AVIATION ASSETS

陸軍航空の情報センター

エクストーション17の墜落

特殊作戦における歴史上最悪のヘリコプター墜落事件は、なぜ起こったのか?

エド・ダラック
AIR & SPACE MAGAZINE

2011年8月6日の午前2時過ぎ、アフガニスタンのカブールの南40マイル(約64キロメートル)にある前方運用基地で、土ぼこりの舞う中、2機の米陸軍CH-47Dチヌークのローターが回転しはじめた。NVG(night vision goggle, 暗視眼鏡)と計器盤が放つかすかな緑色の光を除き、すべての照明を消灯した2機のヘリコプター、コールサイン・エクストーション17(ワンセブン)とエクストーション16(ワンシックス)は、暗闇の中を離陸し、西に20マイル(約32キロメートル)ほどしか離れていない目的地に向かって加速し始めた。

チヌークは、その積載容量、速度、および高高度性能により、アフガニスタンの特殊作戦チームに理想的な支援航空機となっている。写真は、カリフォルニア州ブリッジポート近郊の海兵隊山岳戦闘訓練センター上空を飛行するCH-47Dチヌーク。(エド・ダラック)

エクストーション17と、搭乗した38名の隊員たちが基地に戻ってくることはなかった。タリバンの戦闘員が発射したRPGに被弾し、搭乗者全員が死亡したのである。これは、アフガニスタン戦争において、アメリカ軍が一度に出した死者数で最大のものとなった。死亡者には、世界で最も高度な訓練を受け、最も経験豊富とされる特殊部隊の隊員たちが含まれていた。SEAL(シール)チーム6と呼ばれる、アメリカ海軍特殊戦開発グループ(Naval Special Warfare Development Group)のゴールド部隊(Gold Squadron)に所属する15名の男たちである。ちょうど3ヵ月前には、SEALチーム6の別のメンバーが、パキスタンのアボッターバードにあった潜伏先を急襲し、ウサーマ・ビン・ラーディンを殺害していた。この作戦の成功があったがゆえに、エクストーション17の撃墜は、陰謀論の嵐を引き起こした。「タリバンに情報が漏れていた」、「タリバンの罠だった」あるいは「ビン・ラーディン殺害に対する報復だった」というようなものである。これらの陰謀説を裏付ける証拠は得られていない。一方、米軍が2度にわたって実施した厳格な調査により、この任務の経過が詳細にわたって分析され、エクストーション17の最後の飛行にどのような問題が起こったかが明らかになっている。

この任務は、撃墜される4時間前、ヴァルダク州の岩で覆われたタンギ渓谷にあるジュイザリンという村に、2機のヘリコプターが並んで着陸することから始まった。アメリカ陸軍の2機のAH-64アパッチ攻撃ヘリコプター、空軍の1機のAC-130ガンシップ、および1機の無人監視機が頭上を旋回する中、第75レンジャー連隊の1コ小隊とアフガニスタン特殊作戦部隊のメンバーがチヌークの後部ランプから飛び出し、闇の中に消えていった。彼らの攻撃目標は、カリ・タヒルというアフガン人とその戦闘グループであった。情報によれば、タヒルはタンギ渓谷地域におけるタリバンの指揮官であり、パキスタンにいるタリバン上層部の指導者たちと密接に関係していると考えられた。地上攻撃部隊がタヒルの潜伏先に急行している間に、エクストーション17と16は基地に戻って燃料を補給し、ジュイザリンからの離脱、患者後送または増援の連絡があるのを待っていた。

