V-22オスプレイのダイバート(目的地外着陸)
プエルトリコ当局に対する支援が決定したというメールが届いたとき、私が所属していた第365海兵中型ティルトローター飛行隊(VMM-365)(増強)は、海外派遣から戻ったばかりでした。まだ、海兵機動展開隊(Marine Expeditionary Unit, MEU)に配属された状態で、隊員たちは、派遣後の休暇をとっていました。
我々が搭乗したV-22オスプレイは、既にプエルトリコ沖に停泊している強襲揚陸艦キアサージにランデブーすることになっていました。ノースカロライナ州のニューリバー海兵隊航空基地を離陸した後、東海岸に沿って南下し、島伝いにプエルトリコに向かって、強襲揚陸艦に着艦する予定でした。2回目の燃料給油地点であるキューバのグアンタナモ湾収容キャンプ (GTMO) までは、4機編隊で移動しました。ところが、我々の機体は、センサー部分からの作動油漏れのため、そこから離陸できなくなってしまいました。他の機体は、プエルトリコに向かって離陸してゆきました。次の日になって、整備要員が戻ってきてくれました。整備と地上試運転が終了し、プエルトリコに向けて出発できるようになったのは、それから4日後のことでした。
5名の搭乗員と4名の整備員を乗せた我々の機体は、異状なく離陸し、キューバの空域を離脱しました。キューバからハイチに向けて北東に飛行し、搭乗者のための酸素制限高度の範囲内でマイアミ航空管制部(ATC)との通信を維持できるようにするため、風を利用しながら高度9,000フィートまで上昇しました。
離陸後約45分で、コックピット・マネジメント・システム (CMS) に設定された代替飛行場(divert airport)の更新を行いました。代替飛行場には、タークス・カイコス諸島のグランド・ターク空港を設定しました。システム内には、ハイチの北岸にあり、それよりも約25マイル近いカパイシャン空港 (MTCH) も登録されていました。しかし、その時点では、たとえ距離が遠くても、グランド・タークのほうが代替飛行場として適切であると考えていました。ところが、それから5分も経たないうちに、コックピット・マネジメント・システムが警告を発しました。コックピット・ディスプレイ・ユニット (cockpit display unit, CDU) には、「プロップローター・ギアボックス・ロー・プレッシャ(油圧低下)」と表示されていました。油圧計を見ると、不吉な兆候が表れていました。油圧が注意領域まで低下していたのです。それだけでなく、その指針は振れながら、徐々に下降していました。私は、すばやくかつ本能的に行動を開始しました。ゆっくりと南に向けて右旋回し、機長 (aircraft commander, TAC) にナビゲーション・システムの目的地をハイチのカパイシャンにセットするように依頼しました。
その時点でのハイチまでの距離は、75マイルでした。V-22は、飛行中にいかなる緊急事態が発生しても、墜落しないように設計されています。たとえ一方のエンジンが停止しても、インターコネクティング・ドライブシャフト・システムにより、両方のプロップローターを回転させることができます。しかし、ギアボックスの故障は、それよりも深刻な問題でした。V-22の動力伝達系統には5つのギアボックスがありますが、そのうちの1つにでも故障が発生すると、少なくとも系統が分断されて他方のプロップローターへの動力供給が遮断されてしまい、最悪の場合は系統全体が拘束して完全に推力が失われてしまうのです。
状況が深刻であることは、誰の目にも明らかでした。このため、宿泊するにはタークス・カイコスの方が快適でしたが、それよりも25マイル近いハイチを目指した方が良いと考えたのです。
本能的に出力を絞り、カパイシャンに向かって200フィート/分の降下率で緩やかな降下を開始しました。機長は、マイアミ航空管制部との通信を開始しましたが、距離が遠いため感度が悪く、我々の送信した内容を完全には聞き取れていないようでした。
カパイシャン管制塔の周波数が知りたかったのですが、緊急チェックリストを参照しながら飛行している我々には、それを調べている時間がありませんでした。機長は、マイアミ航空管制部にカパイシャンの周波数を連絡してくれるように頼みました。しかし、またしても意味不明の返信しかありませんでした。管制塔とのやり取りに時間を費やしている暇はありません。私は、機長から指示された緊急操作手順を終了するやいなや、トランスポンダーにコード「7700」を打ち込み、緊急事態を宣言しました。それまでの間に通信の感度が回復し、緊急事態を認識したマイアミ航空管制部が、カパイシャン管制塔の周波数を通知してくれました。
