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陸軍航空の情報センター

絶体絶命

上級准尉2 ダニアル・W・ムーア
第224支援隊(空中機動)第1大隊D中隊
バージニア州フォート・ベルボア デイヴィソン陸軍飛行場

計画外の行動をとった私は、友人をメインローター・ブレードで死なせてしまうところでした。それは6月のことでした。私の部隊は、LUH-72ラコタで患者後送を行う初めての州兵部隊としてドイツに配備され、中東に派遣されていたUH-60ブラックホークを装備した部隊をバックアップしていました。この機体を装備して数年が経過していましたが、州兵であるがゆえに新しい隊員が絶えず配属されていました。現役部隊に比べると、やや結束力に欠け、訓練も不十分だったかも知れません。

患者後送のための部隊でしたので、24時間勤務を3回繰り返したのち2日間の休養をとるというローテーション勤務が行われていました。実任務はそれほど多くなかったので、担任飛行区域内で練成訓練を行う機会が常にありました。その日、私の患者後送チームは、3回目の24時間勤務についていました。このローテーションの最大の問題は、一部に実睡眠時間を確保しようとする意識に欠けた隊員がみられたことでした。特に若い搭乗員には、Xboxで遊んで夜更かしし、昼まで寝ている者がいました。反対に早く寝て、早起きする者もいました。本当に十分な休養をとっているかは、隊員たちの言葉を信じるしかありませんでした。

ある日の夕食後、気温が下がってから日没までの間に1時間半の訓練飛行を行うことになりました。その訓練には、2名のパイロット、1名の救難員および1名の整備員の4名が参加することになりました。まだ、配属されたばかりの隊員たちばかりだったので、担任飛行空域内での飛行とは言っても、まだマンネリ化はしていませんでした。その夜は、後席に搭乗している隊員たちを含めた、軽易な部隊訓練を行うことにしました。機長であった私は、飛行前ブリーフィングで、ピナクル(狭隘な山頂部)を探して、そこへの進入を訓練すること、安全に着陸するためには、後部座席の隊員は機外を監視し、前席のパイロットに機体の位置を報告しなければならないことなど説明しました。

訓練を開始した我々は、6か所ほどの小さな丘の上にある十分な広さがある着陸地点に着陸し、患者後送用施設への帰投を開始しました。その時、高さ300フィートの絶壁にピナクルがあるのを発見しました。そこは、急こう配の地形の途中にある棚状の場所でした。それは、完璧な訓練場所のように見えました。正確な着陸を必要とする、樹木が点在する制限地だったからです。

まずは地上500フィートをゆっくりと360度の旋回を行いながら偵察し、次に300フィートまで降下して着陸地点を再確認しました。着陸すべきでない理由は、見当たりませんでした。風が正対方向から吹いていましたし、飛行終了が近づいていたので機体重量もかなり軽くなっていました。そこへの進入および着陸は、搭乗者全員にとって簡単なことではありませんでしたが、教科書に書かれているように円滑に行われました。ローターをフラットピッチにし、エンジンをアイドルにした私たちは、着陸後の簡単な検討会を行いました。

ピナクルからの眺めはとても素晴らしく、遠くに太陽が沈み始めていました。搭乗していた救難員から、機体を降りて周囲を見てきたいという申し出がありました。ブリーフィングで確認していた行動ではありませんでしたが、急いで帰投する必要はありませんでしたし、ピナクルの周辺をちょっと偵察することに問題があるとは考えませんでした。左席に座っていた私は、副操縦士と共に機内に残りました。

救難員と機付長は、二人とも右側から機外に出るだろうと思っていました。そちら側が下り坂側だったので、当然そうするだろうと思っていたのです。右側ばかりを見て、救難員たちが機体を降りて、親指を立てて合図するのを待っていましたが、降りて来たのは機付長だけでした。その時、救難員が左側から機外に出て、私が親指を立てて合図するのを待たずに機体を離れ始めてしまいました。恐ろしいことに、かなりの急こう配になっている9時の方向に向かって進んでいたのです。

気付いた時には、すでにブレード先端付近にいて、丘を登り始めていました。この絶体絶命の状況から彼を救い出す方法を必死に考え出そうと、一度に何千ものことが私の頭をよぎりました。フラットピッチでアイドル状態だったので、ピッチを引っ張る時間はなく、現実的な選択肢ではありませんでした。

本能的に、サイクリックに右横に倒して、左側のブレード・チップを上げようと考えました。それは、ラコタにマスト・モーメントによる損傷を引き起こす可能性がありました(個人的には、それは大した問題ではない)、それ以上に問題だったのは下り坂の地形によりダイナミック・ロールオーバーに至る危険性があったことでした。いずれにしても、それほどの効果は得られなかったでしょう。

実際には、友人の頭がメインローター・ブレードで切り取られようとしているのを、息を止めて見ていることしかできませんでした。救難員に向かって叫びたかった。クラクションを鳴らしたかった。やりたいことは何百もありましたが、どれも実際には行うことができませんでした。その時の絶望的な気持ちは、言葉では言い表せません。幸いなことに、神、カルマ、マーフィー、そして天の星が皆、彼が死ぬべき時ではないことに同意してくれました。救難員は、ブレードを数インチのところでかわし、丘を登り続けました。自分が死ぬ寸前だったことには全く気付いていないようでした。

その日、私は貴重な教訓を学びました。ブリーフィングで説明しなかったことは、行ってはなりません。もし、計画外の行動が必要な場合 (「必要」がキーワード)には、行動を開始する前に簡単にでもブリーフィングを行うべきです。搭乗員は、常に全員が同じ楽譜で演奏しなくてはなりません。一連の行動を説明することにより、すべての搭乗員に機長の企図を明確に理解させ、発生しうる危険をあらかじめ予測するようにすべきです。そうすることによって、その行動がもたらす危険性を軽減することができるのです。すべての行動は、常に慎重でなければなりません。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2023年03月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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2件のコメント

  1. 匿名 より:

    「右から降りてね。左からだとメインローター・ブレードに頭があたるかもだから。」
    と言うべきだったこのお話。
    私はあの言葉を思い出した。
    父「右から降りるときは相手の車にドアをぶつけないよう気をつけて。」

  2. 管理人 より:

    コメントありがとうございます。
    その一言が大事ですよね。