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陸軍航空の情報センター

歴史の視点-ベル・モデル47/H-13/HTL

マーク・アルバートソン

朝鮮戦争中、M4シャーマン戦車の車列を掩護して飛行するベルH-13。(写真:マーク・アルバートソン氏所蔵)

陸軍航空の航空機をたどる本連載は、連絡用の固定翼機から始まりました。近代陸軍航空の出発点である航空観測部隊(Air Observation Post, Air OP)を形づくった機体です。航空観測部隊は陸軍地上軍の戦術航空における画期的な発展でしたが、それはあくまで一つの発展、すなわち航空観測部隊が陸軍航空へと成長していく進化の過程における一段階でした。この進化の過程のうちヘリコプターの部分は、最初の量産回転翼機であるイーゴリ・シコルスキーのR-4から始まりました。今回は、ベルH-13「スー」(Sioux)に話を進めます。

1940年代後半L-4とL-5が老朽化するにつれ、その後継としてのヘリコプターへの関心は急速に高まっていった。(写真:米陸軍)

多用途機であるベル・モデル47が初飛行したのは、1945年12月8日のことでした。モデル47は、商業運航に供するのに十分な安全性を有するとして連邦政府の耐空証明を受けた、最初のヘリコプターとなりました。続いて1947年8月5日、陸軍地上軍総司令官のジェイコブ・デヴァース大将が、陸軍参謀次長のJ・ロートン・コリンズ大将に文書を送りました。デヴァース大将は、旧式化しつつあった連絡機L-4およびL-5をヘリコプターで更新することを求めたのです。コリンズ大将はこれに同意しました。陸軍野戦軍はYR-13ヘリコプター14機を発注しました。

YR-13は、陸軍地上軍にとって初のヘリコプターでした。それ以前の回転翼機は、いずれも陸軍航空軍の航空機だったのです[1]。陸軍のほかに、米陸軍航空軍が2機のYR-13を、海軍がHTL-1として10機を調達しました。いずれも複座で、自動車型のキャビンと178馬力のフランクリンO-335-1発動機を備えていました[2]。

もっとも、H-13のイメージを決定づけることになるのは、よく知られたプレキシガラス製の風防を備えたモデル47Dです。その頃、ヘリコプター操縦士を養成するため、4名の砲兵科士官がニューヨーク州バッファローのベル社工場に派遣されました。先任はジャック・L・マリネリ中佐で、ほかにジャック・ブローム少佐、ダーウィン・P・ジェラード大尉およびヒューバート・D・ガディス大尉がいました[3]。最初の2機のYR-13は、陸軍のケンワージー・ドーク大尉とロバート・R・イエーツ中尉が受領しました。

「両名は、寒冷地試験のため、陸軍航空軍の輸送機で機体に同行し、アラスカ州フェアバンクスのラッド飛行場へ向かった。追加の2機はトーマス・J・ランキン大尉とノーマン・グッドウィン中尉が受領し、両名は試験のため陸上輸送で機体に同行してウィスコンシン州キャンプ・マッコイへ向かった。5機目は試験のため、ノースカロライナ州フォート・ブラッグの陸軍野戦軍第1委員会(A.F.F. Board One)に送られた。しかしこの機体はのちに墜落し、代わりに2機が補充された。残った機体は、フォート・ブラッグの第82空挺師団に送られた」[4]。

ヘリコプターは、それ以前の連絡機よりも維持整備に費用がかかることが明らかになりました。ベルH-13を固定翼機と比較した場合の整備・補給の経費は、次のとおりです。

L-4とL-5の急速な旧式化は、航空観測部隊が陸軍航空へと成熟していく過程を象徴する出来事でした。回転翼機は固定翼の連絡機よりも高度な機体であり、それに伴って機種ごとの経費も価格も高くなっていったのです。たとえば1945年のP-51ムスタングが1機50,985ドルであったのに対し、1950年のF-86セイバーは1機230万ドルでした。航空戦力の運用は、性能の面でも価格の面でも、高度かつ高価なものになりつつあったのです。

朝鮮戦争中、担架2台を装着したベルH-13。(写真:マーク・アルバートソン氏所蔵)

