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陸軍航空の女性達

男性パイロットと翼を並べて

准将 アンネ・F・マクドナルド

初めての女性パイロットがアラバマ州フォート・ラッカーの陸軍操縦学校を卒業してから35年目を迎えました。この機会に、幾多の困難を克服して新しい境地を開拓し、航空機の操縦や国家の防衛において重要なのは、その人の能力であって性別ではないことを証明してきた女性達に、改めて目を向けてみたいと考えます。
 この記事は、過去から現在までに至る全ての女性飛行士を包括しようとするものではなく、新たな道を切り開いた幾人かの女性達を紹介し、後に続く女性達の参考にしてもらおうとするものです。
 1903年のライト兄弟による最初の動力飛行の成功から数年後、E・トッド・リリアンという女性が航空機の設計・製造を行いました。1910年には、ブランチ・スチュアート・スコットが女性として初めて単独で航空機を操縦しました。また、ハリエット・クインビーは、1911年に米国女性として初めて操縦免許を取得し、1912年にイギリス海峡を横断しました。さらに、1932年、アメリア・イヤハートは、女性で初めて大西洋の単独横断飛行に成功しました。これらの飛ぶことの魅力に取りつかれた冒険心あふれる女性達は、例え女性であっても大胆、適格かつ有能なパイロットとなりうることを証明してきたのです。
 第2次世界大戦において、軍事航空に占める女性の地位・役割は、確固たるものになりました。米国内でのパイロット不足に対応するため、女性パイロット達が製造工場からの航空機のフェリー、地上・空中射撃訓練のための目標の曳航、パイロットの教育、地図用航空写真の撮影を担うようになったのです。WASP(Women’s Airforce Service Pilots,女性航空パイロット)と呼ばれた1,000人以上の女性パイロット達が陸軍航空軍(訳者注:現在の米空軍の前身)のあらゆる機種に搭乗し、米国中の空を飛行した距離は、総計6千万マイル以上に達したと言われています。
 1944年に挙行された最後のWASP卒業式において、陸軍航空軍司令官の陸軍大将ヘンリー・ハップ・アーノルドは、ヒロインであり、かつパイオニアでもある女性パイロット達の功績を次のような言葉で褒め称えました。「諸官と900人以上の諸官の先輩達は、女性であっても男性と翼を並べて飛行できることを証明してきた。女性が有能なパイロットになれるかどうかを疑う者もいたかもしれないが、WASPはその疑いを完全に消し去ってくれた。私は、諸官達に対する尊敬と感謝の気持ちを決して忘れない。」
 第2次世界大戦が終結すると、WASPは解散となりましたが、その後しばらくの期間をおいて、陸軍航空においても女性パイロットの採用が開始され、それから30年以上が経過したのです。それでは、陸軍航空における女性パイロットのパイオニア達を紹介してまいりましょう。

サリー・D・マーフィ

陸軍最初の女性パイロットという栄誉に輝いたのは、陸軍少尉サリー・D・マーフィです。マーフィは、1973年1月に陸軍に入隊してから歴史学修士号を取得し、9月11日からフォート・ラッカーにおける飛行訓練を開始しました。1974年6月4日、女性として初めてウィング・マークを授与され、UH-1ヘリコプターのパイロットとなりました。それ以来、軍事情報及び航空訓練の双方の分野において輝かしい軍歴を残し、1990年代の初めに日本の第78飛行大隊長に任命された後、大佐で退役しました。当時は、女性が陸軍に入ることさえも認められていない国が多かったのですが、米国は単に陸軍への入隊を認めただけではなく、最も過酷かつ高度な技術を必要とし、挑戦的な職種である航空科にもその門戸を開いたのです。

マリー・カラ・スモーリー

准尉マリー・カラ・スモーリーは、機付長になりたくて陸軍に入隊した後、大学を卒業して学士の学位を取得しました。その後、女性パイロットとなることを決心したスモーリーは、周到な準備をして試験に合格し、女性として13人目の航空学校卒業生となりました。パイロットになってからは、患者後送操縦士、NVG教官操縦士、回転翼初級課程教官操縦士及び准尉候補生学校におけるTAC(training, advising and counseling,訓練、広報、カウンセリング)担当士官等、他の准尉達と同じく多様な職務を歴任しました。特に、テキサス州フォート・フードの第6航空騎兵旅団においては、女性パイロットとして初めて、攻撃ヘリAH-1コブラの操縦資格を取得しました。また、1989年には、女性パイロットとして初めて上級准尉CW4に昇任し、1995年には現役の女性准尉及びパイロットとして初めて上級准尉CW5に昇任しました。1991年には、米陸軍プレシジョン・ヘリコプタ・チーム長の副官に抜擢され、1999年に熟練したパイロットとしての24年間の勤務を全うし、退役しました。2007年には、女性上級准尉として初めて、陸軍航空殿堂(Army Aviation Hall of Fame)入りを果たしました。

