航空安全の重要性-航空士官上級課程卒業式におけるサーマン将軍の訓示
Flightfax(1984年11月14日)のアーカイブ記事より
訳者注:原文は三人称の報告形式(「サーマン将軍はこう述べた」)で講話内容を紹介する構成ですが、本訳では可読性を高めるため、将軍の言葉を一人称で直接掲載する形に再構成しました。
1984年10月24日、フォート・ラッカーの米陸軍航空センターで実施された航空士官上級課程(Aviation Officers Advanced Course)の第1期卒業式において、マクスウェル・R・サーマン陸軍参謀次長(Vice Chief of Staff Army, VCSA)が訓示を行った。将軍は陸軍航空の歴史を75年前のライト兄弟にさかのぼって振り返り、ジェームズ・M・ゲービン陸軍中将(LTG)をはじめとする先達がエアモービル(空中機動)の概念を確立し、空中機動戦術と教義を発展させ、ベトナムの戦火の中で航空騎兵部隊を率いた歴史を語った。その上で、航空安全を中心に据えた以下の訓示を行った。
諸官は、陸軍の中で最も高い専門性を持ち、自他ともにその専門性を求め続ける職種でなければなりません。近代の戦場で空地戦(Airland Battle)を戦う諸官の任務は、過去のパイロットたちが背負ってきた責務をはるかに超えるものです。
諸官が追い求めるべき専門性の一部として、航空安全があります。航空安全には2つの重要な側面があります。飛行安全と、信頼性の高い整備です。これほど危険な環境で活動する職種は他にありません。そして士官の命が、兵士・機付長・航空整備士の手に委ねられる度合いが、航空科ほど高い職種もありません。
東南アジアのあるジャーナリストはこう言いました。「飛行機には翼があり、本来飛ぶように作られている。ヘリコプターには1万個の部品があり、すべてが互いに引き裂き合おうとしている。」
空軍にはこんな古い格言があります。「タイヤを蹴って、エンジンに火を入れる。最初に離陸したやつが長機だ。ブリーフィングは飛びながら無線でやればいい。」これは、装備品が今より廉価で、飛行の危険性も低く、我々も敵も今よりはるかに余裕のある時代における、勘と経験だけで飛ぶ運用の話です。そのような時代は永遠に過ぎ去りました――陸軍のパイロットにそんな時代が実際にあったとすれば、ですが。
諸官に課せられた課題は、陸軍航空を重部隊(heavy forces)に統合することです。諸官には、戦術と手順を発展させ、基準と価値観を確立し、航空科の永続的な伝統を築く機会が与えられています。ただし、米陸軍は、重部隊への装備の充実が急速に進む中にあっても、世界最高の軽部隊を保有し続けることにも引き続き注力してゆきます。
諸官は、単なるパイロットであるにとどまらず、陸軍のすべての指揮官の中でも最も技術的・戦術的に優れた人材でなければなりません。技術的には、自らが率いる部下よりも、飛行の力学についてより深く理解していなければなりません。また、戦術的にも有能でなければなりません。M1/M2/M3戦車と多連装ロケット・システムによって支援される機甲旅団が、縦深30キロメートルの反撃を実施する――そのような作戦において、航空科として機甲旅団を支援する計画を立案し、実行できなければなりません。
航空事故は、私が毎日報告を受ける重要事項の一つです。調査の結果、これらの事故の非常に多くが操縦ミス(pilot error)によるもの――パイロット自身の能力を超えた操縦、または機体の安全飛行限界(safety envelope)を超えた運用が原因であることが、繰り返し示されています。
今後2年間で、陸軍航空の飛行時間は最大40パーセント増加する見込みです。上級課程の第1期修了者である諸官は、飛行時間が年間240万時間に達する時代に部隊へ着任することになります。飛べば飛ぶほどリスクが高まることは、諸官も理解していることでしょう。安全に関して、諸官の最大限の努力を求めます。
私が副参謀長(人事担当)(Deputy Chief of Staff for Personnel, DCSPER)として陸軍の最高安全責任者を務めていた頃、様々な要請を受けました。その一つは、ブラック・ホーク(UH-60)から座席を取り外して23名の兵員を搭乗させたいという部隊からの要請でした。私の答えは断固たる「ノー!」です。あの機体は、事故が起きた際に搭乗者が生存できるよう、耐クラッシュ設計の座席(crashworthy seat)を備えて設計されています。もし座席なしで23名を収容する機体が欲しかったなら、最初からそう設計したはずです。また、なぜ機長はコックピットに座って自ら操縦しなければならないのか――後部キャビンから指揮だけ執ることはできないのか――という問いも受けました。コックピットから操縦するように設計されているからです――それだけのことです。
各自が自分の判断で何でもやってよいという話には絶対なりません。装備品がどのように運用されるよう設計されているか、諸官自身も、そして部下たちも、正しく認識してください。
昨年12月、会計年度1984年度(FY84)第1四半期の事故データを検討した際、私は航空安全のための1日間の飛行停止(stand-down)を指示しました。「航空安全のために1日は長すぎだろうか?」――もちろん、そんなことはありません。どの部隊を指揮するにあたっても、規則第14条――「指揮官たる者、率先して指揮せよ」――を忘れないでください。それはつまり、航空安全に関する諸官の基準を組織の全員に徹底させるために、諸官が必要と判断すれば、いつでも部隊を飛行停止にできるということです。
私はまた、陸軍安全センター(Army Safety Center)に対し、クラスA航空事故(Class A aviation mishap)ごとにブリーフィングを行った担当者の氏名を報告するよう指示しました。クラスA事故とは、死者、50万ドル以上の損害、または航空機の大破を伴うものです。
我々は自らに説明責任(accountability)を課さなければなりません。部下に説明責任を問わないという贅沢を、諸官は自らに許してはなりません。それは諸官の士官としての職務の一部です。誰も航空機を操縦する生得の権利は持っていません。繰り返します。誰も航空機を操縦する生得の権利は持っていません。操縦する能力は、実際に証明して見せなければなりません。これは、能力を証明して初めて任に就くことができるという考え方であり、米陸軍のあらゆる職務に通じる原則です。装備品は高価ですが、最も重要なのは人命の喪失です。それこそが、最大の代償なのです。
技術的・戦術的な能力を身につけることと同様に重要なのは、指揮官としての技量と潜在能力を磨くことです。諸官は部下の兵士たちを大切にしなければなりません。今日の陸軍には、諸官が率いる優秀な若者たちと、諸官が操縦する優秀な装備品があります。兵士たちの献身と、彼らが抱く希望を決して忘れないでください。
訳者注:米陸軍航空科(Aviation Branch)は1983年4月12日に独立した職種として創設されました。それまで航空科士官向けの独自の上級課程は存在せず、フォート・ラッカーにおける航空士官上級課程の開設は1984年のことです。本記事の卒業式はその第1期にあたり、サーマン将軍が「第1期修了者」と呼びかけているのはこのためです。
訳者注:空地戦(AirLand Battle)は、1982年に米陸軍が制定した作戦教義です。冷戦期のソ連との大規模通常戦を念頭に、前線・縦深・後方を統合した機動戦を重視するもので、本記事が書かれた1984年当時は最新の教義でした。冷戦終結後は改訂が重ねられ、2001年に「フル・スペクトラム・オペレーション(Full Spectrum Operations)」へと発展的に更新されています。
訳者注:クラスA事故の定義は、本記事が書かれた1984年当時は「死者、50万ドル以上の損害、または航空機の大破」とされていましたが、現在の米陸軍の基準では「死者、永久全身障害、250万ドル以上の損害、または航空機の大破」に改定されています。
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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