2機のチヌークが最初に村に着陸した際、AK-47ライフルとRPG-7携行式ロケット弾で武装した8名の戦闘グループが潜伏先から飛び出した。1機のAH-64は、そのグループが敵の戦闘員であると判断し、30mm機関砲を発射して、6名を射殺した。残りの2名の戦闘員は、林の中に逃げ込み、アパッチの赤外線スキャナーから姿を消した。チヌークから降機してから3時間後、強襲部隊は潜伏先を確保し、タヒルの部下を多数拘束したが、タヒル自身は発見できなかった。有人機と無人機のセンサーを介して、その村の土壁でできた建物を監視していた米軍は、別の複数の戦闘グループが集結し、移動し始めたのを発見した。作戦指揮官たちは、タヒルがそれらのグループ中のひとつに紛れ込んでいる可能性が高いと判断し、レンジャーが潜伏先を確保している間に緊急対応部隊を派遣することにした。計画立案者たちは、緊急対応部隊のための別な降着地域を選定したが、そこには1機のチヌークが着陸するだけの地積しかなかった。

そして、9名から10名のタリバン戦闘員と対峙する可能性があったことから、増援チームの人員数を17名から32名に増加させ、15名で構成されるSEALグループを中心に編成することになった。それ以外の要員には、別のチームに所属する2名のSEAL、5名の海軍特殊作戦支援要員、3名の空軍特殊戦術要員、7名のアフガニスタン国陸軍コマンド、1名の通訳、および1匹の軍用犬が含まれていた。その後、緊急対応部隊の指揮官は重要な決定を下した。全隊員を努めて速やかに降機させ、タリバンに対応のいとまを与えないようにするため、全隊員に対し、エクストーション17への搭乗を命じたのである。エクストーション16は、搭乗者がいない状態で飛ぶことになった。

作戦指揮官たちは、部隊を投入する手段として、CH-47チヌークを要望することが多い。積載容量が大きく高速であり、性能が低下するアフガニスタンの高高度かつ高温な環境においても任務遂行が可能だからである。アメリカ特殊作戦コマンドは、秘密のベールに覆われた第160特殊作戦航空連隊「ナイトストーカーズ」によって運用される独自の特殊なチヌーク(MH-47)を保有している。MH-47には、空中給油プローブが装備され、センサーの改良および追加、エンジンの強化、防護火器の改修などが行われている。ナイトストーカーズのパイロットや搭乗員は、ジュイザリンで行われたような夜間強襲任務を遂行するための特別な訓練を行っている。

訓練中にCH-47から攻撃を発起する海軍のSEAL。エクストーション17の地上部隊も、このように迅速に降機すべく準備していた。(米海軍/ ライアン・ローレス伍長)
アフガニスタンのロガール州において着陸中のCH-47。エクストーション17が撃墜されたのは、夜間強襲作戦のために着陸する数秒前のことであった。(米陸軍/ オースティン・バーナー特技兵)
強襲作戦に向かうヘリコプターの機内は、緊張感に満ちている。写真は、2012年にチヌークでガズニ州での夜間任務に向かうアメリカ軍とアフガニスタン軍の特殊作戦部隊(米陸軍/マイケル・J・マクラウド3等軍曹)

エクストーション17と16は、MH-47ではなく、その搭乗員もナイトストーカーズではなかった。その任務は、通常のCH-47Dを操縦する一般的なパイロットによって実施されていたのである。「それは、単なる算数の問題なのです。第160特殊作戦航空連隊が支援できる任務よりも、実施しなければならない任務の方が多かっただけなのです」と元第160特殊作戦航空連隊のパイロットで中隊長だったマシュー・ブレイディ少佐は語っている。

エクストーション17のパイロットと搭乗員は、その夜の任務を遂行するために必要な経験と能力を十分に有していた。操縦を行っていたのはコロラド陸軍州兵のデビッド・R・カーターであり、副操縦士はカンザス州の陸軍予備役であるブライアン・J・ニコルズであった。副操縦士のニコルズは戦闘地域への派遣を3回経験しており、機長のカーターは4,000飛行時間以上の経験を有した米軍で最も経験豊富なヘリコプターパイロットの1人であった。カーターは、また、陸軍州兵高高度飛行訓練所の教官でもあった。そこでは、多くの米国および外国のヘリコプターパイロットが、アフガニスタンへの派遣前に、山岳および高高度飛行の訓練を行っている。