ローズマリー・ローパー

少尉ローズマリー・ローパーは、操縦課程を卒業した14人目の女性でした。
1975年、彼女が入校した操縦課程の初日のことです。「私達学生は、お互いの自己紹介のため、ホールに集合するように指示されました。私がホールに入ると、既に20人ほどの男子学生がいました。私は、いつものように、前から2列目か3列目の座席に静かに座りました。名前が呼ばれたので、『はい』と返事をしたところ、男子学生達が私を振り返り、驚きの表情を見せました。後になって知ったことですが、彼らは私の事を学生ではなく陪席者だと思っていたのです。」
 1980年8月、ローパーは、陸軍予備役に配置換えとなりましたが、引き続きパイロットとして勤務し、第158航空連隊第6大隊長を始めとする多様な職務を歴任しました。また、民間においても新境地を開拓し、地上運用技術者としてボーイング社に採用され、3年後の1983年に女性パイロットとして初めて社内ヘリパイロットのチーフとなる栄誉を得ました。その後、同社の新型ジェット機の製造テスト・パイロットとしても活躍しました。米陸軍及び予備役に32年間にわたって勤務し、2006年に准将で退役しました。

ジェシカ・L・ライト

1978年、ジェシカ・L・ライトは、陸軍州兵で最初の女性パイロットとなりました。「その頃の航空科には、ほんのわずかの女性しかいませんでした」とライトは語っています。「女性が航空科に進出することは、それまでなかったことであり、中にはそのことを好ましく思っていない人もいました。」しかし、陸軍に才能と能力を認められたライトは昇任を重ね、1997年には陸軍で最初の女性機動旅団長として、ペンシルバニア州のフォート・インデイアンタウン・ギャップの第28航空旅団(陸軍州兵)長に就任しました。現在は、ペンシルバニア州第50代高級副官及びペンシルバニア州兵司令官として勤務しています。

マーセラ・A・ヘイズ

1979年11月27日、マーセラ・A・ヘイズは、55番目の女性パイロットとして操縦課程を卒業し、陸軍及び米国軍史上初の黒人女性パイロットとなりました。

クリスティーヌ・B・ナイトン

1年後の1980年、中尉クリスティーヌ・B・ニッキー・ナイトンは、操縦課程を卒業した2人目の黒人女性士官となりました。彼女は、1996年11月3日に第1騎兵師団の第227航空連隊第2大隊長に就任し、米陸軍で初めて戦術戦闘大隊の女性指揮官となりました。彼女の率いる大隊は、ボスニア・ヘルツェゴビナのタルザに展開し、第1騎兵師団及びNATOを支援しました。1998年11月に大隊長を離任した後の1999年3月、彼女の大隊は米陸軍の年間最優秀航空部隊として表彰されました。黒人女性として初めて大佐に昇任し、2008年に退役しました。

ナンシー・J・カリー

中尉ナンシー・J・カリーは、1982年に初級回転翼機操縦課程を優秀な成績で卒業し、米陸軍航空センターの操縦教官になりました。その後、班長、小隊長、及び大隊飛行訓練担当士官として、各種戦闘、NVG運用等の任務を遂行しました。
 1987年、まだ新人パイロットだったカリーは、NASAのフライト・シミュレーション・エンジニアに選抜され、1991年に宇宙飛行士候補生トレーニング・プログラムを修了しました。1993年6月21日、エンデバー・ミッションに参加し、陸軍で初めての女性宇宙飛行士となりました。その後も3回のスペース・シャトル・ミッションに参加し、任務を完遂しました(1995年ディスカバリー、1998年エンデバー及び2002年コロンビア、累積宇宙滞在時間1,000時間以上)。回転翼及び固定翼機についても4,000飛行時間以上の飛行をし、2005年5月に23年間に及ぶ陸軍での輝かしい経歴を終え、大佐で退役しました。現在は、ヒューストンのジョンソン・スペース・センター内のNASAエンジニアリング・アンド・セーフティ・センターでチーフ・エンジニアとして勤務しています。

