風と共に去りぬ
その時、私は、マートルビーチ国際空港(サウスカロライナ州)で、突然やってきたモンスーンのような風が急速に強まっていくのを運行事務所(Fixed Base Operations, FBO)のガラス製のドアから眺めていました。雨が激しくなり、わずか50ヤード(約46メートル)しか離れていない列線に駐機している私の機体(双発ターボプロップエンジンのC-26E輸送機)が見えずらくなってきました。その瞬間、恐ろしいことに、それがまるで命を吹き込まれたかのように動きはじめたのです。この事態が発生するまでの経緯を振り返ってみましょう。
その数時間前、私と副操縦士は、一つ星の将軍を含む11人の乗客を乗せ、キューバのグアンタナモ湾海軍航空基地を出発しました。その日の最終目的地は、ロードアイランド州でした。私たちは、税関手続きと燃料補給を行うため、ウェストパームビーチ国際空港(フロリダ州)に立ち寄り、その後マートルビーチ国際空港で再度燃料補給を行う予定でした。経路上の天候は、断続的な雷雨、中程度の乱気流、および軽度の着氷が予報されていましたが、飛行にそれほど影響があるものではありませんでした。経路間は、そのほとんどを高度 20,000 フィートで飛行することになっていました。私たちにとっては、ごく普通の一日になるはずでした。
カリブ海上を何事もなく飛行し、ウェストパームビーチに着陸した時、複数の雷雨域が発生し始めました。税関手続きは20分で終了しましたが、雷雨域の1つが激しさを増し、飛行場は強い雨と雷に見舞われ始めました。このため、燃料補給が遅れ、1時間の予定だった地上待機時間が2時間に延びてしまいました。
予定よりも遅れはしましたが、その後は問題がなく、ウェストパームビーチを離陸することができました。マートルビーチ国際空港に計器進入を行っていた時、気象レーダーとNEXRAD(ドップラー式の高解像度気象レーダー網)気象アップリンク・ディスプレイに、複数の雷雨域が表示されているのが確認できました。それらの雷雨域は、空港の周辺に散在していましたが、十分に離隔していたので、簡単に迂回することができました。空港が視認できるようになったので、VFRアプローチの許可を得ました。問題なく着陸し、運行事務所の指示に従って、地上滑走して駐機しました。
エンジンを停止した後、地上勤務員が輪止めが取り付け済みであることを合図して知らせてくれました。私たちは、次の2つの理由から、標準手順であるパーキング・ブレーキを使いませんでした。1つ目は、ランプからの搭乗を容易にするため、地上勤務員が機体を別の駐機スポットまで牽引する可能性があったためです。2つ目はC-26のブレーキは、着陸時やその後の地上滑走中に頻繁に使用すると過熱してしまうことがあったからです。駐車後もブレーキを作動させたままにしておくと、熱が放出されず、損傷を生じさせるほど温度が上昇する可能性があるのです。
私たちは、搭乗者の降機を援助し、運行事務所へと案内しました。私と副操縦士は、飛行後の点検を行い、3つの降着装置のうちの1つの車輪に輪止めがされていることを確認しました。輪止めがされていたのは、前輪でした。それから、いつもの任務と同じように、地上勤務員に燃料補給を依頼し、運行事務所に向かいました。
数分後、運行事務所の女性事務員から手招きして呼ばれ、空港のすぐ近くで雷が観測されたため、給油作業が遅れると告げられました。私は、将軍やその他の搭乗者に、そのことを伝えました。それからは、この物語の始まりで述べた場所から、外の雨と風を眺めていました。その時、驚いたことに、私たちの機体が左に140度旋回して止まったのです。私たちの機体の右翼端のすぐ外側には地上電源装置 ( ground power unit, GPU) が配置されており、左翼端のすぐそばにはキング・エアが駐機していました。私は、自分たちの機体がそのキング・エアか地上電源装置に衝突したと確信しました。その動きの速さと大きさから、どこにもぶつかっていないとは、とても思えなかったのです。
副操縦士に声をかけると、二人で嵐の中へ飛び込みました。運行事務所ドアのすぐ外に停まっている牽引車に、いくつかの輪止めが残っていました。私たちは、それをつかみ取ると、豪雨と雷の中、機体に向かって走りました。二人の頭の中には同じ思いが駆け巡っていました。-「飛行機を救わなきゃ!」こんなに激しい雨に降られたのは初めてだ、と思ったのを覚えています。運行事務所のドアから20フィート(約6メートル)も離れないうちに、靴下がびしょびしょになっているのが感じられました。
私が一方の主降着装置に輪止めを付け、副操縦士がもう一方の主降着装置に輪止めを付けました。私は、機体の下にしゃがんだまま、360度を見渡して機体の各セクションを確認しました。驚いたことに、機体はどこにも衝突していませんでした。それは、信じられないくらい幸運なことでした。
嵐の前に前脚に設置されていた輪止めはまだ同じ場所にありましたが、前側の輪止めが横に押し出されていました。何が起こったのかを理解するのに、それほど時間はかかりませんでした。強風によって垂直尾翼の左側が押され、尾翼が右に回転し、機首が左に回転したのです。前輪はフリーキャスター式なので、機体が完全に風上を向くまで、輪止めを押し出しながら反時計回りに回転してしまったのです。
エプロンを見渡すと、数機の軽飛行機が傾き、タイダウン・ロープでかろうじて支えられているのが見えました。中には、ロープを引っ張りながら、機体の方向を変えているものもありました。1機のセスナ152は、胴体が曲がってしまっていました。全ての機体が、同じ方向に引っ張られていました。
その時、私は自分の間違いに気づきました。運行事務所の地上勤務員が取り付けてくれた輪止めは、セスナ172などの軽飛行機に使うものと同じ、木製のものでした。このような輪止めは、これまでも私たちの機体で何度も使われていました。航空機を駐機するのは完全に平らな場所なので、どんな輪止めであっても、それを乗り越えるには非常に大きな力が必要になりますよね? 違います!
それは、大きな間違いでした。私は、そう思い込んでいただけで、それが問題を引き起こす可能性があるかどうか、考えていなかったのです。機内には、より大きくて重い(30 ポンド、約14キログラム)輪止めが搭載されており、それを使用することもできました。しかし、駐機した時には、モンスーンのような驚異的な風が吹くとは予想していませんでした。さらに、駐機するのは、給油を行う間の僅かな時間のはずでした。輪止めが問題になる可能性を認識できなかったのです。
この経験から、私は、駐機するときは常に、C-26に適合した2セットの輪止めを確実に取り付けるようになりました。飛行後の点検の一環として、飛行機から離れる前に、運行事務所の地上勤務員が取り付けた輪止めの大きさと重量を確認しています。運行事務所には、より重い輪止めも備えられているので、場合によってはそれを要求します。1セットしかない場合は、機体の貨物室から輪止めを取り出して使用します。大きな教訓を学んだ私は、二度と同じ間違いを犯すことがないでしょう。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2023年10月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
アクセス回数:480
コメント投稿フォーム
2件のコメント
すいません! 今週は、記事の掲載が1日遅れてしまいました。
『風と共に去りぬ』(原題: Gone with the Wind)は、1939年に製作されたアメリカ映画で、インフレを調整した歴代の興行収入では歴代第1位の映画です(2020年調べ)。
私は、これまで観たことがないのですが、観たくなってしまいました。