あんな機長になるな

私は全くの新人のレディネス・レベル1(RL-1)のパイロットとして、韓国のキャンプ・ハンフリーズで勤務していました。一緒に飛行していたのは、15年以上のキャリアを持つ整備テスト・パイロット兼機長でした。そのパイロットは素晴らしい教官として知られる一方で、恐怖に満ちた敵対的なコックピットを作り出すことでも有名でした。その日、私たちは3.5時間の飛行を終えたところでした。それは当時の私にとってはそれまでで最も長い飛行でしたが、その日の私は全くツイていませんでした。やることなすことすべてが間違いでした。集合時間に遅れ、編隊飛行がろくにできず、機体システムに関する機長の難解な質問にもひとつも答えられませんでした。パイロットになりたての私の精神は、それはもうひどい状態で、控えめに言っても完全に打ちのめされていました。
機長の操縦で着陸しましたが、エンジンをシャット・ダウンする前にホット・リフュエルを行う必要がありました。地上管制官に対して、着陸したホバリング・エリアからFARP(弾薬燃料再補給点)への進入を要求しました。管制官からは、他の航空機が行っているのとは反対方向から進入するように指示されました。iPadを手にしていた私は、すぐに飛行場図と給油手順を確認しました。そこには概ね南から北へ向かってホバー・タキシングするように示されており、他の航空機はまさにそのように行動していました。
私は機長に、管制官の指示が間違っていると思うので確認すべきだと言いました。機長は「うるせえ、言われたとおりにやりゃあいいんだ!」と答えると、給油ポイントに反対方向から進入しはじめました。地上管制官から無線で呼び出され、間違った方向から進入していることを指摘されました。そのうえで、もうすでに進入してしまったので、そのまま進入を継続することを許可すると告げられました。これに激怒した機長は、インターコムで地上管制官に対する怒りを撒き散らし、私に向かって、なんで自分の意見をもっと強く言わないんだと怒鳴りつけました。
給油ポイントに進入すると、2人の韓国人スタッフが3時と9時の方向から手信号で誘導を始めました。激怒していた機長は、その誘導を無視し、自分が行くべきだと思う場所に向かおうとしました。機長は航空機を着陸させると、地上滑走を開始しました。
その時、機長は「いくら飛ぶのが下手なお前でも、地上滑走くらいはできるだろう」というコメントと共に、私に操縦を代わらせました。航空機は早歩きくらいの速度で進んでいて、サイクリックは少し前方に押した状態でわずかな上り坂を登っていました。そのとき、9時方向にいた韓国人の給油係が、12時方向のローター・ディスクの真下に向かって突然斜めに走り出しました。その動きがあまりにも速かったので、左側にいたクルー・チーフもそれを伝える時間がありませんでした。目の端にその動きを捉えた私は、すんでのところでサイクリックを後方に引きました。メイン・ローターの先端が給油係の頭上わずか1インチ(誇張ではありません)のところを通過するのが見えました。
危うく人を殺すところだったことに気づいた途端に、機長の態度が変わりました。私が動揺しているのを見て取った機長は、操縦を交代すると、私が必要としていた教官や指導者としての役割を果たし始めました。給油を終えると駐機場まで地上滑走し、チェックリスト以外に言葉を交わすことなくシャット・ダウンしました。航空機から降りると、クルー・チーフも交えたAAR(事後検討会)が始まりました。クルー・チーフも私と同じくらい動揺していました。機長は死亡事故に繋がりかねなかった重大な不安全の発生と敵対的なコックピットを作り出したことに全責任を負うと言って、謝罪しました。それから私たちは、自分たちの職務について話し合いました。パイロットという職務は、魅力的なことばかりではありません。搭乗員に加えて、最大11人の兵士の命が私たちの技能と適性に委ねられています。コックピットが敵対的であろうとなかろうと、その責任を放棄することはできないのです。
私が言いたいことは、クルー・コーディネーションは命を守るために欠かせないということです。確かに機長は間違っていましたが、私も彼が作り出した環境についてもっと声を上げるべきでした。クルー・チーフも搭乗員の一員です。私たちのうちのどちらかがもっと早く状況に対処していれば、こんなにもひどい飛行にならず、不安全を発生させずに済んだかもしれないのです。
教訓
機長になり、新人のRL-1パイロットと飛行するようになった私は、あの飛行で学んだことがどれほど貴重なものであったかを実感するようになりました。ある新人パイロットとクラスBの空域を飛行している最中に、彼が完全な混乱状態に陥ったことがありました。非常に混雑した無線での呼び出しを聞き逃した上に、VFR(有視界飛行規則)の飛行経路を逸脱してしまいました。私がフライト・ディレクターとのカップリングを使わないように指示すると、速度を維持することが全くできませんでした。
頭に血が上った私が、彼を怒鳴りつけようとした時、あの韓国での飛行を思い出したのです。あの時の完全に圧倒され、臆病になり、苛立ちを感じた気持ちを思い出しました。操縦桿を握りながら、もうパイロットをやめたいと思った感覚を思い出しました。その瞬間、私の怒りが収まったのです。私は操縦を交代すると、クラスBの空域を抜けるまで待ちました。副操縦士を見ると、完全に気力を失っているように見えました。私は、大丈夫かと声をかけ、諦めずに頑張るように励まし、それから彼に操縦を交代しました。
その後は無事に飛行を続け、無事故で飛行を終えることができました。着陸後、彼に韓国での自分の経験を話しました。「あんな機長」にだけはなりたくないと思っていたのに、あの瞬間、自分が決してなりたくなかったものになりかけていたことを伝えました。振り返ってみると、この飛行の失敗は彼だけのものではありませんでした。私にも責任があったのです。
それからしばらくして、あの時の機長に電話をかけ、教えてくれたことへの感謝を伝えることにしました。彼は再び謝罪しようとしましたが、学んだことを新しい機長として活かせたことを伝えると、それ以上は謝罪の言葉を発することはありませんでした。あの恐ろしかったと同時に幸運だった状況を通じて、彼は無意識のうちに私をより優れた搭乗員、そして機長に育ててくれたのです。
出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2025年03月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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この記事は、以前「コックピット内での対立」という題名で掲載していたものです。