AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

ベテランへの過度の依存

上級准尉2 クリス・メフォード
第160特殊作戦航空連隊(空挺)第3大隊
ジョージア州ハンター陸軍飛行場

MH-47GのAQC(Advanced Qualification Course, 上級資格課程)に入校していた私は、ミシシッピ州南部で行われた夜間複数機同時HAAR(Helicopter Air-to-Air Refuel, ヘリコプター空中給油)作戦訓練に参加していました。私は、MH-47Gの右席で操縦しており、左席には飛行時間の長い、高い資格を有する経験豊富なIP(Instructor Pilot, 教官パイロット)が、そして、トループ・コマンダー・シートには同期の学生が座っていました。その訓練は、数ヶ月にわたって毎日続いた飛行訓練の最終段階に位置づけられる課目でした。私はMH-47Gにも慣れ、これまでよりも困難な条件での飛行にも、あまり苦痛を感じないようになっていました。当日の気象状況はかなり悪く、シーリング(雲底高度)はAGL(地上高度)1,000フィート未満、クラウド・トップ(雲頂)は8,000フィートでした。広範囲にわたって小雨が降り、訓練予定地点の周辺には雷雨が発生しており、計画ルート外での飛行を余儀なくされました。雲量が多かったことに加えて、月明かりが少なかったこともあって、視程は大きく制限されていました。

さらに、私の機体(2機編隊の中の2番機)は、離陸前に整備上の問題が発生してしまいました。海兵隊のC-130と予定どおりの時間にランデブーするためには、1番機だけが単独で離陸する必要がありました。整備上の問題が解決したので、離陸して、1番機と空中リンクアップを行い、訓練を続行しました。我々には、卒業に必要な重要課目であったこの訓練をその夜のうちに完了させなければならないという切迫感がありました。

C-130のクルーからの最初の無線交信は、予定されていたHAARトラックの偵察を実施した結果、前述の天候により飛行不能と判断したことを伝えるものでした。我々は、ゲーム・タイム・デシジョン(状況に応じた即時の判断)により、雲の上まで上昇し、別の場所でランデブーすることを決定しました。7,000フィートまで上昇しましたが、クラウド・デック(雲層)からわずか10フィートしか離れていなかったため、8,000フィートまで再び上昇し、訓練を開始しました。

HAAR訓練を無事に完了すると、2機のMH-47Gは編隊としてC-130から分離し、その夜のイベントの締めくくりである出発飛行場への帰投を開始しました。今度は私の機体がリード・エレメント(先導機)となり、操縦は引き続き私が行っていました。上昇した時と同じように雲の切れ間が見つかって、編隊を基地まで先導できることを期待しながら、降下を開始しました。しかし、降下するにしたがって、視程は着実に低下していきました。IPに視程の悪化について報告し、了承されました。そして、それは周辺の雨雲が原因であると判断されました。降下を続け、目的地に近づくにつれて、飛行していた田園地帯の家明かりが少なくなり始めました。単に田舎に入ったからだと考えた私は、それには言及することなく降下を続けました。

突然、私が目印にしていた唯一の光が消えました。即座にIFR(Instrument Flight Rules, 計器飛行方式)に移行し、「不慮の計器飛行状態に陥った」と報告すると、上昇を開始しました。私の機体がIIMC(Inadvertent Instrument Meteorological Conditions, 不慮の計器気象状態への突入)に遭遇したという通報が、編隊内無線周波数で行われ、編隊を分離してIFRで飛行場へ向かうことになりました。この時点では、私はIIMCに完全移行し、事前に計画されたリカバリーを行おうとしていました。ところが、IPは私に上昇を止めるように言いました。すぐに雲から抜け出せると予想した彼は、クリアランス(許可)を受けてIFRでリカバリーしなくても、前進できると考えたのです。私は、ためらいながらも、IPの指示に従いました。そして、結果的に2機編隊のまま雲から抜け出し、飛行場へ無事に帰投することができました。

教訓

飛行後、私はAAR(after-action review, 事後検討会)において、そして、トループ・コマンダー席にいた同期とホテルに戻る車の中で、一連の出来事を振り返りました。私自身も、PC(Pilot in Command, 機長)およびエア・ミッション・コマンダー(航空任務指揮官)としての経験を積んだパイロットです。確かに、IPは当時の私とは比べ物にならないほどの能力と経験を有していました。このため、私は異議を唱えることもなく、彼に状況をコントロールさせてしまったのです。

しかし、連邦規則だけでなく、規定された計画にも従わない行動が許されるのでしょうか?結果的にはすべてがうまくいったものの、我々がすぐにVMC(Visual Meteorological Conditions, 有視界気象状態)を回復できるという保証はどこにもなかったのです。我々と目的地の間に障害物や他の航空交通はありませんでした。

今にして思うと、私は上昇を続け、IPに「ブリーフィングされた計画を守り、進入周波数に無線機を設定してリカバリーを開始しなければならない」と言うべきだったのです。結果的には、私はSOP(Standard Operating Procedures, 作戦規定)、FAA(Federal Aviation Administration, 連邦航空局)規則、そして何よりも自分自身の適切な判断に従わず、ベテランの経験に依存してしまったのです。

この飛行から得た最大の教訓は、いかなる緊急事態においても、人に頼ることなく、当事者意識を保持し続けなければならないということです。

今回のように結果的に飛行がうまくいってしまうと、忘れがちなことかもしれません。しかし、たとえそうであっても、他の飛行と同様に教訓を学び、それを次の飛行に適用して、任務、部隊、そして人命を保護するために最も厳格な基準内での運用を確実にしなければならないのです。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年07月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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