搭乗員の疲労管理

それは、約45分離れたところにある駐屯地まで人員を輸送し、帰投するという定期的な任務でした。その頃には我々が海外に派遣されてから1年以上が過ぎており、同じような任務の繰り返しが多くなっていました。私が搭乗していたのは、2機のUH-60で構成される編隊の2番機でした。人員の卸下を問題なく終了した我々は、帰投を開始しました。搭乗員全員の士気に問題はありませんでしたが、離陸からしばらくすると自然と無言になっていきました。
地上約30フィート(約9メートル)を飛行する機体のコックピットが、数分間、静寂に包まれました。副操縦士に操縦を任せた私は、砂漠ばかりの退屈な景色の中、機外の監視にあたっていました。バイザーを下げていたので副操縦士の顔は見えず、その疲れ具合をうかがい知ることができませんでした。突然、機首が急激に下がりました。対地高度は、わずか30フィート(約9メートル)です。私は、慌てて操縦桿を取り、出力を増加させて機体を水平に戻しました。テール・ホイールが地面から1〜2フィート(約30〜61センチ)のところをかすめました。一瞬でも対応が遅れていたら、我々は砂漠の一部になっていたことでしょう。動揺する搭乗員たちを落ち着かせるように努めました(私も心臓が胸から飛び出しそうでしたが…)。どうやら副操縦士は、操縦中に眠ってしまったようでした。
この事案には、学ぶべき教訓が複数あります。それは、慢心、低高度飛行、搭乗員間の連携不十分などです。しかし、私が注目するのは、搭乗員の疲労管理です。海外に派遣されるまで、私の部隊での搭乗員の勤務時間は最大12時間に制限されていました。ところが、派遣からほどなくすると、その制限は14時間まで延長されてしまいました。しかも、中尉や少尉たちには、そういった制限が適用されていなかったのです。小隊軍曹や上級軍曹たちも、飛行を終えた機付長に対し、その制限を適用することはありませんでした。部隊全体に「搭乗員の勤務時間制限は怠け者のためのもの」という異常な風潮が蔓延していたのです。
この悪習は、航空科職種全体に見られるものでした。「搭乗員の疲労管理」という用語が、忌み嫌われていたのです。この制限を超えた勤務が最も多かったのは、下士官兵と中尉や少尉でした。12〜14時間の任務の後、さらに5〜6時間も整備や人事業務に従事することが良い結果をもたらすわけがありません。これらの隊員を監督する立場にある者は、翌日の任務を支障なく遂行できるように、十分な休息を取らせる必要があります。その日、私と飛行していた副操縦士は、様々なプロジェクトで長時間の勤務を余儀なくされ、深夜の検問所警備に従事することもあり、平均して一晩に3〜4時間しか睡眠を取れていない状態でした。
搭乗員の勤務時間制限が存在するのには、正当な理由があるのです。それは、仕事を避けたり怠けたりするためのものでは決してありません。紹介した事案では、搭乗員の疲労管理が不適切であったために、4名の搭乗員の命と数百万ドルの航空機を失い、部隊の戦闘力を大きく損なうところだったのです。安全担当士官、教官パイロット、機長パイロット、そして個々の搭乗員には、この制限を確実に遵守する責任があります。部下の勤務状況を詳細に把握し、適切に休息できているかを確認すること、それはあなたの役割なのです。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年06月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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