礼節を捨て去れ
ここでいう礼節とは、兵士が上官や経験豊富な兵士に尽くすべき礼儀のことです。残念なことに、それが危険状態発生の要因となる場合があります。それによって、経験の浅い兵士が飛行中に警告を発したり、正しい行いを要求したりするのをためらってしまう可能性があるからです。
私が若手パイロットだったときも、常に心がけていたのは、ベテランパイロットたちを不快にさせたり怒らせたりしないことでした。操縦課程を卒業したばかりで何も分かっていなかった私は、ベテランパイロットたちは常に正しいと思い込んでいて、彼らのコックピットでの決定に疑問を抱くことがありませんでした。自分の隣に座っている機長は何でも知っていて、困ったときにはいつでも頼れる存在だと信じていました。、機長に対して、漫画の中でホーマー・シンプソンがドーナツに対して持つような憧れを抱いていたのです。「すごいなぁ。私もあんなふうに優秀なパイロットになれるのかなぁ?」
ただし、それはあるトラブルに遭遇するまでのことでした。その「飛行」は、私にとって、それまで見えていなかったものが鮮明に見えるようになったきっかけとなりました。それは、私の中から、自分以外のパイロットは誰でも信頼できるという根拠のない先入観を消し去ったのです。
その日、イラクに派遣されていた私は、いつもどおりに飛行任務に取り掛かりました。機長であるA大尉(本人の名誉のため名前は伏せさせていただきます)以外の搭乗員は、同じ中隊の隊員でした。A大尉は、私たちの中隊が任務過剰になっていたため、他の中隊から支援に来ていたのです。自分以外の中隊から機長の支援を受けるのはよくあることでしたので、特に気にしていませんでした。その日の任務は、バラドからイラク北部の小規模な前方運用基地まで人員を空輸するもので、途中のキルクークで燃料補給を行うことになっていました。ごく簡単な任務となるはずでした。
バラドよりも北の地域を飛行するのはめずらしいことでしたので、通常よりも多くの時間をかけて飛行準備を行いました。過去にキルクークに行ったことがあった私には、その飛行場の運用についてある程度知っていましたが、念のため、キルクークの離着陸規定とFARP(燃料弾薬再補給点)運用規定を再度確認しました。繰り返しますが、それはけっして難しい任務ではありませんでした。
飛行前ブリーフィングと飛行前点検に問題はありませんでした。素晴らしい一日になりそうだと思っていました。機体に搭乗者が乗り込み、出発準備が完了すると燃料補給点のキルクークに向けて離陸しました。機長との間で「初めて一緒に飛行する者同士」としての普通の会話が始まりました。「出身はどこだ?」「子供は何人いるんだ?」「趣味は何だ?」などなどです。A大尉とのコミュニケーションに慣れてきた私は、リラックスした気持ちでいつもどおりの役割をこなしていました。
問題が起こり始めたのは、キルクークに進入を開始した時のことでした。A大尉が飛行場内の配置を把握していないことが分かり、私が操縦してFARPに進入することになったのです。なんと、A大尉はキルクーク飛行場の運用規則はおろか、飛行場の配置図さえも確認していませんでした。「それくらいのこと、気にするほどのことではない」と思うかも知れませんが、これが大変な問題を引き起こすことになるのです。
FARPに着陸し燃料補給が完了すると、僚機の技量評価操縦士兼編隊長から「後方からFARPを出てもかまわないぞ」という無線連絡がありました。
「良かった」と私は思いました。ホバリングして後方から誘導路に出たほうが、余計な移動をしなくて済むからです。すると、X機長は、前夜にナイト・シフト要員が準備してくれたニーボードに挟まれた飛行場図を指差しながら、「よし、そのコンクリートの境界柵を飛び越えて、そこの誘導路に着陸しろ」と私に指示しました。
「ええっ…ええっ…ええっ!」私の頭の中で警報灯が点滅し、警報音が鳴り響きました。この男は、いったい何を考えているんだろう? 第1に、飛行場運用規則には、いかなる場合にも境界柵の上空を飛行してはならないと定められていました。第2に、機長が着陸するように指示した場所は、誘導路ではありませんでした。
私は、「機長、境界柵上空の飛行は禁止されています。それから、そこは誘導路ではありません。」と気を使いながら応えました。
ところが、機長から返ってきた言葉は「いいんだ。言ったとおり、境界柵を飛び越えて誘導路に着陸しろ!」というものでした。
こういった場合に、私たちはどうするべきでしょうか? 飛行場運用規則についての私の説明は、完全に無視されてしまいました。機長の機嫌を損ねてでも、編隊長の了解を得るべきでしょうか? それとも、機長に礼節を尽くし、その指示に従うべきでしょうか?
機長からのプレッシャーに屈した私は、新人パイロットであれば誰もが選ぶほうを選択しました。機体を浮かび上がらせると、境界柵を飛び越え、機長が言うところのタクシーウェイに着陸しました。その時です。境界柵の反対側にあった簡易トイレがひっくり返り、トイレット・ペーパーのロールが舞い上がってローターに吸い込まれました。粉々になったトイレット・ペーパーの破片がローター・ウォッシュの中を飛び交う光景は、まるで大晦日の紙吹雪のようでした。境界柵の反対側にあったのは、簡易トイレだけではありませんでした。そこにあったブラダー・タンクは、簡易トイレから飛び散った「新鮮な液体」でコーティングされてしまいました。
最悪だったのは、僚機に搭乗していた私の技量評価操縦士に、その一部始終を見られてしまったことでした。座席の中に身を縮めるようにしながら、飛行後に叱責されることを覚悟するほかありませんでした。
教訓事項
このとてつもなく長く感じられた飛行とその後の2時間におよぶAAR(after-action review, 検討会)から、私は生涯忘れられない教訓を得ました。どんな場合でも、自分が正しいと思うことを行わなければならないのです。そして、どんなことでも、搭乗員や搭乗者の安全を守るために必要なことはやらなければならないのです。たとえ、それが礼節を欠くことになろうとも...
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2024年03月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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