大きな問題も小さなことから始まる
1986年5月14日のFlightfax記事から
蹄鉄の釘1本のために戦いに敗れたというマザーグースの寓話をご存知ですか?「蹄鉄が打てず、馬が整わず…」、結局は国が滅んでしまったという内容です。
さて、中世にある男が馬を失ったという話が、現代において何の意味を持つのでしょうか? 大きな問題は小さなことから始まるのは、今も昔と変わっていません。この事故も、まさにそんな小さなことから始まりました。整備作業が整備記録フォームに記入されなかったために、ヘリコプターのギアボックスにオイルが充填されず、航空事故に発展してしまったのです。
事故とは、このようにして起こるものです。誰かが実施すべき作業を怠り、別の誰かがその確認を怠り、さらに他の誰かがその不備に気づかない。その積み重ねにより事故が発生し、航空機が破壊されたり、今回のケースのように大きな損傷を受けたりします。幸いにも今回の事故では重傷者は出ませんでしたが、実際にはより甚大な被害が生じることも少なくありません。
当該UH-60はスリング訓練を実施中でした。訓練開始までの飛行は順調で、訓練の初期段階でも問題は発生していませんでした。ところが、副操縦士の操縦によりショート・ファイナル(進入の最終段階)に入った際、マスター・コーション・ライトが点灯し、チップ・デティクター・ライトが点滅し始めたのです。機長がトランスミッション・メイン・モジュールのチップ・デティクターのサーキット・ブレーカーをリセットすると、両方のライトは消灯しました。パイロットとクルー・チーフは、ライトが消えたため単なるファズ・バーン(微細な金屑の焼き切り)だと判断しました。
副操縦士は進入を継続し、懸吊物から約5フィートの高度でホバリングを行いました。すると突然、何の警報もなく機首が急激に右に振れました。副操縦士は左アンチトルク・ペダルを目一杯踏み込み、機首方向を維持しようとしましたが反応が得られませんでした。懸吊物と、その上にいた複数の懸吊要員との衝突を避けるため、機体を約40フィートまで上昇させました。
航空機は懸吊物の左斜め後方へ移動しながら4回転しました。懸吊要員たちは左方向に離脱し、航空機の進行方向から可能な限り距離を取りました。この時点で、機長と副操縦士はテールローターの制御が不能であると認識しました。左席の機長は旋転を止めるため、パワー・コントロール・レバーをカットオフしようとしましたが、旋転の外側にある左席からは遠心力の影響でレバーに手が届きにくく、No.1エンジンはアイドルまで絞りカットオフ位置まで操作できたものの、No.2エンジンはカットオフできませんでした。機体は左側を下にした状態で地面に激突し、旋転がようやく止まりました。搭乗員3名と搭乗者1名は自力で脱出しましたが、搭乗者が腰痛を訴え担架で搬送されました。懸吊物との衝突は回避され、懸吊要員にけが人は出ませんでした。
調査の結果、テール・ローター・ギアボックスが焼き付き、アンチトルク制御が完全に失われていました。このため機体は右にヨーイングし、パイロットが懸吊物から離れようとして出力を上げると、旋転に入ってしまったのです。その後は、ホバリング・オートローテーション状態で約40フィートの高度から落下しました。
テール・ローター・ギアボックスが焼き付いた原因は、潤滑不良による過熱でした。それは、インプット・シールの交換後にオイルが補充されなかったためでした。この交換作業は、ギアボックスから潤滑油を排出しなければ行えません。
整備士は作業手順を記録していなかった
整備実施規定(TM 55-1520-237-7)のインプット・シール交換手順には、テール・ローター・ギアボックスへの給油が明確に指示されています。本事例でこれが実施されなかった原因は、整備員が作業の実施を適切に記録していなかったためでした。ギアボックスから排油したことが記録されず、その結果として給油作業が実施されないまま見過ごされたのです。
技術検査員による検査も不十分だった
技術検査員には、すべての作業が適切に実施され、記録されていることを確認する責任があります。しかし、当該インプット・シール交換作業に関しては十分な検査が行われず、飛行が許されない状態のまま試験飛行が許可されていました。
その後の飛行前点検でも問題は発見されなかった
当該機は、シール交換作業を含む定期点検が終わった後、飛行前点検を繰り返しながら、16時間近くも飛行を続けていました。飛行が許されない状態であったにもかかわらず、なぜ飛行可能と判断されたのでしょうか?
飛行前点検では、ギアボックス内にオイルがあることをサイト・ゲージで確認することになっています。ただし、取扱書にはゲージを目線の高さで確認するような指示はありませんでした。実際には、サイト・ゲージから約12フィート離れた地上から目視で確認されており、加えてゲージが小さく、ギアボックス・カウリングの奥に配置されていたため、空であったギアボックスにオイルがあると誤認されてしまいました。さらに、ゲージ内部のガラスには溝があり、その溝に溜まった潤滑油により、ギアボックスに油が入っているように見えるという構造的な問題もありました。
事故は整備作業の記録漏れという小さなことから始まった
蹄鉄の釘や少量のオイルといった些細なことでも、やがて大きな問題に発展します。誰かが軽んじた小さなことが、重大な結果を招くことがあるのです。この事故を意図的に引き起こそうとした者は誰もいませんでした。整備士も、技術検査員も、搭乗員も、そのつもりはまったくなかったのです。しかし、彼ら全員が起きた事象に何らかの形で関与していました。
面倒に感じる小さなことは、誰にでもあるでしょう。整備記録の管理もその一つです。それを好む人は少ないかもしれませんが、そうした小さなことを確実に実施しなければ安全は確保できません。整備記録が正しく管理されていれば、この事故は起こらなかったに違いないのです。
出典:FLIGHTFAX, U.S. Army Combat Readiness Center 2013年01月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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1件のコメント
ギアボックスが、16時間のドライ・ランにも耐えたということにも驚きです。