真夜中の分散退避――計画がその場で変わるとき

2023年の感謝祭、祝日の食事が片付けられてから数時間後のことです。イラクのアル・アサド空軍基地にある私の居住用小屋の静けさを、突然の鋭いノックが破りました。ドアを勢いよく開けると、暗闇の中に技量評価操縦士(Standardization Pilot, SP)が立っていました。まったくの無表情でした。「分散退避だ」と彼は言いました。寝ぼけた頭では、その言葉をすぐには飲み込めませんでした。「本当ですか」と、私は冗談のオチを半ば期待しながら、彼を見つめ返して尋ねました。彼は瞬きひとつしませんでした。「本当だ。来い!」
アドレナリンが衝撃のように全身を駆け巡りました。飛行服を着込み、飛行装具をできる限りの速さでつかむと、指揮所(Command Post, CP)のテントまで全力で走りました。これまで航空機の分散退避計画の予行を繰り返してきたのは、まさにこうした状況、つまり間接照準射撃やミサイルによる攻撃が差し迫った状況に備えてのことでした。その時のブリーフィングで示されていた標準の手順は、単純なものでした。CH-47を離陸させ、指定された、数マイル先の安全な分散地域であるH1へ向かうのです。しかし、指揮所に飛び込んだとき、その筋書きが書き換えられつつあることが分かりました。下された命令は「H1には行くな。航空機を基地内で移動させるだけにせよ」というものでした。
当時の戦術的状況は流動的であり、指揮官は、航空機を基地内にとどめ、各所の駐機地域に分散させることが、当面、最も安全な処置であると判断したのです。貴重な時間を少しでも稼ぐため、任務の分担は素早く決められました。副操縦士(Pilot, PI)である私たちは、エプロンへ走り、直ちに緊急時の始動・地上試運転の手順に取りかかるよう命じられました。その間、機長(Pilot in Command, PC)は作戦本部(Tactical Operations Center, TOC)に残って手短な情報ブリーフィングを受け、その後に走って私たちに合流することになっていました。
私はテントを飛び出して自転車に飛び乗り、人生でこれほどこいだことはないというほど力いっぱいペダルをこぎました。CH-47の駐機地域へ向かう暗い道をたどる間、冷たい夜気が顔をかすめていきました。装具を機内に放り込み、右席に座ってハーネスを締めると、すぐに始動・地上試運転に取りかかりました。機械が許す限りの速さで緊急始動の手順を進め、手がスイッチの上を飛ぶように動きました。
エンジンが回転を上げきる前に、機長が息を切らしながら左席に転がり込んできました。彼は計器を見てから私を見て、焦りのにじむ声で言いました。「なんでまだ始動が終わっていないんだ?」私がチェックリストのどこまで進んだかを手短に伝えると、二人で始動を終えました。無線で、私たちの機に対する具体的な命令が届きました。道路を少し進んだところにある、貨物機用の大きな駐機地域へ機を移動させよ、というものです。私たちはピッチを引き、重いチヌークをホバリングに入れ、暗闇の中、基地内を横切ってエア・タクシーで移動しました。貨物機用の駐機地域に着くと、車輪をしっかりと接地させ、すぐに緊急シャットダウンを開始しました。私たちの目的はただ一つ、機体を固定し、一刻も早く頑丈な退避施設に逃げ込むことでした。
ローターの回転が落ち、機体を固定しようと夜の闇に降り立ったとき、ぞっとする光景が目に飛び込んできました。メイン・エプロンのほうを振り返ると、私たちの僚機(同じ部隊の別の機長と副操縦士が搭乗)が浮揚するのが見えました。しかし、その機は基地内にとどまらず、機首を下げて加速しながら東へ向かい、まっすぐ基地外へ出ていきました。彼らは古い分散退避計画に従い、H1へ向かっていたのです。
パニックになりかけましたが、訓練で身についた動作が先に出ました。ベストから携帯用の超短波(Very High Frequency, VHF)無線機をもぎ取ってマイクのスイッチを押し、必死に僚機を呼び出しました。そして、基地外へ向かう機首方位での飛行をやめて直ちに方向転換し、基地内にとどまるよう指示しました。ありがたいことに、雑音混じりの応答があり、僚機は旋回を始めました。私は彼らを私たちの位置まで誘導し、僚機は無事に貨物機用の駐機地域に着陸して、私たちの機と3番機から安全な距離をとって駐機しました。
後になって、決定的な失敗がどこで起きたのかが明らかになりました。最初に出動がかかったとき、僚機の機長はシャワーを浴びていたのです。警報下の混乱状態の中、彼は急いで服を着ると、作戦本部でのブリーフィングをまるごと飛ばし、まっすぐ機体へ走りました。そのため、H1へ飛ぶのではなく基地内で分散退避する、という変更後の命令を受けていませんでした。そして、自分が知る最後の有効な計画を実行してしまったのです。機体の固定が終わると、戦術車両が到着し、搭乗員全員を基地内の大きな防空シェルターへ急いで運びました。私たちは薄暗い明かりの中で何時間も座り、アドレナリンが少しずつ引いていくのを感じながら、ミサイル攻撃をやり過ごすのを待ちました。幸いなことに、攻撃はありませんでした。
教訓事項
シェルターの中に座っていると、その夜の出来事の重大さが胸に迫ってきました。私たちの部隊には、重要な教訓がいくつか残りました。
- 混乱で最初に失われるのは情報の伝達:機長がシャワー中だったために任務に関わる重大な変更を聞き逃したという事実は、緊急時に情報の伝達経路がいかに容易に途切れるかを示しています。計画がその場で変わるとき、全員が最新の指示を把握していると思い込んではなりません。ピッチを引く前の手短な無線確認であれ、ブリーフィングにバディーで臨むことの義務づけであれ、伝達を二重化することが欠かせません。
- 「標準」の計画の危うさ:私たちは標準の計画を訓練し、習性になるまで身につけます。しかし、計画が変わったのに全員に伝わっていなければ、体に染みついた動作がかえって足かせになりかねません。僚機の搭乗員は、もともと訓練されたとおりのことを正確に実行しました。しかし、このときの状況では、基地を離れることで、より大きな危険にさらされていたかもしれません。ブリーフィングで示された計画は、実行の最初の1分ももたないかもしれません。変更を受け入れる柔軟さを、常に持っていなければなりません。
- 状況把握の範囲は自機の操縦室にとどまらない:自分たちの機をシャットダウンして固定すれば責任が終わるわけではありません。機外に出た後も周囲に目を配り、空域を見張っていたからこそ、僚機の重大な誤りに気づくことができました。携帯用の超短波無線機で僚機を呼び止めたことで、無許可で極めて危険な基地外への飛行を防げたのだと思います。
あのアル・アサドでの混乱した感謝祭の夜は、運用上の適応力を学ぶ、またとない実地の授業となりました。私たちは、そういった場においても冷静さを保ち、臨機応変に対処できることを証明しました。ただし、それと同時に、慌ただしい出動任務の混乱の中において、統制のとれた分散をただの散り散りの混乱に変えてしまわないためには、明確な意思の疎通が欠かせないことを学んだのです。
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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