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降雪による空間識失調状態からの脱出

上級准尉4 ロナルド・W・メノアー
NG-J32 対麻薬作戦航空隊
バージニア州アーリントン

snowblind

著者注:この事案は、かなり以前にアラスカで発生したものである。その時、私は、旧式の航空機(OH-58A+)5機で構成される編隊のうちの1機に機付長として搭乗していた。我々は、野外演習のため、気温が-46℃に達する中で2週間のテント生活を行った後、駐屯地へと帰投しようとしていた。

その飛行は、1時間半の予定であり、日の出とともに離陸しました。その時期のアラスカ州における日の出は、概ね11時頃でした。太陽は、地平線から少し上に顔を出すだけで、黄昏のような空が約6時間続くのでした。私の中隊には、5機を飛行させるのにギリギリの人数の機長しかいませんでした。長機には訓練担当の教官操縦士と中隊長が搭乗していましたが、2番機から5番機までには1名の機長に加えて1名の下士官の機付長が副操縦士用の左座席に搭乗していました。それは、この種の単なる移動のための飛行においては、決して珍しいことではありませんでした。

天候は、オーバーキャスト(全雲)で断続的な降雪があるものの、全飛行経路において良好な視界が得られるものと予報されていました。飛行準備および離陸は順調に進み、5機すべての航空機が地上800フィートで水平飛行に移行しました。ほどなくして、最初の弱い降雪が始まり、視程が約5マイルまで低下しました。4号機に搭乗していた私には、他の4機の航空機がすべて見えていました。

前進を続けるにしたがって、最初は弱かった降雪は、アラスカで「スノー・スコール」と呼ばれるものへと徐々に変化し、視程が2マイル以下まで悪化しました。もし、前方の機体から一度目を離したら、再び捉えることが困難になるような状態でした。雪で覆われた地面にはメリハリがなく、空には雲が全面に広がっていました。強い降雪のため、ホワイトアウト状態に陥る危険性がありました。

2番機のパイロットには、その無線通話の内容から天候による操縦上の問題が生じていることが明らかでしたが、私ができることは、2番機が上昇したり、下降したりしていることを自分のパイロットに報告することだけでした。今でも自信を持って言えますが、私の見た限り、2番機は1番機を追い越し、その下を通過してしまっていました。その時、長機の教官操縦士は、飛行中の誰もがその必要性を認めたがらないことを宣言しました。「ブレークして、演習場に帰投せよ」それは、今日中に家に帰れないことを意味しました。

中隊は、ブレークの訓練を十分に行ってきていましたが、このような気象状態で、かつ別々の機体(2番機と3番機)の2名のパイロットが空間識失調の状態に陥っているような状況でそれを行ったことはありませんでした。その後、2番機と3番機、そして5番機に起こった事象は、奇跡以外のなにものでもなく、ぞっとするような、私たちにとっても、そして編隊長にとっても決して経験したくないものでした。

長機および私の機体は、無事に旋回を完了し、上昇を行いました。しかしながら、2番機のパイロットは、空間識失調に陥り、パイロットではない隣の機付長に操縦を代わらざるを得なくなりました。教官操縦士が、2番機と3番機に搭乗していた2名の経験の浅いパイロットに、経験の豊富な2名の機付長をあてがっていたのは、幸運なことでした。その2名の機付長は、操縦の仕方を分かっていました。中隊のパイロットたちは、パイロットが1名のこの航空機においては、機長とペアを組むことが多い機付長に操縦を教えておくことが必要だ、と考えていたからです。

このため、3番機が180度の旋回を実施中に意図に反して降下し、樹木の先端に接触して、下方風防を破損し、FMアンテナを脱落させ、燃料給油口をはぎ取られた時、機付長が操縦桿を取り、機体の高度を回復させることができたのです。5番機も、同じく地面を見失い、レーダーの支援が受けられないにもかかわらず、予期していなかった天候急変等による計器飛行状態に入ったことを宣言せざるを得ませんでした。5番機の機長とその機付長は、パイロットが1名の状態で計器進入を行いながら、その状態から回復することができました。着陸後、その機長が何も言わずに、3本か4本のたばこを吸っていたのを覚えています。

2番機と3番機は、ゆっくりと演習場に戻ってきましたが、その操縦のほとんどは、機付長により行われていました。飛行後の検討会は、興味深い内容のものとなり、それらの機付長たちをたたえる言葉であふれていました。

その次の日、我々は、無事に駐屯地に帰投することができました。その帰路の間、操縦を教わったのは誰だと思いますか?そうです。それは私でした。そのことが、私がパイロットになるきっかけとなったのです。この事案が起こったのは26年前のことですが、私は、そのすべてを今でも鮮明に覚えています。そして、この経験は、間違いなく、私の24年間のパイロットとしての状況判断に大いに役立ってきたのです。

出典:KNOWLEDGE, November 2016, U.S. Army Combat Readiness/Safety Center

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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1件のコメント

  1. 管理人 より:

    ドリームマシーンの校正が入ったため、しばらくぶりの投稿となりました。
    最近Knowledgeの更新が行われていないので、2016年の記事から選んだものです。ちょっと季節外れの内容ですが、「機付長による操縦」という部分が興味深かったので翻訳してみました。