V-22には、油圧を喪失した場合に備えて、ある機能が備わっています。オイルをギアボックス内部に流し込んだのちに機外に放出する緊急潤滑システム(emergency lubrication system, ELS)と呼ばれる機能です。この緊急潤滑システムにより、ギアボックスは、油圧が失われた後も30分間の運転が可能になります。油圧低下の緊急事態は、「ロー・プレッシャ(油圧低下)」注意灯の点灯で始まり、続いて「プレッシャ・ロスト(油圧損失)」注意灯の点灯へと進行します。本来、緊急潤滑システムは、この時点で起動するようになっています。しかし、当時の私たちは認識できていませんでしたが、すでにギアボックス内へのオイルの供給を開始し、そのまま作動を続けてしまっていたのです。油圧計の指針が振れていたのは、このためでした。
カパイシャンに向かって飛行しながら、私たちは次に起こり得る事態に対して心の準備をはじめました。この不具合がさらに進展すると、「ギアボックス・フェイリャ(故障)」警報灯が点灯します。この段階に至った場合は、直ちに着陸することが要求されます。海上を飛行していた我々にとって、それは着水しなければならないことを意味していました。それだけでも非常に困難なことですが、下方には大きな波がうねっているのが見えました。それを知ったところでどうにもならないので、それ以降は、海面を見下ろすのをやめることにしました。とはいえ、クルー・チーフたちは、救命浮舟の準備をすでに始めていました。乗客として搭乗している整備員たちのことも気にかかりました。
整備員たちは、誰もヘッドセットを装着していなかったので、何が発生しているのかを理解できていないようでした。彼らが分かっていたのは、予定よりもはるかに早く降下を開始していることと、搭乗員が緊急操作手順を調べたり、救命浮舟を準備したりしていることだけでした。忘れられない経験になったに違いありません。カパイシャン管制塔の周波数に切り替えると、陸地が見えてきました。空港は、海岸から近い場所にあるので、その光景に安心感を覚えました。滑走着陸(ロール・オン・ランディング)に備え、操縦を機長に交代しました。
陸地が見えるとすぐに、「プロップローター・ギアボックス・プレッシャ・ロスト(油圧喪失)」の注意灯が点灯しました。それは、ギアボックス内の油圧が30ポンド/平方インチ未満に低下したことを意味します。ここまで陸地に近づいていれば、着水しなければならない可能性は低くなったように思えましたが、まだ危機一髪の状態が続いていることに変わりはありませんでした。カパイシャン管制塔にチェックインすると、風速が通報され、北向きの滑走路に進入するため場周経路(ダウンウインド)に進入するように指示されました。しかし、我々は、すでに南向きの滑走路に向けて進入しようとしていました。風向きは分かりませんでしたが、風速は10ノット未満でした。オスプレイは、10ノットの風であれば、どの方向からでも滑走着陸することが可能です。そのまま進入すれば空中に留まる時間を短縮できるので、「それはできない。このまま直接進入する」と返信しました。
我々が緊急事態にあることをすでに承知していた管制塔からは、何も反論がありませんでした。V-22は、エアプレーンモードのままでは着陸できませんが、飛行モードの変換はできるだけ遅らせることにしました。ナセルを引き起こすことによって、ギアボックスの油圧が低下すると考えられたからです。着陸チェックリストに従って確認を行っている最中に、コンバージョンモードへの変換を行うと、予想したとおり、油圧が大きく低下してしまいました。
着陸チェックを終了した途端、「プロップローター・ギアボックス・フェイリャ(故障)」の警告灯が点灯し、ヘルメット内に警報音が鳴り響きました。直ちに着陸しなければならなくなりましたが、ちょうど良いタイミングでした。我々は、滑走路の末端に書かれている滑走路番号の上を通過するところだったのです。
