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陸軍航空の情報センター

同乗者の練度不足に起因する事故

上級准尉3 フスト・ペレ三世
米陸軍航空学校第223航空連隊第1大隊B中隊
フォート・ラッカー、アラバマ州

夜間、高度9,100フィートのピナクル(狭隘な山頂部)に着陸しようとした時、我々の搭乗していたCH-47Dチヌークは、樹木にローターを接触させ、激しい振動に見舞われました。機長であった私は、副操縦士から操縦桿を取り上げると、近傍の錯雑地に機体を落着させました。結果的には、機体はアフガニスタンの険しい地形の餌食となり、大破してしまいましたが、機内にいた30人の兵士と搭乗員はその命を失わずにすみました。本記事では、あの事故をもう一度追体験し、どうすれば発生を防止できたのかを述べたいと思います。あの夜の死ぬかも知れないと思った私の体験が、他の操縦士のお役に立てることを願っています。古いことわざにあるとおり、「Learn from everybody else’s mistakes because you can’t make all of them yourself.(他人の過ちから学べ。なぜなら、その全てを自分で経験することは不可能だから)」なのです。

それは、2008年6月中旬のことであった。我々がアフガニスタンに派遣されてから、まだ6ヶ月しか経っていなかったが、早くも疲労感が漂い始めていた。我々の任務は、生命に関わる決心を強いられるような厳しいものばかりであった。その頃の私は、4ヶ月前に息子が生まれたばかりであり、一日も早くこの派遣が終わって、家族と一緒に暮らせることを祈っていた。しかしながら、過去の経験から、この派遣がすぐに終わることなどあり得ないことが分かっていた。
その日命ぜられた任務は、アフガニスタン東部に位置するヌーリスタン州における地上部隊の空輸であった。我々は、旅団SOPに従って、状況を確認しながら、計画を作成した。LZは、この地域によく見られる、植生に覆われた起伏の激しい急斜面に設定されていた。
 この任務には、3機の航空機が必要であり、そのうち2機はCH-47チヌーク、もう1機はUH-60ブラック・ホークを使用することになった。アフガニスタンにおいては、NVGの使用は義務づけられていなかったが、今回の任務では使用することになった。予想される危険を認識し、安全を確保するため、リスク・アセスメント・ワークシート(危険見積書)を作成した。このワークシートは、操縦士やNCM(nonrated crewmembers, 下士官搭乗員)の飛行時間及びNVG飛行時間に応じた危険見積指数が算定されるようになっている。3機の航空機に搭乗する操縦士は、全員が「Plussed-up(プラスダップ)」(任務を安全に完遂するための能力、経験及び知識が豊富なベテラン操縦士を指すスラング)であった。また、NCMも、全員が基準を満足していた。このことから、この任務に参加する搭乗員の経験は「中程度」と判定され、その判定結果は規定どおりの上級指揮官により承認された。
 すべての準備は、計画どおりに進行していた。私は、ファルコン・ビュー(訳者注:米軍が用いている地図閲覧ソフト)に類似したソフトウェアであるタスク・ビューを用いて、昼間及び夜間の飛行予定経路を確認した。タスク・ビューは、統合型プラニング・ツールであり、各LZ及び経路において想定される状況を確認できる。このツールを用いることにより、今回の任務に使用される予定のLZ及び飛行経路の地形は、非常に険しいことが判明した。任務の遂行には、困難が予想されたが、全搭乗員は、それを克服できるものと確信していた。
 我々は、日没後に出発し、LZへの最終着陸態勢に入った。長機で指揮をとっていた私は、1機ずつ単機でLZに進入することを決心し、2番機及び3番機に無線で連絡した。2番機及び3番機は、長機が着陸・卸下を完了するまで待機するため、南側の空域で周回飛行を開始した。私は、LZの真上で高めのホバリングを行い、着陸に適した地積を探したが、見つからなかった。S-2の見積もりでは、LZ予定地点の最大斜度は6-7°であったが、実際には、40-70°の傾斜があった。
OGEホバリングを行いながら、着陸できそうな地点を探していたところ、後輪2輪のみを接地させ、卸下できそうなピナクルを発見した。アフガニスタンでは、NVGを使用してピナクル・ランディングを行うことも珍しいことではなかった。我々は、この新しいLZに副操縦士が提案した要領で着陸することを決心した。次いで、副操縦士の操縦によりピナクルまで機体を小移動させ、着陸を開始した。
 後輪をピナクルに接地させるため、機体を後退させていたところ、突然、FEが「下がるな!」と叫んだ。その直後、後方ブレードが樹木を叩き、機体が激しく振動し始めた。私は、副操縦士に目をやり、「着陸!」と叫んだ。ところが、副操縦士は、「離陸しましょう!」と言った。私は、「リリク?だめだ!」と怒鳴った。
 私は、副操縦士から操縦桿を取り上げると、機体を急な斜面に沿うように前方に降下させた。谷底へと降下してゆく最中に、ブレードが山腹を叩きはじめた。一枚一枚のブレードが巨大な岩に叩きつけられる毎に、大きな音が聞こえ、機体が激しく振動した。前方トランスミッションがもぎ取られ、後方ブレードがちぎれて山腹に突き刺さった。その後、機体は谷底に落着して停止した。
 私は、エンジン・コントロール・レバーを引いて、エンジンを停止した後、消火ハンドルを引いた。その直後、オーバーヘッド・コンソールが目の前に落下してきた。エンジンは、大きなきしみ音を立てながら停止した。私は、搭乗員と搭乗していた30名の兵士の安全を確認し、全員の無事を確認すると、機外への脱出を開始した。

