AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

自信過剰がもたらしたDVE(悪視程環境)発見の遅れ

上級准尉3 タイラー・エーネス
第189全般支援航空連隊第1大隊C中隊
サウスダコタ州兵
サウスダコタ州スピアフィッシュ

Overconfidence-in-a-Degraded-Visual-Environment

HH-60Mで500時間以上の飛行時間を経験していた私は、中隊のベテラン・パイロットの中の1人であり、もうそろそろ機長資格が貰えるはずでした。それにふさわしい技量が十分にあると思っている私のことを、自信過剰だと言う者もいました。今、振り返ると、そのとおりだったと言わざるを得ません。

指揮官や訓練担当操縦士とも、私の機長資格について話したことが何度かありました。彼らは、他の教官操縦士や機長たちと同じように、私が自分の技量に自信をもっていることが分かっているようでした。その頃の私は、飛行終了後、機長から「お前は、いつ機長になるんだ?もう十分にその技量があるぞ」と言われたものでした。その時は、認識できていませんでしたが、機長たちからのそういった言葉を聞いて、私は自分自身の技量を過大に評価してしまっていたのです。しかし、ある日の飛行で、私は、どん底に突き落とされることになりました。

当日の訓練担当操縦士が私のために計画したのは、NVG(night vision goggle, 暗視眼鏡)を用いた訓練飛行でした。私は、この飛行の結果次第で機長資格が与えられるに違いない、と思っていました。着陸したら、部隊で一番若い機長になるのだ、と確信していたのです。その日行われたのは、通常の2時間のNVG訓練飛行でした。2時間というのは、ごく標準的な飛行時間であり、このような訓練は、それまでに何度も経験していました。飛行前ブリーフィングで、気象予報の説明を受けました。飛行間を通じてVFR(visual flight rules, 有視界飛行方式)が予測されていましたが、着陸の1時間後に天候が悪化し始めることが予報されていました。

離陸後、訓練飛行を開始しました。訓練が終わりに近づき、部隊に帰投し始めるまでは、すべてが順調でした。天候の悪化を予期していましたので、シーリングおよび視程低下の兆候に注意していました。悪天候が近づいているはずでしたが、それはまだずっと西の方でした。飛行場の自動地上気象観測システムを確認したところ、視程10マイルでシーリングなし、という情報が得られました。私は、心の中で「心配ない。悪天候が始まるのは、まだずっと先のことだ」と思いました。

私は、NVG進入経路の標準高度である平均海面高度4,500フィートまで上昇しました。飛行場まで10マイルまで近づいたとき、訓練担当操縦士が突然、叫び声を上げました。「降下、降下、降下しろ!」私は、直ちにコレクティブを下げ、4,500フィートから降下を開始しました。水平飛行に移行した後、訓練担当操縦士に、なぜ、標準高度から降下させたのか、と尋ねました。訓練担当操縦士は、落ち着いた声で、もう少しで雲に入ってIIMC(inadvertent instrument meteorological conditions, 予期していなかった天候急変等による計器飛行状態)に陥るところだった、と答えました。

「どの雲ですか?」私は、聞き直しました。NVGを装着した私には、直前の視界がわずかに妨げられていることしか分かりませんでした。訓練担当操縦士は、雲の層に近くの街明かりが反射しているのが見える、もう少しであれに入るところだった、と説明してくれました。そう言われて見ると、私にも街明かりを反射している雲が確認できました。私は、大きな動揺に襲われました。

タワーから、なぜ地上300フィートを飛行しているのか、という質問があったので、雲の層に入りそうになった、と告げました。タワーからは、飛行場はVFRであり、そんな雲は存在しない、と回答がありました。その後、我々とタワーのどちらもが正しかったことが分かりました。滑走路の進入端末を過ぎた途端に、上空から雲が消え、飛行場自体は確かにVFRだったのです。

この飛行は、私が経験した中で最も屈辱的なものとなりました。私は、自分自身の能力について、自信過剰になっていたのです。もし、その訓練担当操縦士が一緒に搭乗していなければ、間違いなくIIMCに陥っていました。そうなったら、どうなっていたか分かりません。この飛行により、それまでの自信が揺らいだだけではなく、その飛行の最後の15分の間、すっかり自己満足に浸っていたことにも反省させられたのです。飛行場が見えるようになり、訓練は終わりに近づきました。後は、着陸するだけでした。その時になって気づいたのですが、IIMCに陥りそうになった時、私はそのHH-60を手動で操縦していました。悪天候に遭遇する可能性があったのですから、フライト・ディレクターにカップリングさせておくべきだったのです。

もちろん、着陸後、機長資格を与えられることはありませんでしたが、そんなことは気になりませんでした。ただ単に、地上に戻れたことが嬉しかったのです。その飛行は、多くの貴重な経験を私に与えてくれました。現在、機長として勤務する私は、その経験を忘れないようにするだけではなく、部下のパイロットたちにそれを伝えるように常に努めています。彼らが、私と同じ過ちを犯さないことを願いながら。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2018年04月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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