接地すると、滑走路に十分な余長を残して停止することができました。ギアボックス故障の緊急操作手順によれば、着陸後は、直ちにエンジンをシャットダウンすることが要求されています。しかし、誘導路は、機体の数百ヤード後方にしかありませんでした。滑走路の脇に小さな転回区域があったので、そこに機体を進入させてエンジンを緊急停止しました。せっかく安全に着陸できたのに、駐機位置まで地上滑走している間に動力伝達系統を損壊させてしまうことを避けたかったのです。その判断は、適切でした。機体がそこにあったことは、その日にハイチを出発する1機の民間機が我々の機体を避けて離陸しなければならなかったこと以外に障害にならなかったからです。
翌朝、我々の機体は、滑走路から離れた場所までけん引されました。それからの4日間は、太陽の下で整備を続け、胴体の下で夜を過ごし、揚陸艦に状況を伝えるために最善を尽くしました。メンテナンス・データをダウンロードして確認した結果、我々の判断が正しかったことが分かりました。緊急潤滑システムは、本来の起動時期よりも早い段階で起動され、「プロップローター・ギアボックス・プレッシャ・ロスト(油圧喪失)」注意灯が点灯してからわずか14分後に潤滑油を使い果たしてしまっていたのです。タークス・カイコス諸島まで飛ぶことはできませんでした。もし直ちに代替飛行場を変更していなければ、ハイチにも到着できなかったかもしれません。
我々がたたき込まれてきた基本には、間違いなく価値があります。緊急操作手順を良く理解し、常にダイバートの腹案を保持しておくことが重要なのです。
出典:APPROACH MAGAZINE Volume63, Number4, Naval Safety Center 2021年05月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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5件のコメント
1枚目の写真は、海兵隊ではなく、海軍のCMV-22Bのようです。
「カパイシャンに向かって200フィート/分の降下率で緩やかな降下を開始しました。」の部分は、原文では「established a very gradual descent at 200 nautical miles toward Cap Haitien.」となっています。カパイシャンまでの距離は、その前に「75マイル」という記述がありますので、修正して翻訳しています。
「緊急潤滑システムの能力は、その限界に近づいていたのです。」の部分は、原文では「ELS activated early and expended itself in only 14 minutes.」となっています。おそらく筆者は、「プレッシャ・ロスト(油圧損失)」注意灯が点灯する前から緊急潤滑システムが作動を開始していたため、その注意灯が点灯してからわずか14分後にその機能が失われ、「ギアボックス・フェイリャ(故障)」が点灯した、ということを言いたかったのだと思いますが、その前に述べている「この緊急潤滑システムにより、ギアボックスは、油圧が失われた後も30分間の運転が可能になります。」と矛盾します。また、Flight Manualにも、「ELS activates any time primary lubricationpressure drops below 30 psi,」および「continue supplying oil, at a reduced rate, for 30 minutes.」と記載されています。はっきりしないので「緊急潤滑システムの能力は、その限界に近づいていたのです。」と翻訳しています。(この部分の翻訳は、最初に投稿したものから修正しています。)
私の知る限り、V-22の不安全に関し、ここまで詳細な情報が公開されたのは初めてではないかと思います。
「緊急潤滑システムの能力は、その限界に近づいていたのです。」の部分について、「緊急潤滑システムの誤作動が生じていた」と解釈し、翻訳を修正しました。
「緊急潤滑システムの能力は、その限界に近づいていたのです。」→「緊急潤滑システムは、本来の起動時期よりも早い段階で起動され、「プロップローター・ギアボックス・プレッシャ・ロスト(油圧喪失)」注意灯が点灯してからわずか14分後に潤滑油を使い果たしてしまっていたのです。」
下記の部分についても、それに合わせて修正しました。
「当時の私たちは認識できていませんでしたが、緊急潤滑システムは、それより前の段階でオイルのギアボックス内への供給を開始し、自分自身を保護するようになっているのです。」→「当時の私たちは認識できていませんでしたが、緊急潤滑システムは、すでにギアボックス内へのオイルの供給を開始し、そのまま作動を続けてしまっていたのです。」