを意味するものではない」という部分は、「自動車が衝突する寸前には、タイヤがスリップしている場合が多いが、そのことは、その事故の原因がスリップであるということを意味するものではない」と例えられます。
後半の「降下中のヘリコプターにおいて、セットリング・ウィズ・パワーから回復するためには、機首を下げて対気速度を増加させるか、コレクティブを緩めるしかない」という部分は、「カーブを曲がっている自動車において、スリップから回復するためには、ハンドルを直進方向に戻すか、アクセルを緩めるしかない(FRの場合)」と例えられます。
いかがでしょうか?
>カーブを曲がっている自動車において、スリップから回復するためには…
この場合、実際には駆動方式やスリップ状態(前輪・後輪・全輪)によって対処方法が異なるし、過給器有無によっても異なるので読み手によってはイメージが異なるかも?
どっちかというと、ABSがやってるタイヤがロックしたらブレーキを弱める、の方が近いかもしれませんね。
あるいは、過給器付のMT車がエンジン回転が落ちすぎて過給圧が下がってしまった時にクラッチを蹴る操作(アクセル踏んだままクラッチを切り、回転が上がってからつなぐ一連の操作)なんかの方が近いんだけど、ちょっとこれは分かりにくいか…。
コメントありがとうございました。
先日、USB充電の小型扇風機を購入しました。手に持って、風が吹き出ている方向に動かすと、ファンの推力による抵抗が感じられます。動かす速度を速めると、ボルテックス・リング・ステートに陥って、それが感じられなくなるはずなのですが...
実際には、そのように感じるのは感じるのですが、いまいち明確ではありませんでした。
何かいい方法がないものでしょうか?
図のならびが逆で、機体の移動方向を差す矢印が垂直上昇以外おかしくはないでしょうか?
記事をアップロードする際に図の並びを間違えてしまっていましたので、修正しました。ご指摘、ありがとうございました。
「機体の移動方向を差す矢印」については、自分も違和感を持っているのですが、原文のとおりにしています。これが機体の移動方向を示している矢印なのであれば、図1は上向き、図2はなし、図3と図4は下向きになるべきですよね。ただし、何か機体の移動方向とは違うものを示している矢印なのかも知れません。Flightfax編集部に質問してみます。
本件について、Flightfax誌に質問を送ったところ、「質問のあった矢印は、単に『上方』を意味しているだけです」という回答がありました。本文にその旨を注記することにします。
速やかに回答をくれたのは非常に嬉しかったのですが、個人的には、その意味であれば無くてもいいのかなとも思います。
ご質問いただき、ありがとうございました。
回復操作について
大先輩の操縦士から教わった技術ですが、セットリングに入ったらペダルフル・レフト(右回転機はフル・ライト)
実際に何度か試してみると確かにスティック・ホワードよりも簡単に回復できました。
要はボルテックス・リングを抜けだす推力(ベクトル)を何で稼ぎ出すかで、T/R推力で横に逃げる事もできる訳です。
文献もあるようです。
https://www.rotorandwing.com/2015/09/01/flying-through-the-vortex/
(※これも翻訳お願いします)
貴重な情報をいただき、ありがとうございます。