AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

ドアガンの不適切な操作による重大事故

1等軍曹クリストファー・リンゴ
第449航空支援大隊B中隊第1派遣隊
アーカンソー州ノースリトルロック キャンプ・ロビンソン

それは2月のイラクでのことでした。私たちは、その日の最終任務から帰投しました。鉄条網で囲まれた展開地に進入すると、クルー・チーフとガナーは、M-240H機関銃からリンクでつながった弾薬を取り外し、銃を前に倒して銃口を下げた状態にして、着陸に備えました。着陸してシャットダウンを完了した後、翌日の任務に備えるため、機体のチェックを開始しました。

その任務は2機編隊で行われており、私は別のガナーと一緒に1番機に乗っていました。2番機には、まだ練成中だった新米のガナーと、訓練教官(standardization instructor, SI)が搭乗していました。その訓練教官は、機体の右側から降りて左側へと向かいました。知ってのとおり、ドアガンを取り扱う際には「マズル・ダウン・アンド・ストゥド」(銃口を下げて収納する)というしつけ事項があります。機体の左側に座っていた新米のガナーは、訓練教官がそばを通り抜ける時に、銃口を上げてしまったのです。銃口の先端が訓練教官の左眼に当たってしまいました。身長5フィート(約152センチメートル)の彼女の眼は、機関銃とちょうど同じくらいの高さにあったのです。

眼に傷を負った彼女は、ショックと痛みで意識を失ってしまいました。すぐに衛生兵が呼ばれ、彼女を部隊医療センターへと搬送し、全身が診察されました。医師たちは、眼の裂傷以外に異常はないと判断し、包帯をして安静にさせました。

その時の医師の診断は、虹彩から白目の部分にかけて小さな傷があるというものでした。ところが、日が経つにつれて、容態が悪化し始めました。常に砂が吹き荒れるイラクの環境が症状をさらに悪化させたのです。1週間後、医師は、細部検査を行うため、彼女をドイツに後送する必要があると判断しました。彼女は、ドイツの病院で眼の縫合手術を受けた後、さらなる治療のためにアメリカへと後送されました。

私たちは、その3週間前にイラクに到着したばかりでした。その年の11月に派遣が終了するまで、彼女の容態について、ほとんど聞くことはありませんでした。彼女が視力の80%を喪失し、複数回の手術を受けたと聞いたのは、駐屯地に戻ってからのことでした。眼の周りの神経が損傷したことで難聴になり、平衡感覚にも問題が生じていました。杖と介助犬がなければ生活できなくなっていたのです。車を運転することもできなくなっていました。

現在、彼女の容態は改善に向かっています。聴力や視力にはまだ問題が残っていますが、平衡感覚は正常に戻ってきました。杖はいらなくなりましたが、介助犬はまだ必要としています。彼女は、療養部隊(Warrior Transition Unit)で勤務しながら1年近く治療を続けたのち、医学的理由により除隊となりました。

派遣前まで陸軍航空支援施設(Army Aviation Support Facility )で勤務していた彼女には、輝かしい未来が待っていたはずでした。しかし、身体障害者となった今、その人生は大きく変貌してしまいました。さらに、この事故は、もっと悪い結果をもたらした可能性もありました。

私たちは、常に周囲の状況を確認しなければなりません。特に火器を操作する際には、あらゆるしつけ事項を守らなければなりません。この事故は、「機関銃は、取り外されるまでストゥド・ポジションに保たなければならない」ということを守ってさえいれば、発生せずにすんだのです。ちょっとしたことではありますが、それを行わなかったために起きたことは重大でした。それは、部隊や任務にとって、そして負傷した兵士にとって、余りにも大きな損失でした。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2023年04月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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