前回のイラクへの派遣中、カーターが所属していた部隊は、今回の任務と同じような強襲作戦を数十回にわたって実施し、その多くの計画・実行の中核となり、特殊作戦部隊と緊密に連携したことで高い評価を得ていた。「作戦地域はイラク全土におよび、任務はすべて夜間に行われました」と、カーターが所属する、コロラド州オーロラのコロラド陸軍州兵第135航空連隊第2大隊のパイロットであるデビッド・「パット」・ゲイツは述べた。「われわれは、常にNVGを装着していました。ただし、特殊作戦の支援については、第160特殊作戦航空連隊ほどではありませんでした。ファストロープを使用した降下や建物の上への着陸といったようなことは、行っていなかったのです。」第135航空連隊第2大隊は、イラクへの派遣が終了したのちも、コロラド州フォートカーソン周辺で実施された強襲訓練においてチーム6のSEALを支援している。また、デンバーで実施された夜間の市街地訓練においても特殊作戦部隊を支援し、その評価を確固たるものとしてきた。ジュイザリン強襲作戦を実施した当時、当該大隊は、アフガニスタンでの飛行任務を開始してから2週間が過ぎていた。

タンギ渓谷への飛行任務は、これが2回目であった。エクストーション17と16は、前回とは別の経路を使い、南ではなく北西から進入した。着陸予定時刻の6分前、エクストーション16は、先頭のチヌークから離れ、必要に応じて支援が可能な距離を保ちながら周回飛行を開始した。エクストーション17は、降着地域に向かって単機で速度を上げた。

アフガニスタンで飛行するヘリコプター搭乗員にとって最も危険なのは、着陸と離陸の時である。降着地域への進入時や、離陸した直後には、低速で低高度を飛行することになるため、敵にとって絶好の目標となってしまうのだ。しかし、非誘導武器の場合、いかに熟練した戦闘員が正確に照準して発射したとしても、その弾道は、大気の不規則な変動、発射器または砲弾のごくわずかな欠陥、および突風、温度変化または空気中の粒子などによる影響を避けられない。

「 『誰に向けて発射したのか』と思うような弾丸が数多く飛び交っているのです」と、米海兵隊のF/A-18D武装およびセンサー操作員であり、南アフガニスタンで海兵隊航空運用センターの上席運航士官を努めたダグ・グローバー少佐は述べている。「RPGは、レーザー誘導武器ではありません。それは、まっすぐには飛ばず、どこに向かって飛んでいくか分からないと言っても過言ではないと思います。」

しかし、敵は、これらの「誰に向けて発射したのか」と思えるような飛翔体の1つを命中させることに成功する場合がある。2010年7月には、海兵隊のAH-1WスーパーコブラのテールブームにRPGが命中し、墜落により2名のパイロットが死亡した。2005年6月には、ホバリングに移行しようとしていた第160特殊作戦航空連隊のMH-47Eチヌークの後部トランスミッションにRPGが命中し、搭乗していた16名全員が死亡した。2002年3月には、2機のMH-47が、地面に近いところを飛行中に機関銃およびRPGの射撃を受け、撃墜された。「明らかなことは、もし敵がわれわれがの攻撃目標をあらかじめ知っていたならば、500メートルほど離れた場所にRPGを携行した戦闘員を配置し、進入中のわれわれを射撃できるということです」とグローバーは説明する。

撃墜された場所は、多くのタリバンが存在する、カブールから約40マイル(約64キロメートル)離れたタンギ渓谷であった。

タンギ渓谷の奥深くでは、NVGで緑色に彩られた世界の中、エックストーション17が村に向かって減速しながら進入し、緊急対応部隊の隊員たちが地上戦闘行動の準備を開始していた。0236、エクストーション17は、NVGを使わなければ見えない赤外線スポットライトで降着地域を照らすように要求した。上空を旋回していたAC-130、スラッシャー02の搭乗員は、強力なライトのスイッチを入れた。そして、「点灯した」と無線で伝えた。NVGを通して見ると、降着地域は見事に輝いていた。カーターとニコルズは、降下を続けた。「LZはアイス」と、地上にいるレンジャーの1人が送信し、降着地域に敵の活動がないことを通報した。

