AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

通信による企図の明示

氏名は本人の希望により非公開

パナマ共和国での飛行では、パイロットが体験できる中で最も息をのむような光景に出会えます。生い茂るジャングルが雄大な海岸線と接し、ほかにはない美しい景観をつくり出しています。しかし、その美しさは、中米での飛行経験がある者なら誰もが知る難敵を覆い隠しています。予測不能であることだけは確実に予測できる、あの天候です。入念な計画を立て、正規の気象ブリーフィング(legal weather brief)を受けていたとしても、予報が外れて眼前に現実が迫ると、突然、重大な判断が求められることになります。まさにそういった事態が起こったのは、人道支援演習のための編隊飛行中のことでした。長機が何の通報もないまま突然の機動を行って、危うく惨事を引き起こしそうになり、通信と意思決定に関する重大な教訓を浮き彫りにしたのです。

我々の任務は、UH-60Lブラック・ホーク3機の編隊でパナマ・シティから遠隔地の簡易着陸場へ移動し、後続の人道援助物資の輸送に備えて待機することでした。この地域で気象を織り込んだ計画を立てることの難しさは、よく知られた危険要因です。信頼できる観測所が少ないため、気象ブリーファーの手元には詳細なデータがないことが多いのです。そのため、衛星情報に大きく依存することになるのですが、小規模かつ急速に発達する熱帯性の雷雨雲域を常に予測できるわけではありません。

この危険を軽減するため、我々搭乗員は入念な編隊ブリーフィングを実施し、意図しない計器気象状態(inadvertent instrument meteorological conditions, IIMC)に陥った場合の編隊ブレーク手順(breakup plan)を定めました。目的地の付近に計器進入方式がないことから、主および予備の代替飛行場(recovery airfield)は、いずれも東方のパナマ・シティに設定しました。飛行経路には北岸沿いの洋上を選びました。内陸の起伏に富んだ地形を避け、雲高が低くても有視界飛行方式を維持できるようにするためです。計画が整い、不測事態への対応も打ち合わせ済みで、準備は整っていると感じていました。

飛行開始からの1時間は、油断してしまうほど平穏なものでした。私は、右千鳥隊形の2番機として操縦を担当し、海岸線に沿って海面上約300フィート(約91メートル)を1番機に追随していました。編隊間隔は10ローター分と緩めに取っていましたが、結果的にはこれが正しい判断でした。数百フィート上空には雲の塊があり、約1,000フィート(約305メートル)上空には密度の高い断雲層(broken layer)が広がっていました。この空間は、飛行高度にまばらに浮かぶ雲によってさらに圧迫され、我々は時折、経路を外れて回避せざるを得ませんでした。弱い雨が断続的に降っていましたが、対処できる範囲でした。内陸へわずか100フィート(約30メートル)入ったところでは雲が樹頂に接しており、緊急時に安全に着陸できる場所はどこにもないことが明らかでした。後方の天候は晴れたままで、それが微妙に危険な心理的罠をつくり出していました。それは、いつでも安全に引き返せるという感覚をもたらし、「たぶん行けるだろう」というパイロットにありがちな賭けへと、我々を誘い込んだのです。

一瞬で、状況は一変しました。長機が一言の無線連絡もないまま右へ大きくバンクし、飛行していた機首方位から90度も旋回したのです。私は編隊を維持することを優先すべきでしたが、この急旋回はそれを困難にしました。直ちに旋回すれば、長機を自機の機首下に見失うことになるからです。とっさに体が動きました。私は機首方位を保ったまま減速し、長機が機首下から抜けるのを待ってから旋回に入りました。

そんな緊迫した場面で、機長が「操縦を代わる」と告げて操縦を引き継ぎました。しかし長機を見失ったと言って、ほぼ即座に操縦を私に戻したのです。幸い、右側の機付長と私は長機を視界に捉え続けていました。我々に追随するため、我々と同様の、ただしより緩やかな旋回を強いられた3番機も、長機を視認できていました。永遠とも思える時間ののち、ようやく1番機から無線が入り、パナマ・シティへ引き返すと伝えられました。その理由は何だったのか? 天候が急激に悪化し、突如として雨の壁が立ちはだかって、視界が奪われたのです。それを認識するのが一瞬遅れた1番機は、意図しない計器気象状態に入る寸前で、かろうじて回避したのでした。

我々はパナマ・シティへ引き返し、無事に着陸しました。しかし、結果が無事であったからといって、その飛行が安全であったということではありません。この事案が発生した時、通信に重大な破綻が生じていました。編隊長の措置そのものは必要なものでしたが、機動の前または最中にそれを通報しなかったことが、編隊に大きな危険をもたらしました。我々の操縦席は混乱に陥り、突然の対応を強いられたのです。

教訓事項

あの日の教訓は明白です。飛行経路から外れる操縦士は、自らの意図を必ず伝えなければなりません。「1番機、右へ離脱する」といった簡潔な無線通報が一つあれば、編隊全体の状況把握は保たれ、対応のための貴重な数秒が得られたはずです。加えて、何としても目的地にたどり着こうとする「ゲット・ゼア病」(get-there-itis)が持つ、気づかぬうちに忍び寄る性質を忘れてはなりません。状況が明らかに悪化しているときは、緊急事態に追い込まれてからではなく、先手を打って引き返す判断を下すべきです。危険見積に失敗した責任は、1番機だけでなく、3機すべての搭乗員が負うべきものです。通信における企図の明示は、操縦の練度と同じだけ重要です。危機一髪の事例から学ぶこと。それこそが、最悪の結末を迎えかねなかった飛行を、人命を救う教訓へと変える道なのです。

訳者コメント:本稿はRisk Management Magazine(米陸軍戦闘即応センター発行)2026年8月16日掲載の記事の翻訳です。筆者はパナマでの人道支援演習に参加したUH-60Lの操縦士で、氏名は本人の希望により公表されていません。長機が無線通報なしに90度旋回したため、編隊が一時混乱した事例を自ら振り返っています。文中の「編隊ブレーク手順」は、意図しない計器気象状態に陥った際に編隊の各機が互いに衝突しないよう、あらかじめ機ごとに旋回方向と高度を割り当てておく取り決めを指します。
                               

出典:Discipline in Communication, Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2026年08月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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