損耗なし――何よりの知らせ

ある野外演習において、CH-47Dを集結地(Assembly Area, AA)外の待機地点に配置する任務を命ぜられました。私は他の搭乗員とともに待機地点を計画し、日の出とともに出発しました。待機地点に到着した際、小さな切り株の上に着陸してしまい、左後方のスキーに1インチ(約2.5センチメートル)の穴を開けてしまいました。一日の始まりとしては最悪でしたが、その後に起きたことに比べれば、これが一番ましな出来事だったと言えるでしょう。私の操縦技量をからかう軽口は、UH-1が全員分の温かい食事を運んでくるまで続きました。おいしい食事に気を取られ、搭乗員はスキーのことをすぐに忘れてくれました。
1000、PRC-77無線機で基地への帰投を命じる無線通話を受信しました。集結地に戻ると、弾薬燃料再補給点(Forward Arming and Refueling Point, FARP)に燃料を補給する任務が与えられました。ブリベット(折り畳み式燃料ドラム)の懸吊準備と任務の計画立案を進めている最中に、任務が変更されました。新たな任務は、任務部隊の兵站参謀(S4)を旅団支援地域(Brigade Support Area, BSA)まで輸送し、帰りの便で集結地向けの補給品を持ち帰るというもので、簡単な任務に思えました。私たちは海岸線に沿った経路を計画しました。往路の飛行は順調で、対抗部隊(Opposing Forces, OPFOR)にも遭遇しませんでした。その後の2時間、兵站参謀が積荷を確認している間中、私たちは旅団支援地域の支援部隊から、ダウンウォッシュで天幕、作戦本部(Tactical Operations Center, TOC)、車両の偽装、射撃待機位置などを吹き飛ばしたことで、さんざん文句を言われました。うまく偽装されたものは、避けようがないほど近づくまで本当に見えないのだと納得してもらうのは、実に難しいものです。
待っている間に、多数患者の後送を担当する私たちの部隊の機体が、満載状態で旅団支援地域を離陸しました。まだ10名の「患者」が残っており、「余裕があれば運んでくれ」と言われました。(その時は知る由もありませんでしたが、この想定上の患者たちは、あと少しで本物の患者になるところだったのです。)
3日分の糧食が届き、その積み込みに追われていたところに、下士官が近づいてきて、敵に制圧されるおそれのある迫撃砲小隊への再補給をしてもらえないかと尋ねてきました。この任務も任務部隊の作戦本部からすぐに承認され、追加されました。私たちは「いいよ」と答えました。「糧食を積み終えるのを手伝ってくれ」(ただで働いてくれる人手はいつでも大歓迎です)「そうしたら弾薬を積むから」
任務が追加されたため、飛行経路を計画し直しました。新しい経路は、海岸線沿いではなく主戦闘地域を通るもので、結果的にはこれが幸運でした。南に向けて出発して迫撃砲陣地に弾薬を降ろし、それから約6キロメートル(6クリック)離れた自隊の集結地に向けて出発しました。
さて、ここからが、スキーに開けた穴や吹き飛ばした天幕など、取るに足らないことに思えてくる話です。通常のほふく飛行(Nap-of-the-Earth, NOE)での離陸の後、樹冠すれすれを飛行していると、深さ約150フィート(約46メートル)の峡谷を西から東へ流れる川に差しかかりました。約80ノット(時速約148キロメートル)で、私は降下しながら右旋回して川床に入りました。旋回を終えたと思ったところで、機首が左に約10度ヨーイングし、機体が右にロールし始めました。
ここからは、すべてが早送りのように進みます。起きていたことについて語るべきことはたくさんありますが、緊急事態の発生から接地まで、わずか1分半ほどの出来事でした。
私は副操縦士に、ペダルの周囲に何か落ちていないかと尋ねました。副操縦士が確認しました(私も見ました)が、ペダルの動きを妨げているものは何もありませんでした。対地航跡をまっすぐにしようと、私は右ペダルをさらに踏み込みました。「うわぁぁ、まずい!」右ペダルを2インチ(約5センチメートル)ほど踏み込んだところで、ペダルが固着したのです。私は副操縦士に、右ペダルを踏んで一緒に動かすよう指示しました。副操縦士も踏み込みましたが、それでも動きません。ロールはひどくなる一方で、機首はさらに左へヨーイングしていきました。しかも、速度はまだ80ノット(時速約148キロメートル)のままでした。機上整備員から「どうしました?」と尋ねられました。私は、手荒い飛行になると告げました。
私は、サイクリックを左後方に操作してサイクリック・クライムに入り、対気速度を落として高度を稼ごうとしました。ほかの操作も組み合わせることで、機体は一時的に水平姿勢に戻りました。対地高度(Above Ground Level, AGL)約500フィート(約152メートル)に達したところで、機体は意図しない左ヨーイングを起こし、それが急速な左の水平旋転(フラット・スピン)へと進展しました。機体にかかる負荷は、驚くほどの速さで増していきました。
