燃料補給中の火災事故からの生還
機長:「中尉、着陸前点検をやろう」
副操縦士:「ちょって待ってください。チェックリストを準備します。OKです。ウエポン・システム:セーフ」
機長:「セーフおよびオフ確認」
副操縦士:「テール・ホイール:ロック」
機長:「ロック確認」
副操縦士:「パーキング・ブレーキ:解放」
機長:「解放確認」
副操縦士:「TADS/PNVSアンチアイス:オフ」
機長:「後席オフ確認、前席確認」
副操縦士「前席オフ」
機長:「OK。左方向にFARP( ファープ、Forward Arming and Refueling Point, 弾薬燃料再補給点)を確認。誘導員を確認。問題なし。4番ポイントに進入する。ブリーフィングで情報提供のあった丸太の山に注意。目を離すなよ」
副操縦士:「多分、あれがそうですね。問題なさそうです」
3番機:「35こちら55。55が先に4番ポイントに進入する。35はその後3番ポイントに入れ。そのほうが、丸太が気にならないだろう?」
機長:「了解。そのとおり実施する。中尉、これで問題ないな。地上誘導員を見失わないようにしろ。アース用ロッドに接触するなよ」
副操縦士:「分かりました。大丈夫です。約1フィート前進させます」
機長:「OK、接地が完了したら言ってくれ。ブレーキをかける」
副機長:「接地完了」
機長:「プレーキ:セット。アイ・ハブ」
副操縦士「ユー・ハブ」
機長:「2番機は、アイドル運転に復帰。OK、燃料補給の監視は、俺がやる。中尉は、戻ったらすぐにデブリーフィングができるように資料をまとめておけ。俺も、後で自分の資料を見ておく。何だ???」
副操縦士:「何があったんですか?」
3番機:「おい。火が出たぞ。脱出しろ。脱出しろ!」
機長:「中尉、脱出だ。火が付いた。出ろ!」
これは、小説に書かれた架空の物語ではない。そうであったなら、どんなに良かったことだろう。残念なことに、これは、通常の訓練飛行の終了間際に起こった実際の事故である。私は、後席に機長として搭乗していた。この記事は、この事故について、誰かを非難したり、責任を追及したりしようとするものではなく、単に事故に遭遇したパイロットとしての体験を紹介しようとするものである。この事故で得られた貴重な経験を共有し、航空機の火災に遭遇した際の対応に役立ててもらえればと思っている。
なぜ火災が起こったのか?
この事故があるまで知らなかったのであるが、当時、HEMTT(Heavy Expanded Mobility Tactical Truck, 重高機動戦術トラック)航空燃料補給システム(HEMTT tanker aviation refueling system, HTARS)のノズル部分に装着する緊急切断コネクター(emergency breakaway connector, EBC)が採用され、すでに部隊で使用されていた。このコネクターの目的は、燃料補給を行っている最中でも、緊急の場合に安全にホースをノズルから切り離せるようにすることであった。
そのアイデア自体は良かったのだが、そのEBCは、反対方向にも取り付けられることが問題だった。反対に取り付けた場合、ロッキングピンが正常に入らないため、給油作業員がホースを燃料タンク車から機体に移動させた際にカップリングがずれ、燃料補給中に接続が緩んでしまう可能性があったのである。
(編集者注:1994年5月、航空部隊コマンド(Aviation and Troop Command)は、本不具合の発生にかんがみ、EBCをHTARSに使用することを禁止し、HTARSからの取り外しを指示する技術情報を発簡している。現時点においても、EBCの使用は許可されていない。)
私の機体への燃料補給が開始された時、燃料ホースがEBCから分離(EBC自体の不具合ではない)し、毎秒2~6ガロンの燃料が燃料補給要員やAH-64に降り注いだ。幸運なことに、燃料補給要員はホースを手離して退避したため、着火した燃料により火だるまにならずにすんだ。
HEMTTの操作員は、直ちに燃料の吐出を停止したが、すでに大量の燃料が機体や地面に降り注がれていた。ローターに降りかかった燃料は、霧状になり、蒸気雲を形成した。エンジンか、電気スパークか、あるいは他の何らかの原因により、燃料が発火した。爆発は起きなかったが、ほぼ瞬時に、エンジンから機首にかけての前部胴体全体が炎に包まれた。
どう対応したのか?
