最悪の事態に備える
それは、会議に参加するVIPとその参謀をピックアップし、45分離れた2つの拠点まで飛行して駐屯地に戻るという、単純かつ日常的な任務でした。飛行間の気象予報は有視界飛行方式(VFR)で、途中で軽いにわか雪の可能性があるとのことでした。任務終了から数時間後には、計器飛行方式(IFR)になると予想されていました。それでも、全体としては、飛行に適した日であると考えられました。
私は離陸の数時間前に出勤し、すべての書類、計画、調整を確実に行いました。予報では飛行中ずっとVFRでしたが、念のためIFR飛行も計画することにしました。レーダーを見ると予報には疑わしいところがあり、それよりも早く天候が悪化した場合に備えるべきだと思ったからです。
搭乗員ブリーフィングでは、天候が悪化してVFRが計器飛行に変わった場合の対応を各飛行区間ごとに説明しました。天候が悪化した場合は無理をしないことを改めて強調しました。IFRに移行する条件が計画され、ブリーフィングが行われたことで、必要に応じて飛行中にIFRを申請できる準備が整っていました。
搭乗者をピックアップしてしばらくすると、予報されていた「軽い」にわか雪が遠くに見えました。 ただし、それほど軽くは見えませんでした。それに近づくにつれ、視界は悪化していきました。飛行経路沿いの空港からは視程6マイルという報告が聞こえてきました。しかし、実際にはそれ以上に悪化していました。それは、離陸前に考えていたほど順調な一日にはならないかもしれないという兆候の表れでした。機内ではIFRを申請することも話し合われましたが、雲域が小さかったため、北に数分間飛行してから元の経路に戻ることにしました。
最初の目的地に着陸すると、すぐに運航管理室へ行き、最新の気象情報を入手しました。以前と同様にVFRが予報されていましたが、次の目的地のレーダー、METAR(定時飛行場実況気象通報式)およびTAF(飛行場予報気象通報式)の情報が一致していませんでした。次の目的地の上空に停滞し、発達中の雲域があるのに、どうして天候が悪化しないという予報なのか理解できませんでした。
運航管理室と相談した後、飛行を継続できる予報でしたが、次の目的地をキャンセルして帰投することにしました。搭乗するVIPにその旨を通知すると、会議を短縮して、帰投を開始することになりました。帰投中、先程の雲域がずっと大きく、より暗くなっていることに気づきました。それは飛行経路からは外れていましたが、発達を続けているように見えました。そして、最終的には飛行に影響を及ぼし始めました。帰投経路の半ばで、指揮所からブルー・フォース・トラッキング(味方追尾装置)のメッセージが届き、私がキャンセルした目的地(駐屯地のの北40分の距離)の天候が、シーリング100メートル、視程4分の1マイルまで悪化したことが分かりました。 これは私が受けた気象ブリーフィングやTAFからかけ離れたものでした。
搭乗者を降機させた後は、駐屯地までの15分の飛行を残すだけになりました。この最後の飛行区間の天候も悪化しているはずでしたが、その拠点ではシーリングがなく、視界にも制限がありませんでした。駐屯地の天候も最高ではないが、良好であるとのことでした。天候の様子を見るかどうかが議論になりましたが、全員が帰投したがっていました。私は試してみることにしました。15分後には、その拠点での天候は完璧な状態になりました。たった数マイル先の駐屯地の気象が大きく悪化するとは思えません。必要になれば、引き返すか、IFRを申請して計器進入を行えばいいのです。
ところが、離陸すると、良好だった天候は一瞬で消えてしまいました。事前には引き返すかIFRに切り替えることにしていたにもかかわらず、駐屯地が近づくにつれて、帰巣本能がが強くなっていきました。クルークルー・チーフが引き返す場合に備えて、天候の良い方向を絶えず報告してくれる中、飛行を継続しました。副操縦士と私は懸命に滑走路を探しました。しかし、ついに私は限界に達しました。
まだかろうじて VFR 状態でしたが、これ以上無理をしないことに決めました。このような状況に備えた計画があったからです。全員に引き返すことを伝えようとして、床のマイク・スイッチを踏むために足を持ち上げました。着陸まであと数マイルでしたが、仕方のないことでした。その瞬間、雲のあいだに隙間が開き、最後の数マイルを進むための視界を確保できました。無事に着陸できましたが、それから20分以内に、飛行場の視程はほぼゼロになりました。
あの日、若き機長だった私は、VIPに目的地をキャンセルすることを伝えたり、一日に何回も天候判断を行ったりと、いくつもの難しい決断をしなければなりませんでした。その中から、多くのことを学びました。最悪の事態が起こる前に計画を立てておけば、緊要な時期に不要なストレスを経験しないで済むのです。結局IFRに切り替えることはありませんでしたが、そのための計画を保持していたことで、全員が何をすべきかを分かっていました。最終的に決定を下すのは私でしたが、搭乗員全員の意見も同じくらい重要でした。結局のところ、搭乗員の中に 1 人でも不安を感じている者がいれば、目の前の仕事に集中できないことにつながり、それが成功と失敗の差を生む可能性もあるのです。そして、最も重要なことは、たとえ駐屯地にどれだけ近い場所にいたとしても、正しい決断を曇らせてはいけないということです。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2024年12月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
アクセス回数:177
コメント投稿フォーム
1件のコメント
簡単そうに見える英文なのですが、けっこう手こずりました。