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陸軍航空の情報センター

コンティンジェンシー・プラン(不測事態対処計画)を持て

氏名非公開

空間識失調の感覚は、飛行中にそれを経験した者でなければ、理解することが難しいものです。幸運なことに、私はそれを経験しても生き残り、その夜について話すことができています。

我々は3機のUH-60Mでハワイ島を一周する訓練飛行を計画していました。その訓練では、編隊飛行といくつかの飛行場へのアプローチを演練する予定になっていました。私の機体は編隊の2番機でした。私は中隊では若手の操縦士で、総飛行時間は約300時間、ナイト・ビジョン・ゴーグル(暗視ゴーグル、以下NVG)での飛行時間は約40時間でした。機長は経験豊富なパイロットで、総飛行時間は1,000時間以上、少なくとも1回の戦闘派遣の経験がありました。1番機には大尉と中尉が、3番機には大尉と上級准尉2が搭乗していました。各機には1名のクルー・チーフも搭乗していました。

全員が訓練シナリオに精通しており、同様の飛行を何度も経験していました。ハワイ島はそれほど大きくないので、操縦士やクルー・チーフは、その特徴や地形にはすぐに慣れていました。ただし、予測不能または予報外の天候の中やその周辺での飛行、海上でのゼロ・イルミネーション(無照明)飛行など、慣れるのが少し難しいこともいくつかあり、その夜の飛行にもこれらすべてが関係していました。

暗視ゴーグルを装着した夜間飛行を開始する前に、昼間の編隊飛行でウォーミング・アップを行いました。夜間飛行に入って約1時間後、島の北西角を回り、目標飛行場のランウェイ8(風は東からでした)へのストレート・イン・アプローチの準備を開始しました。その滑走路は海岸線と平行しており、海から1,000フィート(約305メートル)以内にありました。滑走路へアプローチしていると、計画していたルートの東方が、予報外の雲の層で覆われているように見えました。

滑走路へ問題なくアプローチした後、天候の状況とじ後の訓練について話し合いました。計画されたルートに沿って東へ進むのか、それとも来たルートを引き返すのか? 照度はゼロ・パーセントであり、7から10マイル(約11キロメートルから16キロメートル)東方の雲の状態は見えませんでした。編隊全体での協議の後、空中部隊指揮官は危険を冒さないことに決定しました。我々は来た道を引き返すことになりました。

ランウェイ8を使って風上に向かって離陸し、その後左ダウンウィンドに入り西へ出発することになりました。編隊は左スタッガード(千鳥、ちどり)隊形でした。2番機の右席に着座していた私が、離陸の操縦桿を握るのは理にかなっていました。

アップウィンド・レグとダウンウィンドへの左旋回の半分は、いつものとおりに行うことができました。暗いものの、1番機から約3ローター・ディスク分離れて、それを目視しながら追従することができていました。しかし、加速しながら上昇し、左旋回を続けると、右手の視界から海岸線が消え、我々の眼前に残ったのは太平洋の暗黒の深淵(しんえん)だけになりました。私は急速に方向感覚を失いました。

自分の機体と1番機との距離が縮まりましたが、1番機が減速しているのか自分が加速しているのか、分かりませんでした。それに対処する前に、1番機の上を左から右へ飛行し、それを追い越してしまいました。チン・バブル(機首下部の窓)から1番機が一瞬見えた後、それを見失ったことを鮮明に覚えています。

私は機内通信システムで「操縦を代わってください。1番機を見失いました。今左側にいます」と言いました。機長は、私の言葉を聞くまで、問題が起こっていることに全く気付いていませんでした。旋回の間、1番機を視認していなかった機長には、何が起こっているのか分かっていなかったのです。

私と同じく機体の右側にいたクルー・チーフも、何が起こっているのか分かっていませんでした。クルー・チーフはおそらく、後方の3番機か、あるいは十分な高度があることを確認するために水面を見ていたのでしょう。機長は操縦桿を握ると、意図しないリード・チェンジ(先導機変更)に対応するため、デコンフリクト(衝突回避)を行って機体分離を確実にしようとしました。その間、私は対気速度、高度、方位をアナウンスしました。

幸いなことに、操縦交代の間に機体は異常な姿勢に入っておらず、機長が操縦桿を握ったときにも水平を保ちながら比較的まっすぐに飛行していました。このニア・ミスの間、1番機と2番機から1、2マイル後方にいて何も見えていなかった3番機は、無線で聞いたことに非常に混乱していました。緊迫した数秒間の後、1番機と2番機は安全に分離され、2番機だった我々が編隊を率いて駐屯地まで帰投することになりました。

編隊を密集させると、約20分後に飛行場に到着し、徹底的なAAR(事後検討会)を実施しました。

教訓

AARにおいては、そのニア・ミスの発生を防止または可能性を低減するためにできたことがいくつかあったと判断されました。地上で再配置し、10ノットの追い風でランウェイ26から離陸することもできました。各機体には3名しか搭乗しておらず、貨物もなかったので、機体重量は軽い状態でした。滑走路は9,000フィート(約2,700メートル)の長さがあり、追い風の影響を緩和して、西へ離陸することができたはずです。

加えて、旋回する前にアップウィンド・レグで全機が所定の高度と対気速度に達するようにすることもできました。コントラストのない暗黒の海上で、3軸全て(加速、上昇、旋回)ではなく、1軸(旋回)だけを変化させるようにすれば、空間識失調の可能性を低減できたはずです。

また、さらに東進を続け、海洋から内陸へ移動し、山岳から分離した後に左または右に旋回することもできたかもしれません。その場合、その方向にあった雲の影響が懸念されますが、それに到達する前に十分な空間があったと考えられます。

この編隊飛行の各搭乗員は、その夜、多くのことを学びました。私は学んだ教訓を活かし、それ以降の全ての飛行に活かしてきました。コンティンジェンシー・プラン(不測事態対処計画)は、事前の任務計画に盛り込まれ、飛行前に全ての搭乗員に徹底的にブリーフィングされるべきなのです。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年06月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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