ケータイによるFOD
2010年、私は、ある全般支援航空大隊の中隊に配属されました。操縦課程を卒業してからわずか1年しかたっていませんでしたが、ブラックホーク・パイロットとしてかなりの自信を持って勤務していました。アフガニスタンへの派遣から1年が過ぎ、その中隊にも、新兵が配属されるようになっていました。陸軍では当たり前のことですが、中隊に所属する全隊員の連絡先が記載された名簿を受領した私は、ノキア製の折り畳み式携帯電話にその情報を丹念に入力していました。その頃は、まだ、大型のスマートフォンは、今のようには普及していませんでした。私の携帯は、その頃販売されていたものの中でも、最も小さいもののひとつであり、飛行服の大きなポケットの中では、どこにいったのか分からなくなることがよくありました。その小さな携帯電話が私の自信を揺るがすことになるとは、想像もしていませんでした。
その日、私は、空軍との統合訓練に参加するため、UH-60Aの飛行前点検を実施していました。テール・ローターのところまで来た時に、下側のポケットのファスナーが開いていることに初めて気づきました。ただし、私は、そのことを全く気を留めていませんでした。ファスナーを閉めると、そのまま飛行前点検を続けてしまいました。訓練開始までに他にやらなければならないことがあったので、少しばかり急いでいました。
その任務は、その日の夜に終了しました。装備品を機体から卸下して集積している時に、下側のポケットに手を入れて携帯電話を取り出そうとしたのですが、ありませんでした。他のポケットやすべてのバッグを探しましたが、見つかりません。他に探すところがなくなったので、次の手を打つことにしました。そばにいたジェニーという女性の新兵に私の携帯に電話をかけてもらったのです。
機体の副操縦士側に立っていた私たちに、ブラックホークの反対側から着信音が聞こえてきました。面倒なことに、私の携帯電話は、着信音が5回鳴っても電話に出ない場合には、自動的に伝言を録音する設定になっていました。このため、ジェニーに何回も電話をかけなおしてもらわなければなりませんでした。機体の周りを歩いて回ると、エンジン・カウリングの中で着信音が鳴っているのが分かりました。重苦しい気持ちになりました。「なんて、不注意だったんだ」と思いました。自分がやらかしたことを指揮官に報告しなければなりません。
飛行後の手続きを行いながら、これを指揮官にどのように説明するかということばかりを考えていました。いったい何と説明すればいいのでしょうか? どう言ったらいいのでしょうか? 反省している態度を示すべきでしょうか、それとも大したことではないようにふるまうべきでしょうか?
幸運なことに、私の指揮官は、非常に思いやりのあるリーダーでした。私より10歳年上の彼女は、その年齢にふさわしい、賢明な人でした。彼女が冷静さを失ったり、大声を出したりしたところを見たことがありませんでした。彼女は、そんな人ではなかったのです。でも、私が恐れていたのは、怒鳴られたり叱責されたりすることではなく、彼女をがっかりさせてしまうことでした。どんな罰を受けたのか、正確には記憶していませんが、中隊全員に対する事例教育をやらされたことは覚えています。ただし、それ以上に明確に記憶しているのは、指揮官である彼女の私に対する思いやりでした。
その夜は、沈んだ気持ちのまま、家まで車で帰りました。家に着いても、その不安全のことを誰にも話しませんでした。黙って2階に上がって、シャワーを浴びました。服を着替えてから、何か食べようと、階段を降りてゆきました。すると、妻がキッチンで私の携帯電話を見ていました。私を見て彼女は言いました。「今日、何があったの? 何回電話しても、出てくれなかったじゃない。それに、ジェニーという女性から20回も不在着信があるのは、どういう理由?」この言葉が、私にかけられていた沈黙の呪文を解き放ちました。今日、仕事中に起きた出来事と、ジェニーからの不在着信について私が説明すると、二人で大笑いしました。
機体の飛行前点検を確実に行うことは、パイロットとして、非常に重要な任務です。そのことは、前回の整備中に機体に残された部品や工具などが残されていないかを確認するのに役立ちます。FOD(foreign object debris)と呼ばれるこれらの物体は、機体を損傷させ、事故の要因となる可能性があります。ところが、その日、私は、飛行前点検でFODを発見するのではなく、無意識のうちに自らそれを発生させてしまったのです。この話から学んでほしいことは、航空機の飛行前点検を行う前に、自分の飛行服を点検することが重要だということです。すべてのポケットのファスナーなどが閉まっていることを確認しなければなりません。携帯電話やペン、小銭など、身に着けているものすべてがFODになる可能性があるのです。自分自身の不注意で壊滅的な事故を引き起こすことを望む者はいないはずです。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2020年10月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
アクセス回数:1,963