AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

スノーブラインド

ロナルド・W・メノーハー
PEO(Program Executive Office, 計画管理室) – シミュレーション、訓練および計器担当
アラバマ州フォート・ラッカー

執筆者注:この出来事は、ずっと昔に私が経験した出来事です。私は、OH-58A+というレガシーな機体で構成される5機編隊のうちの1機に、同乗者(non-crewmember)として搭乗し、アラスカを飛行していました。私たちは、気温が華氏マイナス50度(摂氏マイナス45.6度)に達する中で2週間テントの生活を送った野外演習から帰投する途中でした。日の出とともに開始されたその飛行は約1時間半の予定でした。この時期のアラスカの日の出は、午前11時頃です。太陽が地平線より高く上がることがほとんどなく、薄明のような空が約6時間続きます。

私の中隊には、5機の航空機を飛行させるのに十分な数のパイロットがいませんでした。長機には私たちの技量評価操縦士(standardization instructor pilot, SP)と中隊長が搭乗し、2番機から5番機は機長と、左側の副操縦士席に機付長が同乗者として搭乗していました。それは、部隊移動を行う場合に珍しいことではありませんでした。

気象予報では、飛行経路全体を通じて断続的な降雪(scattered snow showers)があるものの、視程は良好とされていました。飛行準備および離陸は順調に進み、5機すべてが離陸して、対地高度(AGL, above ground level)約800フィートで水平飛行に移りました。ほどなくして軽い降雪に遭遇し、視程が約5マイル(約8.0キロメートル)に低下しました。4番機に搭乗していた私には、他のすべての航空機が見えていました。高度を下げて進み続けると、軽い降雪はアラスカでスノー・スコール(snow squall)と呼ばれるものへと徐々に変わり、視程は2マイル(約3.2キロメートル)未満に低下しました。前方の航空機からちょっとでも目を離せば、間違いなく見失ってしまいそうでした。地上は雪に覆われていてコントラストが少なく、空は一面の雲でした。激しい降雪により、危険なホワイトアウト状態(whiteout condition)が生じていました。

私がパイロットに2番機が不安定に上昇と下降を繰り返していることを話していたちょうどその時、その機体のパイロットから、悪態混じりの無線が入りました。それは、彼が天候のせいで困難に直面していることを明らかに物語るものでした。「見かけの大きさ」から判断した距離感では、その機体は1番機の真下を通り過ぎたように見えました。長機の技量評価操縦士は即座に、編隊の誰もが必要だと認めたくない言葉を発唱しました。「編隊をブレイク(break-up)し、出発した飛行場へ帰投せよ。」今日は、家には帰れないことになりました。

中隊は編隊のブレイクを十分に訓練していましたが、現在飛行しているような条件下や、別々の機体の2名のパイロットが空間識失調(spatial disorientation, SD)状態に入っているような状態で行ったことはありませんでした。その後に2番機、3番機、そして5番機に起こった出来事は、恐ろしいものであると同時に、奇跡的としか言いようがなく、私たちや長機にとっては聞くに堪えないものでした。長機と私たちの機体は、無事に旋回と上昇を行いました。しかし、2番機のパイロットは、パイロットではない機付長に操縦を交代しなければならないほどの重度の空間識失調に陥っていました。技量評価操縦士が飛行時間の少ない2名のパイロットに、これら2名の機付長を配置していたのは幸運でした。この単独操縦機においては機付長と機長がペアになるのが一般的であることを踏まえ、中隊のパイロットたちは彼らに操縦を教えておくのが最善だと常に考えていました。実際に、その機付長たちは操縦方法を知っていたのです。

3番機は180度の旋回を行っている最中に降下して樹木に接触しました。機付長が操縦を代わって高度を回復させる前に、チン・バブルが破損し、FMアンテナが折れ、フューエル・キャップが引きちぎられましたが、その後も飛行を継続しました。5番機もまた、地上の視覚的補助目標を見失い、レーダーの支援が受けられない状態の中で、意図しない計器気象状態(inadvertent instrument meteorological conditions, IIMC)を宣言しなければなりませんでした。機長と機付長は、計器進入(instrument approach)を利用して、何とか帰投することができました。その機長は着陸後、誰とも口をきかずに、タバコを3、4本は吸っていました。

2番機と3番機は、ほとんど同乗者たちの操縦によって、飛行場へ帰投しました。検討会(after action review, AAR)は同乗者(機付長)という英雄たちへの賞賛に満ちた、興味深いものになりました。翌日、私たちは無事に家に帰ることができました。その道中で操縦教育を受けたのが誰だか、分かりますか? そうです、私です! それが、私がパイロットになったきっかけになりました。

何年も前の出来事ですが、今でもすべてを鮮明に思い浮かべることができます。それは、その後のパイロットとしてのキャリアを通じて、状況判断能力を形成する助けとなったと確信しています。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年12月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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1件のコメント

  1. 管理人 より:

    この記事は、2016年にKNOWLEDGE誌に掲載された記事が一部編集のうえ再掲載されたものです。
    https://aviation-assets.info/risk-management/snowblind/