ジュリー・サンドマン及びミッシェル・F・ヤーボロー

中尉ミッシェル・シェリー・F・ヤーボローは、1982年に操縦課程を卒業し、第6航空騎兵旅団において、女性で初めてのAH-1メインテナンス・テスト・パイロットに就任しました。1990年には、大尉ジュリー・サンドマンに続いて米海軍テスト・パイロット・スクールを卒業し、同スクールを卒業した2人目の女性陸軍パイロットとなりました。
 一方、高度な技術を有する優秀なアクロバットパイロットであったサンドマンは、1990年代の半ばに陸軍を除隊し、民間定期航空パイロットになりました。
 サンドマンとヤーボローの2人は、1990年から1994年までの間、カリフォルニア州エドワード空軍基地に所在する陸軍エアワーシネス・クオリフィケーション・テスト・ディレクトレート(Airworthiness Qualification Test Directorate,耐空性確認試験本部)の技術試験飛行パイロットとして活躍しました。
 1995年、ヤーボローは、女性で初めてのシステム統合士官として、第160特殊作戦航空連隊(Special Operations Aviation Regiment (Airborne) )に勤務し、MH-6及びMH-47Eの搭乗勤務をこなしながら、航空機等の改善・装備化の調整・実行を担当しました。現在は、調達、兵站及び技術担当陸軍次官補官房において、航空、情報及び電子戦担当部長を務めています。

誇りをもって

陸軍航空の女性達は、第2次世界大戦中のWASPが解散してからも素晴らしい活躍を続け、男性達と翼を並べ、同じ飛行任務を遂行してきました。
 米軍は、他国には見られない「あらゆる人種、宗教、民族及び性別の共存」という「多様性」を有しています。黒人の2等軍曹に率いられたアジア系米国人の機関銃手、白人の小銃手及び女性の衛生兵で構成される分隊が、イラクのラマディやアフガニスタンのジャラーラーバードの隘路で警戒斥候として行動していることが、我々に自由の大切さを教えてくれるのです。複数の国や軍の兵士が部隊を構成し、共に歩き、共に食べ、共に笑い、共に血を流すこと、これこそが「多様性」であり、世界中の民主主義や自由を欲する人々が真に求めているものなのです。
 本記事で紹介した女性のパイオニア達は、最も複雑かつ攻撃的な職種である航空科に数多くの人種、宗教、民族及び性別が共存しているという事実を、短いながらも活気にあふれる米国の歴史を通して、他国の陸軍や空軍に誇示してきたのです。そして、国家に貢献するチャンスに溢れる米国と米陸軍の「自由」と「能力」の大きさを静かにかつ力強く表現し続けてきたのです。米軍が有している「多様性」とは、実在し、実体のあるものなのです。
 陸軍航空における女性達の物語は、まだ完成には至っていません。今回紹介した女性パイロットの歴史は、陸軍パイロットとして、特に優れた女性達にハイライトを当てたものに過ぎないのです。
 現在、パイロットが地上で戦闘中の兄弟又は姉妹を支援する機会が最も多いのは、陸軍中央コマンドの担任地域です。その地域において、輸送を完遂し、警戒を確実にし、目標を撃破しているパイロットが男性なのか女性なのかを地上部隊は知らないし、気にもしていないのです。

卓越の継続

過去、現在そして未来の女性陸軍パイロットの献身と貢献が生みだした功績は、米陸軍のビジョンを明確にし、そのパイオニア精神を維持することに役立っています。陸軍航空の女性達の物語はこれからも続き、その活躍ぶりは今後何十年にもわたって、パイロット、陸軍、他の軍隊及び他国に刺激を与え続けることでしょう。
「米陸軍の精強は航空科部隊の精強から!」

准将 アンネ・F・マクドナルドは、ジョージア州フォート・マクファーソンの米陸軍予備役コマンドの参謀長です。

出典:ARMY AVIATION(February 2009, Army Aviation Association of America

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット

備考:本記事の翻訳・掲載については、出典元の承認を得ています。

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