数秒後、チヌークが高度100フィート(約30メートル)をわずかに超えたところを時速58マイル(約50ノット、時速約93キロメートル)で移動していると、突然、RPG発射器を構えた2、3人の戦闘員がヘリコプターの南約220ヤード(約201メートル)にある2階建ての建物に現れた。戦闘員たちは、NVGを使用してエクストーション17とその降着地域を見ていたのかもしれないし、あるいは音だけで狙いをつけていたのかもしれない。2名の戦闘員が、ほぼ同時に発射した。一発目は、ヘリコプターを通過した。2発目は、チヌークの後部ローターブレードのうちの1枚に命中して爆発し、ブレードが翼端から10フィートのところで分断された。回転するローターのバランスが完全に崩れ、後部パイロンが胴体から引き裂かれた。次に、前部ローターシステムも、後部ローターに被弾したことで生じた強烈な振動と荷重の増大による負荷で引きちぎられた。RPG弾に被弾してから5秒も経たないうちに、ヘリコプターは制御不能の旋回に陥り、乾いた河床に落着し、爆発して火の玉となり、搭乗者全員が死亡した。

グローバー少佐とブレイディ少佐によると、米軍は、輸送ヘリコプターとその搭乗員の防護力の向上に継続的に取り組んでいる。アフガニスタン紛争における最も重要な戦術的進化の1つは、無人航空システムなどの空中情報収集システムのさらなる活用である。何時間も上空に滞在できる小型の無人機が、ジュイザリン強襲作戦の前およびその最中の画像を計画立案者たちに提供し、個々の戦闘員を認識し、その行動習慣を把握し、宿泊場所を特定し、武器の種類を判別できるようになっていた。

しかしながら、強襲作戦間に敵のすべての戦闘員を把握することはできていなかった。少なくとも2名の追跡に失敗し、そのうちの1名が命中弾を発射したのである。エクストーション17の撃墜以来、軍は、重要な経験と装備の取得に努め、敵情をさらに詳細に探知し、強襲作戦の開始までに、すべての戦闘員および潜在的な戦闘員ならびにその兵器システムを把握することを目指している。グローバー少佐によれば、改良されたシステムを装備することにより、米軍は、作戦の数日から数週間前から目標を監視できるようになり、理論的には、輸送ヘリコプターが最初に着陸する前に、村のどこに隠れている潜在的なRPG射手であっても探知することができるようになっている。

ブレイディ少佐によれば、軍は、攻撃ヘリコプターによる護衛と輸送機をより緊密に連携させることにも熱心に取り組んできた。これらの戦術の詳細は、保全上の理由から明らかにされてはいないが、特に強襲作戦においては、有人戦闘ヘリコプターがさまざまなセンサーを用いることで潜在的な脅威を探知し、必要に応じて直ちに攻撃を行う。攻撃ヘリコプターが行う別の戦術としては、威嚇射撃がある。つまり、輸送ヘリコプターが進入する直前に何もない野原や林に向けて射撃を実施し、その発射音で敵戦闘員の頭を下げさせ、引き金から指を離させるのである。

アメリカ中央軍と各軍種共通の統合戦闘評価チームによって行われた2つの軍事調査は、墜落の経緯を詳細に精査したうえで、エクストーション17の撃墜をもたらした要因に関し、計画立案者や戦闘参加者に落ち度はなかったと結論づけている。いずれの調査も、将来の作戦においては、空中センサーのさらなる活用およびAH-64攻撃ヘリコプターのより緊密な護衛を追求すべきであることに言及しているものの、撃墜された夜にRPGによる射撃を防ぐ手立てはなかったとしている。統合戦闘評価チームの報告書は、さらに踏み込んで、充実した情報収集、監視、および偵察手段があったにも関わらず、ヘリコプターが撃墜される前にRPGが発射された場所を特定できなかったことも指摘している。