コックピット全体に燃料が降りかかったことに最初に気づいたときは、「まさか」と思った。右側のキャノピーの外側を燃料が流れ落ちる様子を、信じられない思いで見ていた。降りかかった燃料は、上側のキャノピーから左側のキャノピーにも流れ込んでいた。左側も右側と同じくらいにひどい状況だった。対応案を考えようとしていた時、2番機のパイロットが無線で、火災が発生した、脱出しろ、と言うのが聞こえた。
視線を右に戻すと、炎は、すでに右ウイングの前縁に迫っていた。炎は、信じられない速さで燃え広がっていた。前席の中尉に脱出を指示した。パワー・レバーをつかんでオフにし、フューエル・スイッチを閉じ、バッテリー・スイッチを一旦切った。しかし、ダッシュ10(取扱書)に、ローター回転中に緊急脱出する場合には、バッテリー・スイッチをオンにしたままにしておくこと、という警告があったのを思い出し、オンに戻した。(これは、マグネチック・コントロール・ブレーキに電力を供給して、機体から離脱している最中にローターが下がることを防止するためである)
さらに1~2秒の間、コックピットの計器とスイッチを見まわし、シャットダウンに必要な手順がすべて完了しているかどうかを確かめた。エンジンが運転し続けることにより爆発や破壊が起こり、地上要員に被害が及ぶ可能性を最小限にするためであった。左前方を見ると、左側の燃料再補給点に着陸していた航空機がピッチを引き始めたのが分かった。もう一度右側を見たが、こちら側は炎でほとんど何も見えず、こちら側にいた航空機が離陸できたのかどうかは確認できなかった。前方アビオニクス・ベイの上に、脱出しようとしている中尉の姿が見えた。
脱出方向の決定
やるべきことはすべてやった。あとは自分の番だ。ここで私は、緊急時にコックピットからあわてて出ようとする者であれば誰でも経験するミスを犯してしまった。ショルダー・ハーネスを外すのを忘れていたのである。ドア・ハンドルをつかもうとして手を伸ばしたが、最初に炎が見えてから2~3秒しか経っていないにも関わらず、手袋の上からでも火傷を負うほどにハンドルが熱くなっていた。
キャノピー・ドアを開けると、そこは熱地獄であった。開いたドアに沿って炎がコックピット内に吹き込み、キャノピーの上端を超えて左側まで達した。もし、ハーネスを外していたとしても、この状態で脱出しようとは思わなかったであろう。左を向いて炎から顔をそらせると、何とか呼吸することができた。顔が溶けそうなくらい熱かった。どの方向にも逃げ出すことはできないように思えた。手を伸ばして、キャノピー・リリースを握り、キャノピー・ドアを下げようとした。キャノピー・リリース・ハンドルを回すとき、いつもの癖で、すぐに手を放してしまった。この操作を行うと、ドアは、途中まで下がったところでロックされるようになっている。ドアが下がり、ロックされると、そこに生じた3~4インチの隙間から炎がコックピット内に吹き込んできた。
この状況に対処し、脱出する方法を見出そうとして、頭の中が時速100マイルで回転していた。この時点で、機体の右側は完全に炎に包まれていた。地面さえも見えなかった。左側もけっして良い状況ではなかった。キャノピーを吹き飛ばして左側に脱出することも一瞬考えたが、なぜかそうすることをためらった。今、振り返ると、その選択は間違っていなかった。後になって分かったのだが、実際には左側は右側よりも炎が強く、風が左後方から右前方へと吹いていた。もし、キャノピーを吹き飛ばしていたら、一瞬で黒焦げになるところだったのである。
体中をアドレナリンが駆け巡っていたせいか、火傷を負った手に痛みは感じていなかった。ショルダー・ハーネスを外し、もう一度、コックピット・ドア・ハンドルに手を伸ばして、ドアを閉じようとした。しかし、いくら灼熱のコックピット内にいても、炎の中に手を突っ込んでハンドルを握ることはできなかった。このため、窮屈なコックピット内で中腰になり、右足でドアを蹴り上げて、ロックを外した。ドアが閉まると、大きく息をついた。
