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陸軍航空の情報センター

あまりにも危険だった飛行

上級准尉2 ケキラ・ケウマ
第2-4全般支援航空大隊B中隊
コロラド州コロラド・スプリングス

我々操縦士は、時が経つにつれて航空機に対する慣れと自信が高まり、かつては集中しなければできなかったことが簡単にできるようになります。優秀な操縦士だと認められたいと思っている我々を待ち受けているのが、苦労して身に付けた技量を誇示したいという虚栄心の罠です。そこには常に危険が内在しており、致命的な結果をもたらす可能性があります。

我々が操縦しているのは、CH-47チヌークです。この機体やその搭乗員が格好良く描かれることはめったにありません。これを題材にした映画は作られませんし、医療活動を行うことも稀で、畏敬の念を抱かせるような兵器も搭載していません。しかし、この機体には自慢できるものがひとつあります。それは、操縦士の数フィート後方の通路内にある簡素な帆布製の座席で、一般的にジャンプ・シートと呼ばれているものです。この席に座った兵士は、ほぼコックピット内にいるのと同じ環境に身を置くことができます。操縦士と同じように、遮るもののない視界を得ることができるのです。CH-47を保有する部隊では、地上部隊指揮官、再入隊者(訳者注: 米陸軍では再入隊が重要な節目として扱われ、祝賀行事が行われる)、他軍種の兵士などが搭乗した場合には、ジャンプ・シートに座らせることが慣例となっています。これは我々に抗しがたいほどに危険な罠をもたらします。それは、人に感銘を与える絶好のチャンスだからです。

その日、私はあるCH-47に機長として搭乗していました。副操縦士は約300時間の飛行時間を持つ中尉でした。我々の任務は、創隊されたばかりの歩兵部隊が実施する空中機動訓練を支援することでした。その訓練は、新入兵士を対象としたものでした。我々の役割は、目標への潜入を2回、基地への離脱を2回、合計4回の空中機動を行うことでした。

その飛行は日中に演習場内の標準飛行経路内を使って行われるもので、気象にも特段の問題がありませんでした。その経路は、飛行するのが楽しい地形で知られていました。NOE(Nap of the Earth, ほふく飛行)は、私の大好きな飛行要領です。樹木の上や丘陵の間を低高度で飛行することは、実にスリリングな体験です。ただし、士官が同乗している時は、それを嫌がらない限り、操縦を任せるようにしています。

副操縦士の中尉は潜入と離脱の両方でNOEでの操縦を担当し、私はコックピットの管理を担当していました。最初の回の中尉の旋回操作は、予想どおり緩やかで、高度も一定に保たれていました。しかし、任務が進んで回を重ねるごとに、その操作は少しずつ積極的かつ大胆なものへと変化してゆきました。どの回においても、搭乗した新入兵士のうちの一人をジャンプ・シートに座らせていました。それは、全くもって楽しい飛行でした。我々の心に潜む6歳児を満足させられる、実に美しい一日だったのです。

最後から2番目の回では、巨大な花崗岩の崖に囲まれた小さな谷の中を飛行しました。次の通過点に向かうためには、それらの崖の中の一つを飛び越えなければなりませんでした。中尉が操縦桿を握った機体は、対地高度約90フィート、計器速度100ノットで飛行していました。中尉は、その崖に近づいても、なかなか高度を上げようとしませんでした。私は、崖を見つめて飛行する中尉を見ながら、どうするつもりなのかと尋ねました。中尉は、「サイクリック・クライムで崖を越えます」と言いました。サイクリック・クライムは、事前のAMR(Aircraft Mission Rehearsal, 航空機任務予行演習)訓練で私が中尉に教えた標準的な機動手法であり、中尉がそれを行う技量を有していることは明らかでした。

しかし、あまりにも崖に接近し、危険だと感じられたので、私は手を伸ばして操縦桿を取ろうとしました。私がそうしようとしているのが見えたのだと思います。中尉は、「上昇します」と言って機動を開始しました。チン・バブルの膨らみが崖の縁をかすめたように思えました。私の体は緊張し、それが何かの違いを生むかのように足を持ち上げました。中尉はというと、私のような不安を全く感じていないことが明らかでした。ジャンプ・シートの兵士を見ると、我々が望んでいたとおりの興奮した表情をしていました。

おそらく副操縦士は、最初からそのタイミングで上昇するつもりだったのでしょう。我々が最初にサイクリック・クライムを訓練したのは数か月前のことであり、その後も練度を高めるのに十分な時間があったはずです。しかし、中尉はもう少し後のタイミングで上昇するつもりだったけれども、私の動きを見て早めに操作を行ったのかもしれません。当時、私はこの出来事を笑って済ませてしまい、AAR(after-action review, 事後検討会)でも議題にしなかったので、真相は永遠に分かりません。

ところが、今になっても、あの時のことが頭から離れないのです。我々は、あの飛行からいったい何を得たのでしょうか?

おそらくそれは、ジャンプ・シートに座っていた兵士からの賞賛でしょう。そして、銃もなく、Xウィング戦闘機でもない機体で、デス・スターを攻撃するルーク・スカイウォーカーになりきることを楽しんだのです。ただし、我々が操縦していたのは、バスほどの大きさがあるチヌークでした。

もちろん、「戦うように訓練する」というスローガンは間違っていません。それは私が考え得る、我々が行った行動の最も強力な論拠かもしれません。戦闘時のような飛行は、操縦士がより積極的な機動を習得するのに役立つのです。しかし、どこで線を引くのでしょうか?訓練効果とリスクとのバランス、そして勇敢さとのバランスが取れた線はどこにあるのでしょうか?戦闘地域においては、重要な目標を奪取したり、敵の生命を奪ったりすることで任務が達成されます。そこでのリスク対効果の比率は、間違いなく平時とは異なり、より大きなリスクが許容されます。平時における訓練でも、戦闘時と同じように簡単にリスクを許容して良いのでしょうか?確かに実戦的な訓練は必要ですが、もし我々が崖に衝突して降着装置を破損したり、それ以上の事態になったりしていたら、「その飛行の訓練効果は航空機の損害に見合うものだった」と言ってくれる人は誰もいなかったでしょう。

あの時、実際にどれくらいまで崖に接近していたのかは分かりません。私はいつも、電波高度計を25フィート(約8メートル)で警報が鳴るように設定しています。崖を通過した時にそれが鳴った記憶がありませんので、それほど近づいておらず、私が過度に慎重だっただけかもしれません。あるいは実際には警報が鳴ったのに、恐怖で聞き逃してしまったのかもしれません。いずれにせよ、真相は分からないのです。運用制限を超過したのかどうかが明らかではない以上、学ぶべき教訓も明確ではありません。

平時における訓練は、可能な限り安全でなければなりません。なぜなら、戦闘地域以外での負傷や死亡には何の価値もないからです。しかし、我々はリスクから逃げることはできません。我々が従事しているこの業務はそれを許さないものなのです。最終的にどこで線を引くかは、操縦桿を握る個人の判断にかかっていることを肝に銘じておく必要があります。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年06月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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