日常の訓練飛行が、救難任務に変わった日
「スクリュートップ31、ノーフォーク・アプローチ。貴機の北東方向でF/A-18のパイロットが緊急脱出した。対応可能か?」
蒸し暑い8月のある朝、通常の練度維持飛行訓練を開始してからわずか30分後、その通信はE-2D ホークアイのプロペラの音を切り裂くようにして響き渡りました。その瞬間、E-2D ホークアイのコックピットの中では、空気が一変しました。副操縦士は間髪を入れず、「ノーフォーク・アプローチ、スクリュートップ31。対応可能」と応答しました。
その10分前、バージニア州沖で訓練飛行を実施していた2機のF/A-18のうちの1機が緊急事態に見舞われ、パイロットが緊急脱出する事態となっていました。そのパイロットは洋上に脱出し、僚機のパイロットが最初の捜索救難(Search and Rescue, SAR)現地指揮官(On-Scene Commander, OSC)として、その上空を旋回していました。燃料が残り少ない中、捜索と調整の両方の任務を単独で抱えていた僚機パイロットは、別の固定翼機の支援を要請しました。その要請がノーフォーク・アプローチを経由して、私たちのもとに届いたのです。
ホークアイの機内では、5名の若手士官から成る搭乗員たちが即座に行動を開始しました。副操縦士は、バージニア州およびメリーランド州沖の警戒区域を管轄する統制機関「ジャイアント・キラー」と連携しました。レーダー士官は予想される墜落現場の座標をプロットし、情報の更新を逐一記録し続けました。航空管制官(Air Control Officer, ACO)は捜索救難チェックリストを取り出し、主管制官の役割を担いました。機上任務指揮官(Mission Commander)である私は、飛行隊当直士官(Squadron Duty Officer, SDO)へ情報を伝え続け、同士官はオシアナ海軍航空基地(Naval Air Station, NAS)にある脱出したパイロットの所属飛行隊に連絡しました。通常の訓練飛行として始まったはずの任務は、瞬く間に同じ搭乗員仲間のパイロットを救うための時間との闘いへと変わっていました。ハリケーン・エリンが接近する中、迅速な救出が極めて重要でした。すでに海面の状態が通常より荒れており、対応が遅れれば、さらなる天候の悪化によって救難がいっそう困難になりかねない状況でした。
スクリュートップは東へ変針し、脱出したパイロットのもとへと向かいました。その途中、上空にいた僚機と交信したところ、脱出したパイロットは救命浮舟の中にいて、生存しているという、最も望ましい知らせを受け取ることができました。続いて「ジャイアント・キラー」から無線連絡があり、沿岸警備隊の救難機がエリザベス・シティから発進しており、救難潜水員と医療資材を搭載したMH-60 ジェイホークが、センサーおよび通信支援を行うC-130 ハーキュリーズにエスコートされて、現地に向かっているとのことでした。
まもなく、私たちはこの救難任務のために3機の異なる航空機を同時に統制することになりました。直面した最大の課題は、沿岸警備隊のジェイホークの高度が低すぎて見通し線通信では無線が直接届かないことでした。このため、ハーキュリーズが無線中継の役割を担いました。上空にいたF/A-18「ライノ」の燃料が少なくなってきていたところへ、2機のF/A-18が到着し、現地指揮官の任務を引き継ぎました。
脱出発生時から上空を旋回し続けていた僚機は、現地指揮官の任務の引き継ぎを完了してから現場を離脱し、オシアナ海軍航空基地へと帰投しました。交代機(2機のF/A-18)は、救命浮舟の周囲に鮮やかな緑色に広がるシー・ダイ・マーカーを発見し、これが生存者が生きているという明るい兆候となりました。その報告は直ちにVAW-123の飛行隊当直士官へ伝えられ、当直士官はそれを脱出したパイロットの所属飛行隊へ伝達し、先行きの見えない状況の中にあった彼らに明るい知らせをもたらしました。
そして、この日を象徴する危険な事態が訪れました。海軍のMH-60Sがノーフォーク海軍基地から救難活動に加わるため発進した結果、墜落現場上空を旋回する2機のF/A-18「ライノ」、沿岸警備隊のC-130 ハーキュリーズとMH-60 ジェイホーク、そして今回新たに加わった海軍のMH-60Sヘリコプターという、合計5機の航空機が同じ空域に集中することになりました。2機のヘリコプターはいずれも海面上を低高度で生存者に向かって急行していましたが、同一周波数を使用していたにもかかわらず、互いの交信を聞き取ることができませんでした。
高度15,000フィート(約4,572メートル)で旋回していた私たちには、衝突の危険性が明らかでした。これこそが、私たち搭乗員にとって最大の試練となった局面でした。速やかに対処しなければ、互いに交信できていない2機のヘリコプターが、洋上の同じ地点に到達してしまう可能性がありました。2件目の事故が発生しかねない状況でした。幸いにも、私たちE-2D ホークアイの搭乗員は、行動に踏み出すことができました。
まず、私たちはすべての機体との交信を確立しました。次に、垂直間隔を確保するために空域を階層化し、ジェイホークを300フィート(約91メートル)、「シエラ」(MH-60Sの略称)を500フィート(約152メートル)、「ライノ」編隊を1,500フィート(約457メートル)、ハーキュリーズを3,500フィート(約1,067メートル)、そして私たちのホークアイをはるか上空に配置しました。続いて、私たちの航空管制官が中継役となり、すでに現場に最も近く、救難潜水員が搭乗している沿岸警備隊のジェイホークが脱出したパイロットを救助することが決定されるまで、2機のヘリコプターとの指示のやり取りを続けました。役割が明確化され高度の競合が解消されたことで、空中衝突という差し迫った危険を回避することができました。
数分後、ジェイホークが救難潜水員を大西洋上に投入しました。無線は、まるで永遠とも思えるほどの間、静まり返りました。それぞれの機体は、連絡が入るまでじっと辛抱強く待ち続けました。脱出したパイロットは意識があり、親指を立てて合図をしながらヘリコプターに収容されました。ジェイホークは直ちに西へ変針して沿岸に向かい、外傷センターへと急行しました。残りの航空機は現場を離脱し、それぞれの展開地へと帰投しました。脱出ハンドルを引いてから90分後、脱出したパイロットは無事に病院で治療を受けていました。
その日の午後は、すべての搭乗員が分かってはいるものの、実際に危機の最中に経験することは稀な真実、すなわち危険は瞬く間に積み重なるということが、改めて浮き彫りになりました。緊急事態、燃料状態、複数機の存在、そして途切れがちな通信は、それぞれが事故に至りかねない連鎖を構成する要因となっており、スイス・チーズ・モデルの穴が次々と重なりつつありました。高度競合の回避、規律ある交信、そして明確な役割分担によってその連鎖を早期に断ち切ることで、私たち搭乗員は、もう一件の事故ではなく救助という結末でこの日を終えることに貢献できたのです。

6機から成る救難チームの高度別位置関係。高度は対数軸による模式図で、水平方向の位置関係は実際を反映していません(米海軍イラスト、アニ・ペンダーガスト作成、をもとに作成)。
出典:Routine Turned Rescue, APPROACH MAGAZINE, Naval Safety Center 2026年07月
翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人
備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。
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