顔に火傷の痛みを感じながら、航空機の周囲を見回し、もっと良い脱出方向がないかと考えた。それがないという結論に達すると、やはり、右側に脱出することを決心した。ドアを開けると、コックピットから炎の中に飛び込んだ。
炎の中で
自ら炎の中に飛び込むというのは、過去に経験したことのない過酷な選択であったが、コックピットに座ったまま焼け死ぬよりはましだ、と考えた。もし、炎の中で死んでいたならば、私は、四つん這いのままで黒焦げになっていたことであろう。地面に転がり落ちながら頭をよぎったのは、妻と4人の息子のことであった。何としても、妻たちにもう一度会いたいと思った。
地獄のような熱風の中、文字どおり黒焦げになりながら、叫び声をあげたことを覚えている。後で分かったことだが、それは、正しい対処であった。叫び声をあげることにより、炎や煙、そして燃えた機体の複合材料から発生した有毒ガスを吸い込むことを避けることができた。このため、私は左肺の一部にわずかな損傷を受けるだけで済んだのである。
最初は、四つん這い、そして中腰になり、とにかく、体の下の自分の足を前に出し続けた。混乱した状況の中にもかかわらず、炎から遠ざかる方向に脱出することができた。後になって、目撃した隊員から、炎の中からの脱出時間の最高記録を塗り替えた、と言われたが、自分自身では、そんなふうには思わなかった。覚えているのは、炎から逃げなければ焼け死んでしまう、と思ったことだけである。
脱出成功
炎の中から飛び出してからも、さらに少し走ってから止まった私は、深く息を吸い込んだ。やっと、生きた心地がした。体に火がついて、消すために転げまわる必要がないかを確かめた。火はついていなかった。胸から靴にかけて黒焦げになっていたが、どういうわけか、それが可笑しくさえ思えた。それは、地獄から逃げ出せたことに安心したためだったのかも知れない。火災の発生に気づいてから脱出するまでに要した時間は、わずか18秒だった。
初動対処
前の方に副操縦士を見つけ、大丈夫か、と声をかけた。彼も私に同じことを聞いた。どちらもそれに答えることなく、ただお互いに見つめ合っていた。二人とも「相手がこんなにひどい状態であるということは、自分はいったいどうなっているのだろう」と思ったが、口に出せないでいたのである。
まだ、痛みはそれほど強く感じられなかったが、ひどい火傷を負っていることは明らかだった。一番ひどかったのは、顔だった。解け落ちてしまったように感じたし、焦げた皮膚の臭いがしたし、下の方を見ると鼻が黒焦げになっていた。振り返って炎に包まれた機体を見ると、そこから脱出できたことが信じられないような情景が広がっていた。
後で分かったことだが、少なくとも3名の隊員が25ポンドの消火器を使って我々を救助しようとした。しかし、あまりにも強い熱のため、消火液を炎に届かせることができなかった。現場はひどく混乱していて、我々が脱出したことに誰も気付かないほどだった。
私は、HEMTTのそばにいるFARP隊員たちのところまで、歩き始めた。他機のパイロットが駆け寄って来てくれた時、突然、体の力が抜け、倒れ込んでしまった。彼は、誰かが天幕から運び出してくれた折り畳みベッドの上に私を座らせてくれた。そして、顎ひもを外して、ヘルメットを脱がせてくれた。バイザーは下げていなかったが、第3度熱傷を受けたのは下あごと口の部分だったので、そのことはあまり問題とはならなかった。かけていたサングラスが目を保護してくれた。
救護活動
その後の記憶は、はっきりしない。激しい痛みが始まり、体を動かすことができなくなった。多くの隊員が、シャツを脱いで我々を包んでくれるなど、救護に手を尽くしてくれた。衛生兵、消火活動をしてくれた隊員、ひたすらに励ましてくれた隊員、その他、我々の知らないところで援助してくれた隊員たちに伝えたいことは、心の底から感謝している、ということに尽きる。