射手がどこから現れたのかは、今もって謎である。2名の敵は、アパッチの機関砲による射撃から逃れた者かもしれないし、強襲作戦開始後に形成された戦闘グループのいずれかから離脱した者だったのかもしれない。あるいは、タヒルまたはその戦闘員と疑われる者たちのいずれとも無関係に、自分たち自身の判断でヘリコプターを攻撃した可能性もある。アパッチのパイロットは、2名の戦闘員を見失った後、林の中に向かって射撃するべきだったのであろうか? アパッチや上空のAC-130は、強襲作戦開始後に村に集結したタリバンと推定される戦闘グループに向けて射撃するべきだったのであろうか?

ヘリコプターの搭乗員たちは、当時、厳格な交戦規定に従って行動しており、敵対行動の兆候が明らかでなければ射撃できなかった。アフガニスタンでは、長きにわたって対反乱作戦が続いていた。このため、アメリカは、協力と援助を通じてアフガニスタンの信頼を勝ち取ることをその戦略としてきた。アフガニスタンにおける対反乱作戦を研究し、直接経験してきた私は、指揮官や個々のアメリカ兵たちが、アフガニスタン人たちが米軍が撤退した後もアメリカ側につくように促すため、行動を抑制する方向に傾きつつあると感じていた。その林の中や村の中を動き回る人々の中にタリバンとは無関係の非武装の村人がいた可能性がある以上、攻撃ヘリコプターが射撃を行うことはできなかったであろう。「焦土作戦」のような戦術を採用していれば、その夜、エクストーション17が戦場に戻ってくる前に、2名の射手を射殺できた可能性もあるが、おそらく多くの無実の者を殺してしまうことになったであろう。対反乱作戦の教義によれば、そのような戦術は、長期的にみた場合に、はるかに悪い結果をもたらす恐れがある。

多国籍軍のヘリコプターを撃墜することによる宣伝効果を理解していたタリバンは、それを標的に選定した。ウィキリークスによって公開された秘文書には、アフガニスタン戦争中のあらゆる機種のヘリコプターのパイロットおよび搭乗員による、RPG発射の目撃報告が数多く含まれている。陸軍のある報告によれば、ジュイザリン強襲作戦の3ヵ月前に、アフガニスタンの比較的狭い地域を占めるヴァルダク州とロガール州だけでも、17発のRPGがヘリコプターに対して発射されていた。すべての軍用ヘリコプターは、誘導ミサイルに対する対抗手段を装備しているが、非誘導武器であるRPGから発射された飛翔体が偶然命中することを防ぐ手立てはない。ただし、そのうちの大多数は、命中しない。「今でも、戦場においては幸運に左右されるのです」とブレイディ少佐は言う。「運が良ければ、何百、何千もの弾がかすめることもあるのです。」

「これまでの経験からすると、不運にもそれに被弾することを回避するためにできることは限られています」と、海兵隊パイロットのグローバー少佐は言う。「ヘリコプターがアフガニスタンでRPGによって撃墜されるリスクを100%なくすためには、目標地域に存在する適齢の男性全員の親指を切除するしかありません。しかし、それでは、対反乱作戦に勝利したことにならないのです。」

エド・ダラックは、Air&Space / Smithsonian誌の寄稿編集者であり、著書に「The Warriors of Anbar」、「War Moments」、「The Final Mission of Extortion 17」、「Victory Point」、他3冊がある。また、2014年7月のAir&Spaceの記事「Build Your Own Drone」から生まれ、無人システムに革新をもたらしたDarackResearch社の創設者である。

                               

出典:Air & Space Magazine 2015年03月

翻訳:影本賢治, アビエーション・アセット管理人

アクセス回数:4,703

コメント投稿フォーム

  入力したコメントを修正・削除したい場合やメールアドレスを通知したい場合は、<お問い合わせ>フォームからご連絡ください。

1件のコメント

  1. 管理人 より:

    5年以上前の記事ですが、ネット上に公開されているのを見つけましたので、翻訳・掲載しました。