ヘリコプターがその真価を発揮したのは、朝鮮半島においてでした。その好例は医療後送でした。朝鮮半島には近代的な道路網がありませんでした。そのため、重傷を負った陸軍・海兵隊将兵の医師のもとへの輸送には、大きな代償を伴いかねなかったのです。そこに登場したのが、ヘリコプターでした。1950年7月までに、空軍はH-5を用いて、緊急着陸した航空機の操縦士の収容ならびに負傷者の搬送を行っていました。1950年末までに、スティンソンL-5が56名の負傷者を搬送し、H-5は618名の患者を収容していました。

陸軍のヘリコプター、すなわち複座のベルH-13が朝鮮半島に到着したのは、1950年12月のことでした。これらは、砲兵の射撃指揮と連絡の任務に用いられる予定のものでした。しかし実際には、医療後送の任務に駆り出されることになります。1951年1月、4機のベル47が、韓国・ソウルの第2陸軍ヘリコプター分遣隊に配属されました。指揮官はアルバート・セバーン大尉でした。一度に1〜2名の負傷者しか運べないヘリコプターでありながら、セバーン大尉の小さな部隊は、その月の末までに約500名の患者を後送していました。特筆すべき功績です。セバーン大尉とその部下たちは、そのかけがえのない働きに対して殊勲飛行十字章を授与されました。

2月までに、第2ヘリコプター分遣隊は数機のヒラーH-23により増強され、さらにもう一つの部隊、第1ヘリコプター分遣隊が編成されました。「この時期、医療後送に用いられたヘリコプター分遣隊は、すべて第8軍飛行分遣隊である第8085陸軍部隊に編入され、前方外科病院に配属された」[5]。

H-13が語り草としての地位を得たのは、長寿番組『MASH』をはじめとするテレビ番組によるところが大きいのですが、ケネス・トビー主演でデシル社が1957年から1960年にかけて制作した『Whirlybirds』も一役買っています。しかしそれ以上に重要なのは、ベル社の初期の機体が、朝鮮半島においてヘリコプターの軍事的な役割と将来性を確固たるものにした点です。ヘリコプターと陸軍航空の双方にとっての進化の過程は、こうして進んでいったのです。

脚注

[1] See page 2, “A History of Army Logistics, 1935-1961,” The Army Ground Forces (AGF)—Army Field Forces (AFF) and the Helicopter, 1945-1950, History Study No. 7, by Dr. Howard K. Butler.
[2] See page 2332, “Sioux, Bell H-13,” The Illustrated Encyclopedia of Twentieth Century Weapons and Warfare, Vol. 21, RPG/SKYraid, Phoebus Publishing Company, BPC Publishing Ltd, 1978.
[3] See pages 61and 62, Chapter Six, “Coming of Age,” Flying Army, by W.E. Butterworth.
[4] See page 28, “Rotary Wing Aircraft,” Part IV, The Army Aviation Story, by M/SGT Thomas Lang, U.S. Army Aviation Digest.
[5] See page 2, “Helicopter Evacuation in Korea,” U.S. Armed Forces Medical Journal, Volume VI, No. 5, May 1955, by Lieutenant Colonel Spurgeon H. Neel, Jr.

参考文献

Butler, Dr. Howard K., “A History of Army Logistics, 1935-1961,” The Army Ground Forces (A.G.F.)-Army Field Forces (A.F.F.) and the Helicopter, 1945-1950, History Study No. 7, Historical Division, U.S. Army Aviation Systems Command, St. Louis. Missouri, 1988.
Butterworth, W.E., Flying Army: The Modern Air Arm of the U.S. Army, Doubleday & Company, Inc., Garden City, Inc., New York, 1971.
Jackson, Robert, Air War Over Korea, Charles Scribner’s Sons, New York, 1973.
Lang, M/SGT. Thomas M., “Rotary Wing Aircraft,” Part IV, The Army Aviation Story, U.S. Army Aviation Digest, Fort Rucker, Alabama, 1962.
Neel, Lieutenant Colonel, Spurgeon H., Jr., M.C., U.S.A., “Helicopter Evacuation in Korea,” U.S. Armed Forces Medical Journal, Volume VI, No. 5, AMEDD Center of History & Heritage, aach.army.mil/history/book-medicalevacuation-neelhelievacinkorea/#
“Sioux, Bell H-13,” The Illustrated Encyclopedia of 20th Century Weapons and Warfare, Volume 21, RPG/Skyraid, Phoebus Publishing Company/BPC Publishing Ltd., Distributed by Columbia House, New York, NY., 1969.
“YR-13/H-13/OH-13 Sioux/HTL,” Global Security.org., www.globalsecurity.org/military/systems/aircraft/h-13.htm