教訓事項

この事故は、発生を回避できた事故であった。この事故から得られる教訓事項としては、まず、操縦士だけではなく、搭乗員全員がプラスダップ(ベテラン)であり、その任務の遂行に必要な能力と経験を有していなければならないということがある。事故機の搭乗員のうち、夜間のピナクル・ランディングの経験があったのは、2名の操縦士と、1名のFEだけであった。しかも、そのFEは、経験不十分な他のNCM(機付長及び機関銃手)の面倒を見なければならない状況にあった。
 ランプ・ドアに位置し、後方の警戒を担当していた機付長は、ピナクル・ランディングの最中に、地面との接触を避けるためにランプ・ドアを一旦閉鎖しようとして、機外から注意をそらせてしまった。このため、着陸時の周囲の警戒を行っていたのは、機関銃手とFEの2人だけであった。キャビン・ドアに位置していたFEは、ピナクル・ランディングの経験が豊富であったが、ランプ・ドアが閉鎖されていたため、機体後方を十分に確認できなかった。また、機体の左側に位置していた機関銃手も、機体後方はよく確認できない状況であった。
 この事故の間接的な原因としては、LZを任務遂行に先立って研究していた場所から、新しい場所に変更することを現地で決心したことがあげられる。また、機付長が「ランプ・ドア格納」と機内送話した時、機付長が後方監視以外の業務を行っていることに操縦士が気づき、着陸を中止していれば、事故の発生は回避できた可能性がある。
この任務が事故の可能性を有する危険なものとして認識されなかった要因には、搭乗員全員の練度が基準を満たしており、この任務に適合していると判断されたことがある。機付長と機関銃手の経験が十分でなかったことを考慮すれば、リスク・アセスメント(危険事前評価)の危険指数は、もっと高く見積もられるべきであった。さらに、ピナクル・ランディングを実施する際のクルー・コーディネーション手法にも改善の余地があったし、そのような着陸を行うことが予期できたのであれば、機付長と機関銃手を他の要員と交代させるべきであった。

本記事の読者がRMIS(Risk Management Information System, リスク・マネジメント・インフォメーション・システム )にアクセスできる権限を有しているならば、米陸軍コンバット・レディネス/セーフティ・センターのウエブ・サイトから2008年6月17日に発生した本事故の詳細な情報を入手できます。あの日、誰も命を失わずにすんだことには感謝していますが、航空機を大破させ、多くの物的損害を与えてしまったことを非常に残念に思っています。
この事故の約1年前にも類似した航空事故が発生していましたが、その事故においては搭乗員全員が死亡しています。死亡した兵士の中には、私の友人も含まれていました。勇猛果敢な彼らの行動に敬意を払うとともに、これらの事故から得られた教訓を活かし、将来の任務を完遂しなければならないと考えています。

           

出典:KNOWLEDGE, U.S. Army Combat Readiness/Safety Center 2010年04月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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