任務と安全
「一線を画す」ということ
イラクの自由作戦VとVI(訳者注:作戦の期区分のことか?)の間、ある判断が繰り返し求められました。限界ギリギリの天候の中、離陸するべきか、地上にとどまるべきか? 陸軍パイロットなら誰でも分かっているとおり、時には、任務の重要度が最低気象条件を上回ることがあります。問題なのは、その線をどこに引くかということです。駐屯地で勤務している場合、その答えは明確です。気象条件を満たしているか、いないかで決めれば良いのです。しかし、戦場においては、その境界があいまいになりがちです。
作戦の最初の数か月間は、ほとんどの場合、最低基準が守られていました。しかし、時が経つにつれ、指揮官は、任務上の要求を満たすため、最低基準を柔軟に解釈するようになりました。そのほとんどは、地上部隊が敵と交戦していたためでしたが、最低基準を下回る天候の中で飛行することは、我々の能力を著しく低下させました。MTADS(modernized target acquisition designation sight, 近代化目標捕捉・指示照準装置) を装備した機体であっても、目標を定めることがほとんど不可能でした。また、低高度を飛行することにより、小火器の攻撃に対して非常に脆弱になりました。それでも、我々の存在は、抑止力として機能していました。
AH-64パイロットである我々の主な任務は、多国籍軍の命を守ることです。我々搭乗員や指揮官は、そのためであれば、最適とは言えない状況での飛行によりリスクが増大することを喜んで受け入れました。境界線があいまいになり始めたのは、その頃からでした。かつては例外だったものが、すぐに標準になりました。それは、主に、搭乗員が悪天候での飛行に慣れ始め、指揮官がより大きなリスクを受け入れて最低気象条件を下げるようになったためでした。
ただし、指揮官の意志とはほとんど関係なく、悪天候下での飛行が決定される場合もありました。例えば、将軍の移動に伴う護衛が必要な場合に、「No」という選択肢はありませんでした。その場合、将軍たちがリスクレベルの承認権者であり、我々の指揮官が異を唱えても勝ち目がなかったからです。
時間が経つにつれて状況は悪化し、すます危険な気象条件での飛行を余儀なくされるようになりました。いかなる気象条件においても離陸することが期待されるようになり、部隊全体から疑問の声が上がるようになりました。バグダッドを飛んでいる航空機が我々だけだったことが何度もありました。悪天候の中、支援が必要な任務のない状態で飛行していることさえもありました。搭乗員である我々は、何度も尋ねました。天候の境界線はどこにあるのでしょうか? いったい、いつまで運に頼らなければならないのでしょうか? これらの質問は、大隊レベルにおいて無視され、定められた最低気象条件を下回る状況での飛行が続けられました。
最低気象条件が設定されているのには理由があるはずです。駐屯地で勤務している間は、その条件が厳密に適用されています。もちろん、戦闘においては、例外を認めることが必要な場合もあります。しかし、それはあくまでも、標準ではなく、例外であるべきなのです。問題は、例外を1つ作ると、それを作り続けることが期待されてしまうことです。
それを黙認し、すべてを指揮官のせいにするのは簡単なことですが、搭乗員である我々にも責任があるのです。我々は、皆、最低気象条件を理解していましたが、それでも離陸することを選択しました。これは主に、離陸しないことで非難されることを恐れたためです。そして、離陸し、飛行し続けました。我々は、任務の重要性が悪天候の中で飛行するリスクを上回るのが、どのポイントなのかを自問すべきでした。この質問に答えることにより、離陸すべきか、地上に留まるべきかを自ら判断できたはずなのです。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2023年01月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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1件のコメント
今回は、ちょっと忙しくて...1時間で翻訳して投稿までを終わらせました。これまでの最高速度を更新しました。