マーク・アルバートソンは、受賞歴を持つArmy Aviation Publications社の歴史編纂担当であり、ARMY AVIATION誌の寄稿編集者である。

訳者コメント:
本記事の鍵となる航空観測部隊(Air OP)は、空中の観測点を指す語ではありません。1944年の陸軍省教範FM 6-150『特科建制の航空観測』は、第1章の用語の項で「部隊の連絡機と、その運用および整備に充てられた要員とを合わせて『エアOP』と称する」と定義しています。機材と人員を一体として指す組織単位であり、要員は各野戦砲兵大隊の本部中隊などに配置され、大隊先任操縦者は大隊長の幕僚として航空担当官の機能も果たしました。1942年6月6日、陸軍長官命令により各野戦砲兵大隊に航空機2機・連絡機操縦者2名・整備員1名が定数化されます。米陸軍はこの日を近代陸軍航空の誕生日としており、砲兵の内部に抱えられたこの小さな組織が、のちに独立した職種へと育っていきました。本記事が「航空観測部隊が陸軍航空へと成長していく過程」と繰り返すのは、この経緯を指しています。
すなわち米陸軍の航空は、砲兵大隊が自ら航空機を保有し、自ら操縦者と整備員を抱えるところから始まりました。支援を受ける側の職種が、航空機そのものを持っていたわけです。米陸軍が航空を独立した職種としたのは1983年であり、本記事がたどる進化の過程は、その独立に至るまでの道のりにあたります。陸上自衛隊はこれと異なり、最初から航空科を独立した職種として置いてきました。
表題に並ぶ三つの名は、同じ機体に対する三者三様の呼び方です。モデル47はベル社の社内呼称、H-13は陸軍・空軍の記号、HTLは海軍の記号にあたります。本文に出てくるYR-13のYは実用試験機を示す接頭記号、Rは回転翼機(Rotorcraft)を表しており、1948年に空軍が独立した際、RはH(Helicopter)へ改められました。R-4からH-13へと進む記事の流れは、この記号体系の変更をまたいでいます。海軍のHTLは、H=ヘリコプター、T=練習機、L=ベル社という組み合わせで、機体の用途と製造会社を記号に織り込む当時の海軍の方式によるものです。
担架を装着したH-13の写真は、当時の後送の実際を伝えています。H-13は担架を機内に収容できず、両側のスキッドに透明のカバーを掛けたポッドとして機外に装着しました。狭いキャビンは操縦士(と、乗せられる場合は衛生兵)のためのものです。機体側面には穴が開けられ、キャビン内に吊るした輸血バッグから機外の患者へチューブを通せるようにはなっていましたが、飛行中に患者へ手を触れることはできません。後送に要する時間を縮めること自体が、そのまま生存率を決めたのです。
引用文にある前方外科病院とは、移動陸軍外科病院(Mobile Army Surgical Hospital, MASH)を指します。記事の最後に出てくる長寿番組『MASH』の題名はここから採られたもので、担架を積んだH-13が舞い降りる場面は、第8085陸軍部隊の隷下にあった各ヘリコプター分遣隊が実際に行っていた運用そのものです。
なお、原文がF-86セイバーの価格を1機230万ドルとしている点は、実勢と大きく異なります。1950年当時のF-86Aのフライアウェイ単価は17万8千ドル前後で、桁が一つ違います。一方、1945年のP-51ムスタングの50,985ドルは正確な数字です。誤りは数値だけで、機体が高度になるにつれて価格も跳ね上がったという著者の論旨は、正しい単価に置き換えても変わりません。訳文は原文どおりの数値としてあります。
                               

出典:Historical Perspective-Bell Model 47/H-13/HTL, ARMY AVIATION, Army Aviation Association of America 2026年07月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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