事故の結果
私は、体全体の41.5パーセントに火傷を負い、そのうち10.5パーセントが第3度熱傷であった。それ以外の部分は、中程度の第2度熱傷であった。
副操縦士は、体全体の21パーセントに重程度の第2度熱傷を負い、3パーセントに第3度熱傷を負っていた。
皮のブーツのおかげで、足には全く火傷がなかった。顔以外の火傷は、コックピットから出るときや地面から起き上がるときにノーメックス(Nomex)素材が体に密着した背中部分に集中していた。
胸、腰および尻は、着用していた綿の下着のおかげで、全く火傷を負っていなかった。火傷は、下着のところまで進んで、ぴったりとそこで止まっていた。
結果的には、ノーメックス素材の防護チョッキが命を救ってくれた。もし、それを正しく装着(ベルクロ・テープをしっかりと閉じ、襟を立て、結婚指輪をポケットに入れるなど)していなければ、もっとひどい火傷を負ったことであろう。幸運なことに、私の着用していた飛行服は比較的新しいものだったし、手袋は、指が全部出てしまっていたため、訓練参加前に新品に更新してもらったばかりであった。これらのおかげで、火傷の程度を軽くすることができた。
副操縦士と私が、あの状況から生還できたのは、全くもって幸運だったと言うほかない。火傷治療センターの専門家によれば、あと3~4秒遅れていたら、脱出できなかった可能性が極めて高いということであった。副操縦士は、すでに仕事に復帰し、飛行を再開している。私が復帰するのには、もう少し時間がかかりそうである。不幸にして、火炎にさらされた場合でも、生き残ることが可能なのだ。
他人事ではない
我々が直面したような状況に備えるための訓練は、行われていない。コックピットが瞬時に炎に包まれたような状況に対応するための緊急手順というものも、存在しない。しかし、だからと言って、迅速かつ適切な対処ができないということにはならない。重要なのは、パニックにならないことである。生存本能に従い、脱出するために行うべきことを実行しなければならない。そして、決してあきらめずに、それを実行し続けなければならない。
この記事は、燃料再補給という日常的な行動において発生した事故を紹介したものである。自分自身が同じような状況に陥った場合、いかに行動するか考えてもらいたい。少なくとも、自分にはこんな状況は起こらない、と考えるような過ちだけは犯して欲しくない。「起こらない」は、ほんの一瞬で「起こった」に変わるものなのである。ぜひ、我々の経験を有効に活用してもらいたい。こんなことを自ら経験したいと思う者は、誰もいないであろうから。
出典:FLIGHTFAX, U.S. Army Combat Readiness Center 1995年02月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。 掲載されている写真は、訳者が追加したものです。
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3件のコメント
本記事の原文は、1995年に初めて掲載されたものですが、2018年10月に再掲載されたものです。米陸軍において、エンジン運転状態での燃料再補給(自衛隊でいうところのホット・リフュエル)は、すでに日常的な行動なのですね。
サイトの運営お疲れ様です。
大変参考になる記事でした。
やはり実体験は、想像を超える詳細を含んでいることを再確認できた記事でした。
Refuelに関してですが、
HEMTTが大き過ぎて(重過ぎて)小回りが利かないのと、HEMTTの周りに燃料流出防止措置をする必要があるのでスタンド方式のHotが主流なのだと思います。
Hot Refuelに関する情報をいただき、ありがとうございました。米陸軍でHot Refuelが日常的に行われている理由が分かりました。