どうやって降着地域(Landing Zone, LZ)に入るつもりだったのかは自分でも分かりませんが、搭乗員に降着地域を探し始めるよう指示しました。「見当たりません」という返事は、聞きたくない答えでした!「同乗者、不時着姿勢をとっています」というのが、旋転がさらに激しさを増す中で聞いた、次の、そして最後の言葉でした。
旋転は激しく、タイダウン・ストラップで固縛していた物資が、開いたランプの端で安全ストラップに吊られて宙に浮いていた機付長のすぐ脇をかすめて、後方から機外へ放り出されるほどでした。機付長が安全ストラップを掛け忘れていたら、物資と一緒に機外へ放り出されていたところでした。絶体絶命の状況で妙なことを考えたものだと自分でも思いますが、機首の前を飛んでいく物資が、小さな人工衛星のように見えたのを覚えています。
左への旋転は、この時点で相当な速さになっていました。出力と回転速度をそれぞれ上げ下げしてみましたが、どちらも効果はありませんでした。「さあ、どうする」という考えが頭を駆けめぐる中、機体は機首を30度下げ、毎分約3,000フィート(毎秒約15メートル)で降下し始めました。この事態の前に、何とか高度を稼いでおけたのは幸いでした。なおも激しく左に旋転しながら急降下する中、私は機体を水平にし、とんでもなく激しい「着陸」に備えました。
樹林に入ったところで推力を70パーセントまで上げると、降下が緩やかになりました。もう1回旋転する間に、高さ100フィート(約30メートル)のシラカバの木の先端を刈り取りました。樹間を降下し始めたところで、残りの推力をすべて使いました。チヌークの推力が実際にどれほどあるのか疑問に思ったことがあるなら、答えは157パーセントです。エンジンは悲鳴を上げましたが、その推力を出してくれました。私は、座席クッションの底に強く押し付けられました。
13本の木が機体を突き刺す中、私たちは「そっと静かに」降下を続けました。旋転はようやく止まりました。前部ローター・ヘッドの3枚のブレードが、私から見て11時方向のシラカバに激突するのが見えました。ブレードは文字どおり粉々に砕け散りました。

「ふう…助かった。機体を停止して、No.2エンジンの消火装置を作動させて、同乗者のところへ行かなければ」頭を目まぐるしく働かせながら、私は緊急シャットダウン手順を実施し、機体の脱出側に火が回らないよう、No.2エンジンの消火ハンドルを引きました。副操縦士は、すでに通路を抜けて同乗者のもとへ向かっていました。私もすぐに後部キャビンで副操縦士に合流し、同乗者を機外に出して、尾根の上に集合させました。急いで人数を数えると、1、2、3…17。全員そろっていました。いやはや、あれほどうれしいことはありませんでした。
搭乗員が同乗者のけがを確認している間に、私はPRC-90救難無線機で救助を要請しました。上空で一部始終を見ていたUH-1と交信し、この練成訓練で最高の知らせを伝えました。「損耗なし、全員無事、所在確認済み!!!!」文法的には正しくなくても、これは強調して、感嘆符を一つと言わずいくつも付ける価値があります。
私たちは1マイル(約1.6キロメートル)歩いて降着地域に向かい、そこから別のチヌークで病院まで運ばれました。救難員が私の血圧を測って、「血圧はいつもこんなに高いのですか?上が210、下が90ですよ」と尋ねました。私は、15分前に私たちと一緒に乗っていたら、あなたの血圧だって少しは高くなっていますよ、と答えました!
搭乗員のマイケル・S・ケリー上級准尉2、ペリー・V・ポルシー2等軍曹、クリストファー・M・ポップス特技兵、そして救助に携わってくださったすべての皆さんに、心から感謝します。エア・アサルト(空中機動)!
編集部注:この事故の後、同機の操縦系統について詳細な調査が行われました。飛行制御用油圧アクチュエーターの分解調査において、調査担当者は、後部上部デュアル・ブースト・ピボッティング・アクチュエーターのパイロット・バルブのセルフロッキング・ボルトが、水素ぜい化によって破断していたことを発見しました。破断したボルトの頭部の1つがパイロット・バルブとハウジングの間に挟まり、パイロット・バルブの作動を妨げていました。このため、アクチュエーターの作動が通常よりはるかに遅くなっていました。この不具合の結果、キンマン上級准尉3が右降下旋回中に右ペダルを踏み込み、同時に機体を水平にしようとサイクリックを左後方に操作した際、右ペダルがその位置で固着したのです。
右ペダルが固着したことで、機体は、キンマン上級准尉3がごく限られた部分的な操縦しかできず、しかも既知の緊急操作が存在しない飛行状態に陥りました。この飛行中の緊急事態に直面したキンマン上級准尉3の的確な判断と即座の処置が、同乗者と搭乗員がほぼ無傷でこの事故を生き延びるという結果に直結しました。このうえなく困難な状況下での卓越した操縦技術により、キンマン上級准尉3には陸軍航空ブロークン・ウィング章が授与されました。
出典:Nobody lost—a great message to send, FLIGHTFAX, U.S. Army Safety Center 1993年10月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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