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陸軍航空の情報センター

首を落とされないように

上級准尉2 ファーリー・R・ミラー
ノースカロライナ陸軍州兵第30旅団特殊作戦大隊A中隊第1派遣隊
ノースカロライナ州フォート・ブラッグ

航空科職種で勤務する者であれば、誰でも1度くらいは、「死ぬところだった」というような経験をしたことがあると思います。私も、何度か経験しています。私にとって、その経験は、生涯を通じて忘れられない教訓となっています。このような経験は、そこから生還した者にとっては、かけがえのないものなのです。これから、そんな私の経験について、お話したいと思います。

当時、私は、アフガニスタンのカンダハール国際空港に駐屯する、あるCH-47整備分隊に配属されていた州兵2等軍曹でした。私が指揮をするその分隊は、整備に起因する任務の中断を1件も発生させていないことを誇りとしていました。その頃、ほとんどの飛行支援を行っていた我々州兵は、そのことを現役の陸軍兵士たちに誇示するような気持ちになっていました。

その日の我々の任務は、チヌークのブレード・グリップ・シールの整備でした。その機体は、次の日に任務が予定されており、私の分隊がその整備に割当てられました。その機体が物資空輸任務から帰投したならば、ただちに作業に取り掛かる予定でしたが、任務が終わったのは、その日の午後の後段になってからでした。機付長は、オイルのサンプリングを行い、FE(flight engineer, 機上整備員)は、飛行記録にデータを入力しました。その後、機付長もFEも、休養のために姿を消してしまいました。

私の分隊には、6名の整備員がいました。全員が課程教育を修了していたものの、CH-47の整備経験があったのは3名だけでした。そのうちの1名に書類の記入を行わせ、他の整備員で整備を開始しました。最初に行わなければならなかったのは、後方ローター・ブレードを取り外して、ローター・ヘッドの整備ができるようにすることでした。この作業に、2時間以上がかかりました。次に、ローター・ヘッドの整備を行っている間に、他の整備作業を同時並行的に実施しました。CH-47のような大きな機体は、多くの整備を必要とするのです。

1830、夕食のため、休憩をとりました。残っている作業は、ブレードの再取付と、エンジンのフラッシングおよびスワッシュプレートへの給脂でした。休憩から戻ると、急いでブレードを取り付け、残りの作業を格納庫内でできるようにしました。日が暮れると、気温が急速に下がるからです。エンジンの洗浄は、翌朝に持ち越されました。水洗いが終わった後には、余分な水分を飛ばすためにエンジンを運転する必要があったからです。プロペラおよびローターの専門特技者がローター・ヘッドの作業を終了した後、ブレードを元通りに取り付けました。

次の作業は、機体各部への給脂です。その中でも最も大掛かりな作業は、スワッシュプレートへの給脂です。大きくて丸い料理皿のような形をしたスワッシュプレートは、リンケージでローター・ヘッドと結合されており、ローター・ヘッドを傾けて、機体の方向や動きを変更するという役割を担っています。給脂作業を行うためには、タイダウン・ロープを6枚のローター・ブレードに取り付け、それを引いてスワッシュプレートを360度回転させる必要があります。ローターがゆっくりと回っている間に、スワッシュプレートから古いグリースが出てくるまで、新しいグリースをグリース・ガンで送り込むのです。

私が生命を失いかけたのは、この時でした。私は、後方パイロンのプラットフォームに立って、ある軍曹がローター・ヘッドをゆっくりと回転させている間に、スワッシュプレートからグリースを拭き取っていました。パイロンにはあまり広い空間がありません。さらに、そこには、さきほど述べたリンケージが存在しています。ブレードが回転している間に、パイロンに頭を突っ込みすぎると、コントロール・リンケージとパイロンの壁の間に頭が挟まってしまうのです。もし、ブレードが回転を続ければ、首が切り落とされてしまいます。拭き取れなかったグリースに手を届かせようとしていた私は、頭を突っ込みすぎてしまいました。

軍曹は、ブレードをゆっくりと回転させ続けていました。その時、首の後ろ側がコントロール・リンクで押さえつけられるのが感じられました。つま先立ちの状態で頭を引っ込めようとしましたが、遅すぎました。私の首は、コントロール・リンクで、ますます強く押さえつけられてゆきました。ストップ、と叫んだ時には、パイロンの中に頭が引き込まれ始めていました。ロープを引くのを止めた整備員は、私に怪我をさせてしまったと思ったようでした。私は、大丈夫だが、それ以上ブレードを回さないでくれ、と言いました。整備員たちは、安心すると、ブレードを反対方向に回転させ、私を自由にしてくれました。私は、コッター・ピンで切創を負ったのと、首に痛みが残っただけですみました。

不安全報告を提出した後、分隊が解散できたのは、真夜中を過ぎてからでした。我々は、あまりにも長時間に渡って整備作業を続け過ぎていたのです。そのことで、私は生命を失うところでした。あの夜、私は、貴重な教訓を得ました。私は、任務に間に合わせたり、即応体制を整えることに集中しすぎてしまい、安全や部下のことを考える余裕をなくしていたのです。この件があって以来、何よりも安全を第一に考えるようになりました。

                               

出典:Risk Management, U.S. Army Combat Readiness Center 2020年02月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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1件のコメント

  1. 管理人 より:

    CH-47を実際に整備したことがないため、「コントロール・リンケージとパイロンの壁の間に頭が挟まる」という状況が、実は、あまりイメージできていません。どなたか、分かる方がいれば、教えて下さい。