離陸直後のスタビレーター警報音発生
当時、イラクに派遣されていた我々は、いかに控えめに見ても非常に忙しい毎日を過ごしていました。攻撃大隊の誰もが、埃と砂にまみれた新たな降着地域を探し求め、そこへの着陸を計画しようとしていました。速度を要求される任務が頻繁に与えられ、夜間に他の航空機に上から着陸されることがないように、機体の中や航空機の横のベッドで寝なければならないことも珍しくありませんでした。
ベビー・パウダーのような埃が、ありとあらゆるところに入り込んでいました。砂の影響でいくつかのエンジンに不具合が発生してからというもの、エンジン・インレットに砂が入らないようにするため、あらゆる手立てを講じました。我々が派遣されたときには、まだ、インレット・フィルターは装備されていませんでした。それがあれば、役に立っただろうと思います。3か月の間、すべての離陸や着陸が埃の中で行われました。エンジンをシャット・ダウンすると直ちに機体の各所にカバーを取り付ける必要がありました。
ある朝、仮眠から目覚めると、任務が付与されました。機長がブリーフィングに向かった後、機付長と私で飛行前点検を開始しました。機長が戻った時、まだ半分しか終わっていませんでしたが、機長は、「行くぞ。4時間前に着陸したばかりなんだから、そんなにしっかりやらなくていいんだ」と言いました。私の抗議は、聞き入れられませんでした。私は、まだ半人前の新人パイロットだったし、機長は、上級准尉3の教官操縦士でした。
問題の発端は、前夜にピトー管カバーを紛失してしまったことにありました。砂塵がピトー管に入り込むのを防止するため、機付長が自作したカバーを右側ピトー管にかぶせることにしました。そのカバーは、戦闘糧食(MRE)の袋とガムテープ(100-mph tape)を使って作られていました。どんなものか、想像がつくと思います。それは、少なくとも40ノットの風速に耐えられる強度を持っていることが後になって分かりました。これから、次に何が起こったかをお話ししましょう。
戦闘糧食の袋には、リボンがついておらず、袋の一部がハイドロリック・デッキ・カバーに挟められていたため、私が右側座席に飛び乗った時、それが付いたままであることに気づくことができませんでした。地上試運転を終了し、私が操縦して、埃の中を離陸しました。埃雲の中を抜けると、サイクリックを前方に倒し、前進飛行に移行しました。十分な転移揚力が得られるようになろうとした時、機体が不安定になり、スタビレーター警報音が鳴り響きました。パワーオン・リセットを試みましたが、また、アラームが鳴り響きました。原因が何なのかは、すぐに分りました。
機長席の速度計は0なのに、副操縦士席の速度計は40ノットを示していました。その時、機付長には、何が起こっているのかが分かったのです。速度検知システムに何らかの問題があると私が言うと、機付長は頭上の緑色の風防から上を見るように助言してくれました。戦闘糧食で作ったカバーが、ピトー管にかぶったままになっているのが見えたので、「そうだ、問題はこいつだ」と言いました。
安全な場所を探して着陸し、問題を排除しました。ピトー管に戦闘糧食の袋をテープで縛り付けるというアイデアは、明らかに不適切でした。もし、飛行中に外れると、No.2エンジンのインレットに吸い込まれる可能性もあったのです。チェックリストも重要ですが、細部に注意を払うことも大切なことなのです。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2019年09月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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1件のコメント
UH-60のピトー管カバーには、これでもかというくらいに長いリボンがついていますね。